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第25話:思い出の庭

 ある日、私は夢を見ていた──

 両親と手をつなぎながら、ユグドラシルの巨大な姿を眺めていた。


 父と母は語り合っていたが、幼い私には何を話しているのか分からなかった。ただ、頭を撫でてくれた父の手は、大きくて暖かかった。

 私はユグドラシルの声が聞こえる気がして、巨大な世界樹を見上げながら話しかけていた。何を言ったのかは、自分でもよく覚えていない。ただ、嬉しそうに私を見て喜ぶ母の姿が、とても印象的だった。


 そう、これは事故の前の記憶。忘れていた過去の記憶なんだ……。そう感じた瞬間、私はパッと目を覚ました。

 枕元では、目覚ましアラームが鳴っている。


 部屋にはいつもの茶葉の香りが漂っていた。セリスはお茶を淹れようと、お湯を沸かしている。しかし、彼女の中にその香りは届いていなかった。セリスの頭の中は、夢で見た光景のことでいっぱいだった。


”あの景色は間違いなく現実のものだ”

 彼女は幼い頃の記憶を取り戻しつつあった。両親に連れられて、何度もあの場所へ行ったことがあった。しかし、その場所がどうしても思い出せなかったのだ。

「あの場所はいったいどこなんだろう……」

 自然保護区には、研究所職員以外は立ち入ることができない。仮に自然保護区に入ったのだとしても、危険が多く、幼子を連れた親子が手を繋いで歩ける場所ではない。

 セリスは紅茶を片手に、夢の中で見た場所を必死に思い出そうとしていた。


 この日、セリスは図書館を訪れていた。

 図書館には利用者との会話を通じて必要な情報を提供するAI司書システムがあった。セリスは夢の中で見た断片的な情報を司書システムに伝えた。AIはセリスの記憶をもとに、ユグドラシル居住区の仮想現実空間をホログラムに映し出した。

 しかし、夢で見た光景とはまるで違っていた。セリスは何度も試みたが、いずれの場所とも違っていた。

『当館は午後9時をもって閉館とさせていただきます。ご利用のお客様は──』

 いつの間にか辺りは暗くなり、閉館時間が近づいてくる。


「お父さん、お母さんと一緒に行った場所……」

 世界樹がよく見えて、周囲には自然が溢れていた……。よくよく考えると、居住区内を移動した覚えが一切ないことに気が付いた。

「居住区じゃない……。まさか!」

 セリスは、司書システムに場所の条件を再設定した。自然保護区、けれど一般人も立ち入れる場所……。

 画面には、自然保護区内のある地域が示されていた。

「ユグドラシルの庭!やっぱりそうなのね……」


”ユグドラシルの庭”は、自然保護区内で唯一研究所員以外の立ち入りが許可されている公園だった。

 第1区画と第7区画の中間の位置し、広大な敷地面積を誇る自然保護公園である。ユグドラシルプロジェクトの当初から存在するその公園は、居住区から遠く離れ、大自然の中に孤立した聖域のような存在だった。


 居住区から直接行くことはできず、入場するにはリニアレールの専用駅から入るしかなかった。

 ここで両親が何をしていたのかはわからない。自身に、何が待ち受けているかわからない。けれど、セリスは前に進む決心を固めていた。


 翌朝、セリスは身支度を整えながら、辞表を書いていた。今後のことはどうなるかわからない。ただ、これまでの研究者としての人生と職務に一定の区切りをつけたかった。彼女もまた、ユグドラシルの意思に身を委ねるつもりでいたのだった。

 辞表を書きながら思い浮かべるのは、同僚たちの顔だった。

「……みんな、ごめんね」

 彼女の瞳から涙があふれて止まらなかった。

「レナード……。約束、守れなくて……」


 その瞬間、通話の着信アラームが鳴り、セリスの体が驚いて跳ね上がった。

 通知:[レナード・シンクレア]

「……はい」

「セリス主任、すみません急にお電話してしまって。……体調はいかがですか?」

「ふふっ、ついこの前も同じこと言わなかったかしら。大丈夫よ、ありがとう。何かありましたか?」

「いえ、停職期限もそろそろ終わりますので、我々一同、復帰をお待ちしております。あ、無理はされないでくださいね」

「……その事ですが。明後日、辞表を提出します」

「……」


 その瞬間の沈黙は、数秒が数分にも感じられた。レオンは言いたいことが喉元まで溢れていたが、飲み込んで耐えた。

「……戻れなくて、ごめんね」

「いえ、セリス主任が決められたのであれば、仕方がない事情があるのでしょう」

「特に、あなたには色々と支えてもらったわね。今までありがとう」


「……あの、セリス主任。明日はどちらにおられるのですか」

「え、まぁ、とある場所。思い出の場所に……。明後日は第1区画の研究所に辞表を提出します」

「では、明後日の夜、第1区画でお時間をいただけませんか。せめて、直接ご挨拶したくて……」

「わかりました。ご馳走でもしてくれるのかしら?」

「え……あ、はい!わかりました」

「ごめんなさい、冗談ですよ。では明後日、私の用が済めば連絡しますね」


 今まで、セリスが軽口を言うようなことはなかった。レオンにとってセリスの冗談は意外だったが、嬉しくもあった。彼女の心が、少しだけ自分に開いてくれたような気がした。


 セリスは自宅を出ると、ステーションへ真っすぐ向かった。なぜか、自分の足取りがいつもより軽く感じられた。

 思い出の庭が、自分を待っているかのような気がして。


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