第13章ノ4 きんぴらごぼう
大きなフライパンに、ほまれがごま油を回しかけると、厨房の中には香ばしく豊かな香りがふわりと広がった。
「ゴボウと人参を千切りにしたっていうことは、きんぴらごぼうでも作るの?」
ひめは、ボウル一杯になったゴボウと人参に目をやった。ゴボウの入ったボウルには水がたっぷりと湛えられている。 これは、ゴボウに含まれるえぐみやアクを取り除くための大切な工程だ。
「そう!」
ほまれは、油がしっかり温まったフライパンの上に、水気を切ったゴボウを素早く入れていった。
ジュワァァーッ! と、水気と油が弾ける威勢のいい音が厨房に響き渡る。ある程度ゴボウに火が通り、少し透き通ってきたところで人参を追加する。そこへ酒大さじ3を入れて全体にからめ、その後、みりん大さじ1、醤油大さじ1、そして砂糖小さじ2を順番に入れていく。最後にこんぶつゆを大さじ1加えた。
甘辛いタレの匂いが湯気とともに立ち上る中、汁気がなくなるまで木べらで手際よく炒め絡め、最後に上から一味唐辛子をパッパッと振りかけて完成だ。
「できた! ほまれ特製、ピリ辛きんぴらごぼう!」
黒の丸皿の上に、ツヤツヤと輝く出来上がったばかりのきんぴらごぼうが小高く盛り付けられた。
「んー! 味も濃い目でおつまみにぴったりね」
ひめが横からスッと菜箸を伸ばして味見をし、シャキシャキと小気味よい音を立てながら満足そうに微笑んだ。
「ゴボウのほうが少し量が多かったから、ごぼうだけでもう一品、何か作ろうか」
ほまれは、ざるに残ったゴボウに目をやった。
先ほどのフライパンをさっと軽く洗い流すと、再び火にかけ、ごま油を新しくなじませる。
チリチリとフライパンがしっかりと温まったところで、残りのゴボウを一気に投入した。今度は、水分を飛ばすように火を入れていく。
すると面白いことに、熱せられたゴボウが端の方からくるくるとねじれ始めた。先ほどのきんぴらごぼうよりも長めに炒めることで、ゴボウの水分が完全に抜け落ち、繊維が収縮して自然と丸まり始めたのだ。
「不思議です……! くるくるし始めました!」
しずくは、フライパンの中でまるで生き物のように次々と形を変えてねじれていくゴボウを、紫色の瞳を丸くして食い入るように見つめた。
「ここまでしっかり火が通って水分が抜けたら、あとは塩と胡椒だけでシンプルに味を調えれば……」
ほまれは、パラパラッと塩をひとつまみまんべんなくまぶし、最後に粗挽きの黒胡椒をピリッと効かせるように振った。
「完成! ねじれゴボウのしりしり!」
出来上がったしりしりは、可愛らしい柄の小鉢へとお上品にふんわりと盛り付けられた。
「これ! シンプルだけど……」
「ごぼうの甘みがしっかり出ていておいしい!」
小町と小鶴は一口味見をしてうなる。
「ありがとう! きんぴらはあまじょっぱい系で調味料の味がしっかりついてるから、しりしりはシンプルにしてみたの!」
ほまれは、腕を腰に当て自慢げに息を吐いた。
***
薄っすらと太陽の余韻が残る藍色の空の下、月見商店街のあちこちで店先の赤提灯がぽつぽつと温かな明かりを灯し始める。
カラカラッ、と少し重たげに引き戸が開く音がした。
「こんばんは……もう、開いてるかな?」
「あ、山本さん! お久しぶりですね」
営業を始めてすぐ、暖簾をくぐってひょっこりと顔を出したのは、すっかり疲れ果てた様子の山本さんだった。いつもよりネクタイも緩み、足取りもどこか重たい。
「いやあ……ずっと来れなくてごめんね。うちの会社、いよいよ本格始動し始めてさ」
山本さんはカウンターのいつもの席にどっこいしょと重たい腰を下ろすと、ふうっと地の底から絞り出すような深いため息を吐いた。どうやら、例の宇宙開発機構『NYASA』のプロジェクトが遂に実稼働し、ここしばらくは連日目の回るような激務に追われていたらしい。
「そうみたいですね! 友達から、近々あの辺りに社宅が完成するって聞きました」
ほまれが明るく相槌を打つ。その横をすり抜けるように、しずくが静かな足取りで近づき、丸めた温かいおしぼりと冷たいお水をそっとカウンターに置いた。「いらっしゃいませ」と小さくお辞儀をするその所作は、この店に来たばかりの頃の不器用さが嘘のように、すっかり板について落ち着いている。
「ありがとう。……そうなんだよ。僕も完成したばかりの社宅に引っ越したから、それもあって引越しやら何やらで時間が全然取れなくてね。慣れない環境のせいか、プレッシャーのせいか……」
そこまで話すと、山本さんは急に周囲の客を気にするように声を潜め、少し身を乗り出した。
「ちょっと、便秘ぎみでさ……。お腹が張ってずっと苦しいんだ。なにか、お腹に優しい料理、ないかな?」
「それなら! 今日の山本さんにぴったりのメニューがありますよ!」
ほまれは弾むような足取りで厨房に戻ると、昼間みんなで仕込んだ『きんぴらごぼう』と『ゴボウのねじれしりしり』を器にたっぷりと盛り付けた。二つの小鉢を、山本さんの前へことんと並べて置く。
「おお、僕ごぼう大好きなんだよ。ごま油のいい匂いだ……」
「はい! ごぼうには食物繊維がたっぷり含まれているので、腸の働きを良くしてくれます!」
山本さんは救世主でも見るような目で二つの器を見つめると、さっそく割り箸をパチンと割り、まずはきんぴらごぼうをたっぷりと一口頬張った。
シャキッ、シャキッ。
心地よい歯ごたえとともに、ホッとする甘辛い醤油の味わいが、口いっぱいに広がる。噛むほどに大地の力強い香りが、疲れ切った体にじんわりと染み渡っていくのがわかった。続いて塩胡椒の効いた『ねじれしりしり』を口に運べば、今度はピリッとした刺激が心地よいアクセントになる。
「んんっ! シャキシャキしててお腹の中から元気になりそうだし……何より、すごくお酒が飲みたくなる味だ! 」
山本さんは先ほどの疲労もすっかり忘れ、パッと明るく目尻を下げる。
「すみませーん! 生ビールも一杯頼むよ!」
すっかり元気を取り戻した常連客の弾むような声が、夜の店内へと心地よく響き渡った。
――しかしその傍ら、客席から少し死角になった店の隅っこで。 しずくは一人、真剣な面持ちで両手を交互に上下させていた。
「にゃんにゃん……猫の手……にゃん、にゃん……」
次の仕込みの時に今度こそ上手に切れるよう、昼間にひめから教わった掛け声とポーズを、密かに反復練習し続けるしずくであった。




