第3章 過去に燃ゆる炎 ♢Side:不知火 焔5
先輩や他の仲間たちとの、輝かしくも、少しだけ甘酢っぱい日々は続く。
あの時からさらに人数も増え、部屋もそれに伴って騒がしくなった。
共に怒ったり、共に笑い合ったり———戦いの果てに胸を痛めることもあったりと、私の過ごしてきた青春は、決して綺麗なことばかりではない。
私の歩むこの道には、必ずや誰かの悲しみが付き纏う。【執行者】の悪意によって、この学園から去っていった人たちもたくさん見てきた。
それでも私にとって、この日々が他の何よりも愛おしい。こんなことを言ってはアレかもしれないが、監獄のようなあの家にいる頃よりも、遥かに充実している。
きっとこれが、真の意味で生きるということ。自分が自分として、生きていくということなのだろう。
あの時の私にとって———否、今の私にとっても、あの日々は本当にかけがえのない宝物。
だが、そんな私を嘲笑うかのように、全ての終わりはあまりにも突然に訪れた。
「〈3王〉フィア直属特務情報執行官。マリス———ただ今参上......なンちゃッて!」
【執行者】特務情報執行官———マリス。
【レジスタンス】のメンバーならば誰しもが耳にしたであろう名であり、後の私にとっても未来永劫忘れることはないであろう名前。
かの人物によって【レジスタンス】は過去二度の壊滅を迎えており、今この時三度目となる壊滅を迎えようとしていた。
その方法というのが、【レジスタンス】内部の人間を唆し、内側から破壊していくというもの。人の感情や心理といったものをとことんまで利用し、それを周囲にも連鎖させることによって総じて破滅へと導いていく。
今回その贄として選ばれてしまったのが、人知れず悩みを抱えていた畠中先輩。神藤先輩とも特に距離が近く、それ故に悩みを抱えていた彼は、あろうことかあのマリスともあろう人物に救いを求めてしまった。
人の感情というのは繊細だ。誰しもが完全なように振る舞うものの、必ずやどこかしらに綻びを抱えている。
今回の畠中先輩の件だってそう。私たちに対して、彼はなんてことないように振る舞っていたにも関わらず、胸の内ではずっと薄暗い嫉妬心と戦っていた。
このマリスという道化はそういったものを誰よりもめざとく見つけ出し、各々にとって一番救いとなるであろう餌を用いては、最後は地獄に突き落とす。
人の性とでも言うべきそれは、例え頭の中で分かっていても抗うことは叶わず、【レジスタンス】の皆や神藤先輩のような人でさえぐちゃぐちゃにする。
「あぁ、くそ......!! 神藤!! 俺が時間を稼ぐ!! だから......その間に、目ぇ覚ましやがれッ!!
お前らも、動けるやつは全員ここから退避だぁっ!!!!」
もはや、私たちにできることはない。
マリスの策略によって与えられたのは完膚なきまでな敗北で、それに気づいた時には全てが遅すぎた。
そこからの景色は本当に地獄のようで......正直、こうやって語るのですら息が詰まる。
そこにあった温かな光はぐちゃぐちゃに濁り、いつもと同じだったはずの床は悲鳴と共に誰かの涙によって濡らされていく。
皆の断末魔が悲しみや怒り、内に隠されたおぞましい憎悪と成り果て、私や未だ不動を貫くリーダーたちの心を抉る。
本当に、あの時のことを考えれば考えるほど、吐きそうになる。
それでも私には、これが何かの間違いなんじゃないかって、必死になって虚空へと縋り続けていた。
「こっちだ、不知火!」
「嫌だ! リーダー!!! 神藤先輩ッ!!!!」
「いいから、いくぞっ!!」
半ば強引に手を引かれ......というか、私が暴れるせいでそれだけじゃ足りず、私は半ば強引に担がれるようにしてその場を後にした。
———今でもよく覚えているのは、段々と小さくなっていく2つの背中。
皆が我先にと駆け出していく混沌の中心で、ずっと見ていた背中は意地だとでも言わんばかりに動かない。
あの時の私には、力強くもそれがひどく儚いものに見えてしまい、届かないと分かっていながらも必死に手を伸ばしてしまう。
手を伸ばし、伸ばして伸ばして伸ばし続け、指先が自分の意思とは別にその先を求める。
もう一度だけでいいからあそこに行きたい。
もっと2人の側にいたい。
この拘束から逃れようと無我夢中になるも、私を担ぐ誰かはそれを許してはくれない。
無理やりに体をよじるも、腰の辺りの筋肉質な腕が、何があっても落とさないと言わんばかりに絡みつく。言葉にせずともその意思は強く、逆さまになった私の視点からは、ただただ見覚えのある坊主頭の後頭部だけが映っていた。
「よし、まだ誰も来てはいないな」
乱暴に足でドアを蹴飛ばしながら、私を担ぐ誰かはズカズカとどこかの部屋の中へと入り込む。
その人物はひらすらに大股のままに進んでいき、やがて古い掃除用具入れの扉を開く。
「げほっ! っ、さすがに使ってないから埃がすごいな。こんな中に女子を入れるのは気が引けるが、この際我慢してもらう他あるまい」
そんなことを言いつつ、坊主頭のその人物は少しでも中の埃を取り除かんと、ひらすらに自らの腕を動かし続ける。
普通に考えて、今さらそんなことをやったところで何も変わりはしない。そんなことをしている暇があるのならば、雑巾か何かを持ってきて振り払っていった方がまだ効率的だ。
だけど私にとっては、そんな不器用すぎる姿が何よりも安心感を得られて、坊主頭の人物———否、一先輩と目が合う頃にはもう、私はすっかりと落ち着きを取り戻していた。
「......いいか。何があっても絶対にここから出てはダメだ。息をひそめて、ひらすらじっとしてろ」
「でも、一先輩は......」
私の目の前にあるこのロッカーは、よく掃除用具などを入れる細長いタイプ。どう考えても、2人の人間が入るようなスペースなんてない。
だが、一先輩はそれを知ってか知らずか———否、知っていながらも、いつもと変わらないぶっきらぼうな口調で言う。
「案ずるな。【レジスタンス】とか以前に、俺はお前らの先輩なんだ。さっきはまんまとやられちまったが、今度はちゃんと守ってみせるさ」
それは、私が【レジスタンス】に入って以来初めて見る彼の表情で、二度と見ることの叶わないぎこちのない笑顔であった。
それからは———嫌に静かな時間だけが続いた。
周囲の喧騒からは隔離され、暗闇に染まった視界の端々には、小さく漏れ出てきた光のみが映る。
一体、どれくらいの時間が経ったのか。
まだほんの少ししか経っていないような、それこそ永遠に近い時間を過ごしていたかのような......あいまいで、自分でもよく分からない。
こんなわけの分からない感覚の中でパニックにならないのは、ここが安寧の暗闇故なのか———私はただ、ひたらすらに時間が過ぎるのを待った。
「! 先輩———」
一瞬、一先輩が戻ってきたのかとも思ったが、違う。
ロッカーの隙間から見えるのは黒いローブ姿の影———ちらりと見える両腕の腕章が、まさしく道化の如く嗤っている。
「ふむ......中々に良イお部屋だ。確かニここならバ隠れルにハもってこイだナ」
ぐるりと、まるで爬虫類のような仕草で部屋を見回し、悪意抱きし道化......もとい、マリスが感嘆するかのような声を漏らす。
何がそんなに気に入ったのやら、1人でぶつぶつと満足げに頷き、やがてその口元におぞましい不気味な弧を描いた。
「さーて、まだ駆除でキてイナいネズミがいルかもしレなイ。徹底的にこノ場を洗い出セ」
そんな、マリスらしからぬ淡白な号令を合図に、身をひそめる私をあぶり出すための狩りが始まった。
マリス率いる〈人形〉の部隊がそこら中の荷物をどかしていき、文字通り徹底的に私を捜して回る。その人数の多さから出口も完全に塞がれており、これでは見つかるのも時間の問題と言えた。
......だいたい、なんで奴はこの部屋のことを知っている?
一先輩はけっこうな距離を走っていたはずだし、こんな短時間で———しかも、私がいるここをピンポイントで見つけ出すなんてこと、普通に考えたら不可能に近い。
仮に、それらをなんらかの手段でクリアしたにしたって、奴にはリーダーたちという足止めがあったはず.......それこそ、ここに来るためには、彼らを瞬殺でもしない限り辻褄が合わない。
「あ......ぁ......」
無理だ......勝てるわけがない。
召繋師としての実力だけじゃない。作戦遂行力やその他諸々のことが全て、あまりにも格が違いすぎる。
事前に話は聞いていた。だけど目の前にいるこれは、それとは全く別次元の化け物だ。
こんなのが相手とか、もはや先輩たちがいたとしたって勝ち目は薄い。ましてや私1人では、勝てるどころか逃げることだって———
「今......そっチの方デ音ガしなかっタか?」
......正直なことを言おう。
この時の私も、今の私にも、この瞬間自分の身に何が起こったのかは分かっていない。
身じろぎしたことによって体のどこかが当たったのかもしれないし、さっきまでの思考が思わず口に漏れ出ていたのかもしれない。こうして今振り返ってみても、出てくるのはそうだったのかもという憶測ばかり。
ただ、その時の私にも唯一分かったことと言えば、マリスの意識と視線といったものが私の隠れていたロッカーに真っ直ぐと向けられていたということだった。
(マズい......マズい、マズい、マズい、マズい、マズい!!!)
自分の置かれている状況が分かった途端、さっきまでの落ち着きはまるで嘘であったかのように消え去った。
体の自力神経は乱れ、呼吸のリズムが狂う。吐息を漏らしてはダメ、もっと冷静にならなければと思うほどに、私は段々と私ではなくなっていった。
あぁ、そうか......これこそがきっと、恐怖という感情。
先輩たちが......おそらくはあのお母様も、ずっと、ずっと戦い続けてきたもの。何かを成そうとする人間の前に現れ、その覚悟を見定めては弱者や愚者といったものを喰い潰す。
喰われた魂は地獄へと導かれ、永遠に続く苦痛と共に死ぬことすら許されない修羅の道を強いられる。
だからこそ、何かを背負うには覚悟がいる。
でも、そんなものに向き合う強さなど、空っぽだった私が持ち合わせているわけがない。
私はただ、あの時間が続いてくれればそれでよかった。
皆のように、身を捧げる覚悟なんて持ちたくない。
が———
「......と、思っタけド気のせイか。ククッ、普通に考エて、こんナ場所に人がイるわけよネ」
一体何を思ったのか、マリスはロッカーに触れるその直前に、くるりと踵を返した。
奴はそのまま後方へと歩いていくと、手を上げ〈人形〉たちの作業を中断させる。
「はい、は〜イ。今回ノ捜査ハここデ打ち切リ......これ以上探シたっテ何モ成果はナイだロうシ、ザンネンだけド諦メるしかナイね」
マリスが肩をすくめながらそんなことを言うと、さっきまで黙々と作業をしていた〈人形〉たちは、あっさりと撤退の準備を始めた。散らかした物は綺麗に元の位置へと戻し、まるで何もなかったかのような状態にした後に、自分たちも消えていく。
本当に———あまりにも意味不明すぎる行動。一体何が目的なのか、何度考えても私には全く理解できない。
第一に、あれだけ異常な洞察力を持っていて私に気づかないなんてことはない。下手をすれば、部屋に入ってきた時点で気づいていたなんて節もあり得る。
もし仮に、本当にマリスが気づいてなかったとしたって、他にもこれだけの大人数がいる。その中で誰1人として気づかない......というか、奴の独断に何も言葉を発さないというのが、私には不気味でならなかった。
「あーア、これハマズっタなァ......まさか、コのマリス様とモあろう者が、1人ダけ取リ逃ガしてしまうダなんテ。もしモ、ソイツが後からキバを向ケてなンてきたラ、それコそタイヘンなことニなっちゃウねェ......?」
言葉とは裏腹の含みのあるトーン。〈人形〉たちの背中を目で追いながらもなお、マリスは道化のようにその場でくるくると回るのみ。
......アレを見てる限り、やはりマリスにはこの場で私に危害を加える気があるようには見えない。単なる気まぐれなのか、それとも時間制限的な何かがあるのか、ここから覗くだけではその答えにもたどり着かない。
そこにあるであろう理由が分からない以上、まだ完全には油断できる状況ではない。それでも、もしこのままやり過ごすことができたのならば、私の逃げ切れる可能性は格段に高くなる。
本当に———こういう時の私の悪運はバカみたいに強い。
どの道、私の足では奴らに見つかったその時点で終わりだ。マリスの気が変わろうがそうでなかろうが、私にはここでじっとしてる以外選択肢なんてない。
(......違う)
なんなんだ、その思考は?
私は本気で、そんな的外れなことを考えていたというのか?
もう一度よく考えろ。
奴はリーダーと神藤先輩の足止めをなんなく突破し、私の隠れているこの場所へとやって来た。奴は私がここに隠れていることを知ってか知らずか部屋の中を探索し、見つかりそうになった寸前で引き上げることを選んだ。
ん、そうだ......やっぱりあのまま奴が私を探し続けていたならば、私は間違いなく捕まっていた。もしも、奴に時間制限的な何かがあったとしたって、あのピンポイントなタイミングで引き下がるなんて絶対におかしい。
あの時確かに、奴の目の前には勝利があった。ほんの少し伸ばせば手が届くような距離で、奴があえてそうしなかった理由は———
(全部、戯れだった......?)
ここに来た時......いや、そもそも始まりからが、マリスにとっては遊びだった。
奴は始めから勝利なんて欲していない。気まぐれなのか誰かに命令されてなのかは知らないが、悪趣味な遊びの果てに私たちが勝手に負けただけ。
だからこそ、マリスにとってここで私が生き残ろうがどうなろうが関係ない———むしろ、もっと面白くなるようにと、私だけを唯一の生存者として仕立て上げたんだ。
「たっタ1人きリ、他に誰ノ助けモない———無力でガタガタ震えてルしかナカった能無シは、果たしてコレからどんな物語を紡イでイくのかなァ!!!???
ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!」
その不快極まりない嘲笑は、私が本当の意味で独りになってしまったことへの手向け。
それに気づいた時にはもう、私の腕からは力が抜けてしまっていたのだった。
「本当に、立ち去っていったのか......」
あれからさらに数時間———隙間から差す夕日に導かれるようにしながら、私はようやくロッカーの外へと出た。
嫌に静まりかえった室内は、一先輩と来た時と何一つとして変わらない。白っぽいベッドシーツも乱れなく敷かれており、他のダンボールの箱も記憶と配置が変わっていない。
......というか、今さらながらここは保健室か何かなのか?
担がれていたからというのももちろんあるが、あの時はそんなことすら気にならなかった。
「............」
今思うと、こうやって1人きりになるのも久しぶりだ。
ここ最近の私はずっと人の輪の中にいて、周囲を見渡せば必ずや誰かしらがいた。
今のこの状況だってそう。
私がこの部屋のことに気づいていなくとも他の誰かが気づき、この部屋はなんの用途に使われているのだろうと、ちょっとした冒険が始まる。
多分、大河先輩が畠中先輩の手を引き、秋雨先輩が古い本や備品を見ては目を輝かせる。
後ろからは一先輩がハメを外しすぎないよう呼びかけ、そんな皆の様子を私はリーダーと神藤先輩の隣から見守っている。
「......ぁ」
あれ、おかしいな......?
どうして私、泣いているんだ?
私は孤独で、ずっと灰色の世界を生きてきた。
それが元に戻っただけで、こんなのは私にとって慣れっこだ...... 慣れっこのはずなのに、嗚咽は止まらず、肺が過剰に酸素を求めたがる。
「っ、君は......」
そんな私の声にもならぬ叫びに呼応するかのように、何かが突然私目掛けて飛び出す。
それは、いつも私を見ると飛びかかってくる珍客———言うまでなく、私と神藤先輩が見つけた、あの不思議な火種だ。
火種は変わらずまるで生きているかのように飛び回り、されどもいつもとは違う加減のこもった勢いで私の膝を陣取る。
「なぜ、君がここに......? もしかして、君も奴らに見逃されて......」
いや、そんなわけはない。
彼......それとも、彼女なのか? 誰が使役してるわけでもないこの火種を、マリスがわざわざ始末する必要なんてない。
そもそも、私たちが見つけるまで誰1人としてこの火種には気づいていないのだ。学園側も認知しているわけではなさそうだし、これに関しては本当に気づかれていないだけと考えるべきであろう。
「君も、悲しんでくれるのかい? ......ありがとう。やけどしてもおかしくない熱さなのに、不思議と心は温かい」
膝の中で未だパチパチと音を出しながら燃える火種だが、不思議と熱さは感じなかった。
これが、周囲を燃やさないというこの火種の特性故なのか、それとも単に自分の感覚が狂ってしまってるだけなのか。この混濁とした思考の中では、答えは見つからなかった。
「ねぇ......私はどうすればよかったと思う?
今の私には力がない。先輩たちとは違う、ずっと誰かに守られるだけの存在、で......」
あぁ、そうか......そういうことか。
口にしていてようやく、この胸の中にある何かの正体が分かった。
———それは、恋。
誰しもが持っている衝動で、私にとっては空想の中でしかなかった概念。
口調を変えたのも、組織に入ったのも、全てはこの淡い恋心のため。皆の目的に便乗しているフリをして、私は1人......たった1人に振り向いてほしかっただけだった。
私が流している涙もマリスに負けたからじゃない。
あの人との時間を、これからを、全て奪われてしまったから。
もう二度と......これが叶うことない想いと知ってしまったから。
その自覚が後悔を強くし、言霊となって静かに漏れ出る。
「悔しいよ......ちゃんとした礼だって言えてないのに、こんなんじゃこの想いを伝えることなんてとても......」
自分の勇気のなさが情けない。
こうなると分かっていたのならば———いや、分かっていなかったとしても、もっと早くに言うべきだった。
先輩に相応しくなってから言おうなんて言い訳だ。本当はただ、口にするのが怖かっただけなんだ。
私はそれを見ないフリして、それでも先輩の側にはいたくて......ずっと、嘘の仮面を被り続けた。
そんな私の醜い懺悔を、火種はただ鎮座しながら聞いていた———はずだった。
「熱っ......!? なんだ、これ———?」
突然に上がる、周囲を焼き焦がすような熱気———けれどもやはり何も燃やすことはなく、ただただ己のためだけに燃える。
天に向かって火柱になりつつあるそれは、もはや火種などと呼ぶにはおこがましく、私共々全てを炎獄へと誘う。
(まさか、これがこの火種の? でもなんで———?)
と、そこまで言ったあたりで、私は昔屋敷の書斎で読んだ書物のことを思い出す。
それは、かつてこの世界で共に共存していたとされる、不思議な隣人たちの記録。太古の人類と交差し、今では〈異世界よりの来訪者〉として繋がっている......そんな者たちが記されている、嘘か本当かも分からない遺物の複製。
———そこに記されていたものこそ、生きた契約の灯。
永き時の中で燃え続け、人の願いと代償を糧として生き続ける。まさしく、禁忌にも近いとされる、永遠の炎の存在であった。
「......私は、私自身が嫌いだよ。こんな嘘ばかりで塗り固められ、本当の自分はこんなにも臆病で醜い」
私は右手を伸ばしては、先端が炎に触れた途端に引っ込める。
もう一度触れようと懸命に手を伸ばすも、小さく震える体は言うことを聞いてはくれなかった。
「っ......これに身を委ねれば......私も先輩たちと同じ、力を......」
いや、きっと違う。
今目の前にあるのはそんな綺麗なものではなく、もっとおぞましく———ドス黒いものだ。
この先にまで手を伸ばせばきっと、私は元の場所には戻れない。本当に書物の通りであるならば、私のやろうとしてることは悪魔の取り引きと同じだ。
......もしも、先輩がこの火種のことを知れば、全力で私のことを止めにかかるだろう。
彼が選ぶのは灯の契約ではなく、よく分からない火種との不思議な日常———だけど、もうあの日々が帰ってくることはなく、あの困ったような微笑みも、今の無力な私では取り戻せない。
「だから———全てを燃やせ。醜い私も、私を取り巻く悪意も、何もかもを冷たく、灰すら残さず......代償と共に燃やし尽くせ———」
再び右手を伸ばし、私は燃え盛る火柱の中へと突っ込む。
腕が全て焼き消えてしまうような灼熱が襲い、私の意識は遠くなる。
だけど、消える寸前で何度も足掻き、右手の光を頼りに灯との契約を結ぶ。
気づけば、燃え上がる炎は真っ黒に染まっており、その中心には同じ色のドレスを纏っている誰かがいた。
「綺麗だ。なんて美しく......そして醜い」
私と瓜二つの容姿をした、漆黒のドレスを纏う女性。
燃え上がる炎の中で、銀糸のような髪を踊らせる姿はまるで幻想のようで、それと同時に自分の醜さをそのまま写し出されているかのようなおぞましさだった。
「それが、君の本当の姿なのかい?」
「いえ」
色素の薄い髪を揺らし、彼女は私とよく似た真紅の瞳を向けてくる。
「これは、あなたの払った代償の結果。あなたが代償を払ってまで燃やそうとしたものの姿です」
「? それってどういう———」
と、そこまで口にしたところで、私は彼女の言わんとしていることを察した。
彼女こそがきっと、契約の灯そのもの———私の代償を喰らい、私が消したいものの姿を写し出したもの。
私の代償が肉体となり、私の願いが姿を形作る。
なるほど......だから、こんなにも私に似ていて、足にも力が入らないのか。
「......そういえば、まだ名前を聞いていなかったね」
「名前。名前、ですか」
すると、彼女は少しだけ言葉を詰まらせた後、すぐに人形のような無表情で言った。
「そんなものはありません。こうして自我を持つことさえ、私にとっては初めてのことですから」
さも当然のことだと言わんばかりに、私と同じ姿———今にも殺してやりたくなるような見た目で、彼女は悲しいことを口にする。
ふふっ、ほんと......聞けば聞くほどに、悪趣味だ。
その人間にとって一番いらないものを奪い、一番消してやりたいものの姿を写す。力を与えられる代わりにそんな姿をした何かと過ごすことを強いられ、その人間が持つ感情といったものすら繋がってしまう。
本当に———禁忌なんて言われるのも納得する。こんなのは、そこらの下手な悪魔よりもよっぽど悪辣だ。
......ならば、私が与えよるよ。
このどうしようもない足と共に、私の業を斬るに相応しい、君に相応しい名を。
「———ジル•ドレ......君の名は、〈獄炎騎士〉ジル•ドレだ」
次回投稿は、4月19日 日曜日 12:00 です。
よろしくお願いします。




