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ティムール死せず  作者: 灰神楽ねこ


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9/9

遺されたもの

一四一八年、ヘラート。


シャー・ルフは、机の上に広げられた書簡を読んでいた。

サマルカンドから届いたものだった。

息子のウルグ・ベグは、灌漑水路の修復と市場の整備について報告していた。新たに雇い入れた学者の名も記されている。

末尾には、近ごろ観測した星の位置について、父に説明する文章が添えられていた。


シャー・ルフはそこをもう一度読んだ。


父ティムールは、ウルグ・ベグが書物を好むと聞いて、妙な顔をしたことがあった。

あれは東征の前、サマルカンドでのことだった。

父はビービー・ハーヌムのモスクを修復させていた。遠いインドから連れてこられた石工が、柱の表面に花の模様を刻んでいた。

父はその仕事を褒めた。


シャー・ルフは窓の外を見た。

ヘラートの庭園には水が流れていた。水路の脇では、二人の庭師が枝を切っている。遠くから荷車の車輪が石畳を踏む音が聞こえた。


父が死んで、十一年が過ぎていた。

それでも、父の名を聞かない日はほとんどなかった。


ホラーサーンの将軍たちは、父の遠征を語った。サマルカンドの商人たちは、父が建てた市場やモスクを語った。

西方から来た使節は、父が滅ぼした王たちの名を挙げた。

父を憎む者も、父の名を忘れてはいなかった。


シャー・ルフ自身、父をどう考えればよいのか、今も分からないことがあった。

父は都市を焼き、人を殺し、国々を滅ぼした。

その一方で、建物の柱に刻まれた小さな花を見つけ、職人を呼んで仕事を褒めることができた。

庭園の水が止まることを気にかけ、学者の議論に耳を傾け、詩人を保護した。

父にとって、それらは矛盾していなかったのだろう。

シャー・ルフには、そう思えた。


父はサマルカンドを愛していた。しかし、そこに長く留まることはなかった。

父が築いたものは、父が動き続けることによって維持されていた。

そして父は、世界の東の果てまで進み、そこで死んだ。


******


最初の知らせがヘラートに届いたのは、一四〇七年の冬が近づいた頃だった。


北京が陥落したという。

それだけだった。


使者はサマルカンドを経由してきた商人から話を聞いたという。ティムール軍がカンバリクを占領し、明の皇帝は南へ逃れたと伝えられていた。

シャー・ルフはその報告を読んで、父ならばやりかねないと思った。

同時に、北京を取ったところで明との戦争が終わるわけではないことも分かっていた。

明の軍はなお各地にあり、皇帝も健在だという。

北京からサマルカンドまではあまりに遠い。父はそこで何をするつもりなのか。


その答えが届く前に、別の知らせが来た。


父が死んだという。


シャー・ルフは使者を呼び、何度も問い直した。

「誰が見た」

使者は答えられなかった。

「どこで死んだ」

「カンバリクの宮殿と聞いております」

「病か」

「矢を受けたとも」


その時点では、父が本当に死んだのかさえ確かではなかった。

オトラルで重い熱を出したときも、父は死ななかった。幾度も傷を負い、病に倒れ、そのたびに再び馬に乗った。

シャー・ルフは北京からの正式な報告を待った。

しかし、報告はなかなか届かなかった。

代わりに、さまざまな噂が届いた。

父は明の皇帝との一騎討ちで死んだという者がいた。毒を盛られたという者もいた。北京の城壁から落ちたという話さえあった。

ある商人は、父が生きており、さらに南へ進軍していると語った。


やがて、父の死を認めざるを得ないだけの知らせが重なった。

ティムールは、北京で死んだ。

ただし、その最期の様子については、帰還した者たちの話も一致しなかった。


宮殿の奥で死んだという者がいた。

玉座に座ったまま息を引き取ったという者もいた。

明の兵が放った矢が胸に刺さったという話は、何人もの口から聞いた。

父の遺骸がその後どうなったのかについても、しばらく確かなことは分からなかった。


******


北京から帰ってきた軍の話は、さらに入り乱れていた。

最初に現れたのは、軍というより、軍から離れた人々だった。

数十騎の一団がサマルカンドへ戻ったという報告が来た。続いて、別の街道から数百騎が帰った。

エチナ方面に残されていた部隊は、北京の主力が敗れたことを知ると、西へ引き返していた。


北京を出た軍が、どこで何人の兵を失ったのか、シャー・ルフには最後まで分からなかった。

紫荊関《しけいかん》で明軍と戦ったという者がいた。北へ進んで長城を越えたという者もいた。

ジャハーンシャー・バルラスとシャー・マリクが兵をまとめ、退路を開こうとしたことは、複数の報告から確かめられた。

しかし、長城の外に出る頃には、部隊は大きく分かれていた。

明軍の追撃を避けた者。水場を求めて西へ向かった者。馬を失い、荷を捨てた者。負傷した仲間を置いていった者。


冬が来ていた。

ある将軍は、明軍よりも寒さに多くの兵を奪われたと語った。

別の将軍は、それを否定した。寒さではなく、草原の諸部族に襲われたのだと言った。


オイラトについての話も、帰還者によって違っていた。

マフムードの使者が現れ、馬と財物を渡せば通してやると告げたという者がいた。

オイラトの遊牧民から食糧を買い、道案内まで得たという者もいた。

一方、オイラトの騎兵に襲われ、武器も馬も奪われたと訴える者がいた。


「マフムードは我らを助けました」

そう言う者と、

「マフムードは我らの敵です」

そう言う者が、同じヘラートに現れた。


シャー・ルフは、それぞれに話を聞いた。

彼らが同じ道を通ったわけではないことは分かった。遭遇したオイラトの集団も同じではなかった。

マフムードがどこまで命じ、どこまで知っていたのかは分からなかった。


明の皇帝についても、話は一致しなかった。

永楽帝が自ら大軍を率いて追撃したという噂があった。北京を奪還すると、焼けた宮殿を見て怒り、守備隊の将校を処刑したという話もあった。

明の皇帝が戦死したという噂まで届いた。

その後も明から使節が来たので、少なくともそれは誤りだった。


ブンヤシュリーについては、もっと分からなかった。

彼がティムール軍の撤退を助けたという者がいた。明と和議を結んでティムール軍を見捨てたという者もいた。アルクタイと争って敗れたとも、オイラトに捕らえられたとも伝えられた。

ついには、ブンヤシュリーがカンバリクに入り、クビライの玉座に座ったという話まで流れた。


******


北京が焼かれたことについては、疑う余地がなかった。

どの帰還者も、火のことを語った。

父が死んだ後、兵士たちは報復を始めたという。

宮殿に火が放たれた。官衙《かんが》が焼かれ、市場が略奪された。住民が殺され、捕虜が処刑された。

首を集めて塔を築いたという報告もあった。

三つの塔を見たという者がいた。七つだったという者もいた。首を積み上げている途中で撤退命令が出たという話もあった。

ある帰還兵は、北京の門の前に築かれた首の塔を誇らしげに語った。

別の者は、軍が退くとき、まだ市内のあちこちで火が燃えていたと話した。


父がその破壊を命じたのではなかった。

父はすでに死んでいた。

それでも、兵士たちは父が生涯に幾度も行ったことを繰り返した。


シャー・ルフは、サマルカンドの石工を思い出した。

デリーから連れてこられた男だった。

その男は、今もモスクのどこかに自分の刻んだ花を残しているだろう。

北京にも、そうした職人たちがいたはずだった。

彼らがどうなったのかは、報告にはなかった。


******


父の死後、帝国の諸王はそれぞれに動いた。


父は生前、ジハーンギールの子ピール・ムハンマドを後継者に指名していた。

しかし、その命令があったからといって、遠くカンダハールにいるピール・ムハンマドが直ちにサマルカンドを支配できるわけではなかった。


ハリール・スルタンはサマルカンドを掌握した。


ピール・ムハンマドは祖父の指名を根拠に、自らの権利を主張した。


西方ではミーラーン・シャーが息子を支えようとしていたが、アゼルバイジャンではカラ・ユースフが勢力を回復しつつあった。


カラ・ユースフは、かつて父に追われた黒羊朝の君主だった。

彼はシリアのマムルーク朝の領内へ逃れ、ジャライル朝のスルタン、アフマドとともに囚われたこともあった。

だが、ティムールが東方へ向かっている間に再び兵を集め、父の死後にはタブリーズをめぐってティムール家の軍と戦った。


ジャライル朝のアフマドもまた、かつての領土を取り戻そうとしていた。


父が西方で打ち破った諸王のうち、生き残った者たちは、それぞれの国へ帰ろうとしていた。


マムルーク朝では、かつて父にダマスクスを奪われた人々が、その死を喜んだという。


アナトリアでも情勢は変わっていた。

父がアンカラで捕らえたオスマン朝のスルタン、バヤズィトは、すでに世を去っていた。

その息子たちは互いに争い、父が生きていた頃からオスマンの国は分裂していた。

ティムールの死によって、その争いが終わったわけではなかった。オスマンの王子たちは、なおそれぞれに兵を集め、都市を奪い合っていた。

シャー・ルフのもとには、彼らの戦いについても報告が届いた。


父はアンカラで一人のスルタンを破った。

しかし、その後のアナトリアを治めていたわけではなかった。


北方ではエディゲがホラズムに圧力を加えた。


シャムス・イ・ジャハーンの死後、モグーリスタンでも新たなハンが立った。


父が生きていれば、ティムール家の諸王はまず父の意向を確かめただろう。

父が死んだ後には、誰もが自分の判断で動いた。

ハリールにはハリールの将軍たちがいた。ピール・ムハンマドには彼を支持する者たちがいた。シャー・ルフにも、ヘラートとホラーサーンを守らなければならない事情があった。

彼らは皆、ティムールの血を引いていた。

しかし、血を引いていることと、父の軍を従わせられることは別だった。


サマルカンドから届く書簡には、次々に新しい名が現れた。

昨日までハリールに従っていたアミールが、今日は別の王子に使者を送っていた。

父の遠征に従軍した将軍が、帰還すると自分の領地に籠もった。

遠い中国から戻った兵士たちが、今度はティムール家の王子同士の戦いに加わった。


シャー・ルフは軍を集めた。


父が残した帝国を、すべてそのまま受け継ぐことはできなかった。

西方では、父が征服した土地が次々に失われた。

アゼルバイジャンではカラ・ユースフが勢力を広げ、ミーラーン・シャーも戦いの中で死んだ。

ピール・ムハンマドもまた、祖父から後継者に指名されながら、その地位を得られないまま世を去った。

ハリールは一時サマルカンドを支配したが、やがてその地位を失った。


シャー・ルフはサマルカンドに入った。

父が東征へ出発して以来、何年もの歳月が流れていた。

街には、父が建てたモスクやマドラサが残っていた。ビービー・ハーヌムのモスクもあった。

父は出発前、シャー・ルフにその完成を命じていた。庭園の水を絶やすな、とも言った。

シャー・ルフは、その言葉を覚えていた。


******


ヘラートの書斎で、シャー・ルフはウルグ・ベグの書簡を閉じた。


息子はサマルカンドを治めていた。

まだ若かったが、すでに多くの官吏や学者を集めている。書簡には税や水路の話だけでなく、数学や天文学の話がしばしば混じった。


父ならば、どう思っただろう。


ウルグ・ベグは祖父のような征服者にはならないのかもしれない。

しかし、まだ若い息子がこれから何をするのか、シャー・ルフにも分からなかった。

父が若かった頃、誰があれほど遠くまで征服すると思っただろう。

父はホラーサーンを取り、ペルシアを取り、インドへ進み、シリアを荒らし、アナトリアでオスマンのスルタンを破った。

そして、老いてなお軍を率い、中国へ向かった。


あの遠征の前、シャー・ルフは父に尋ねたことがあった。

これ以上広げれば、誰が治めるのか、と。


父は答えた。

「おまえたちだ」


あのとき、シャー・ルフは自分たちにそれだけの力があるのかと問い返した。


父は言った。

「ないのか」


その声を、今も覚えていた。


父は息子たちが帝国を治められると信じていたのだろうか。それとも、できなければ滅びるだけだと思っていたのだろうか。

シャー・ルフには分からなかった。

父は死後のことを考えよと言った。

そして、ピール・ムハンマドを後継者に指名した。

だが、後継者を定めることと、その者が帝国を治められることは別だった。


シャー・ルフは、その後の十一年を、父の死後について考え続けて過ごした。

戦いを避けられたわけではない。

軍を送り、城を包囲し、敵を殺した。父に従っていた将軍たちを処罰することもあった。帝国を守るためには、さらに遠くへ兵を送らなければならないこともあった。

それでも、戦いに勝つだけでは足りなかった。

軍が去った後も税が集まること。

水路が壊れれば修復されること。

街道を商人が通れること。

父の名を知らない子供たちが育ち、その子供たちが暮らす街に、父の軍が再び現れなくてもよいこと。

シャー・ルフは、そうしたことに多くの時間を費やしていた。

だが、それによって戦争が終わるとは思っていなかった。


父の征服した世界の外には、まだ多くの王がいた。

西方にはカラ・ユースフとジャライル朝の残した争いがあり、その向こうにはマムルーク朝と、再び勢力をまとめつつあるオスマン朝があった。

北方にはジョチ家の諸王がいた。東方にはモグーリスタンのハンがいた。

さらにその向こうには、明があった。


北京が今どうなっているのか、シャー・ルフは知らなかった。

永楽帝が宮殿を再建したという話は聞いた。焼けた街区に新しい家が建ち、市場が再び開かれたともいう。

一方、かつてティムール軍が築いた首の塔の跡が、今も残っていると語る商人もいた。

シャー・ルフは、その話が本当かどうか確かめようとはしなかった。

父が死んだ都市は、あまりに遠かった。


書斎の外から、夕刻の礼拝を告げる声が聞こえてきた。

シャー・ルフは立ち上がった。

机には、まだ読むべき書簡が積まれていた。

サマルカンドからの報告。マーワラーアンナフルの税収。ホラーサーンの水路。西方の国境で起きた小さな争い。

その一つ一つに、返答しなければならなかった。


父ならば、どこかへ軍を進めていただろうか。


シャー・ルフは、窓から庭園を見た。

水は流れていた。

その水がどこから来て、どこへ流れていくのか、彼は知っていた。

明日も流れるようにするには、何をしなければならないかも知っていた。


机に戻ると、シャー・ルフはウルグ・ベグへの返書を書き始めた。

水路の修復について、いくつか指示を記した。

学者たちへの俸給を認めた。

そして最後に、息子が報告してきた星の観測について、もう少し詳しく知らせるように書き添えた。

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