第13章ノ3 文明の利器
ほまれは、店の奥にあるひんやりとした冷暗所から、何重にも新聞紙にくるまれたずっしりと重い束を抱えて戻ってくると、それをどかっとシンク台の上に置いた。
「何これ?」
ひめが不思議そうに新聞紙の端をめくると、ふわりと濃い土の匂いが立ち込めた。中から顔を出したのは、まだ湿った黒い土がびっしりとこびりついた、太く立派なゴボウだった。
「小町……ごぼう大好き!」
小町も目を輝かせながら、新聞紙の中に並ぶ細長いゴボウをそっと取り出し、しげしげと眺めた。
「へえー! 次の料理はゴボウを使うの?」
小鶴は、手が土で汚れるのも全く気にせず、ひょいっとゴボウをわしづかみにした。
「ごぼうって、なんていうか今時な味でしょ。 嫌いな人ってあんまりいないし、いろんな人に愛されるメニューになるかなって思って」
ほまれは銀色に光る金属たわしを手に取ると、流水の下で、シャカシャカとゴボウの泥を落とし始めた。
「どうして、普通のスポンジじゃなくて、その金属たわしをつかうんですか?」
しずくが、瞳を瞬かせながら、興味深そうにほまれの手元を覗き込んできた。
「これが一番、泥だけを綺麗に落とすのにちょうどいいんだよね。硬い亀の子たわしだとゴボウの皮まで傷つけちゃうし、スポンジじゃ溝の泥がうまく落ちないの。もし金属たわしがなかったら、アルミホイルをくしゃくしゃに丸めたやつでも代用できるんだよ」
ほまれが手際よくごしごしとほどよい力加減でこすると、あっという間に黒い泥が洗い流されていく。
「……私も、やってみたいです」
しずくは細く青白い手を伸ばし、金属たわしを受け取った。見よう見まねで、ゴボウの側面をそっと撫でるように金属たわしを動かす。しかし、根菜特有の土は案外頑固にこびりついていて、しずくの弱々しい力ではなかなか落ちてくれない。
「しずく、もうすこしだけ力入れてもいいんじゃない?」
見かねたひめが横からスッと手を差し伸べた。
「こうやって、ぐっと」
ひめが手ほどきしながら力を込めると、さっきまでびっしり張り付いていた土がするると気持ちよく落ちていった。濁った水が流れ去った後には、大地の香りをまとった白いゴボウの美しい肌が、パッと明るく露出した。
「すごい……! きれいに落ちました!」
しずくの顔がぱっと笑顔になる。一本すべての土を落とし切ると、彼女は洗い立てのゴボウを高々と掲げた。
「すごいね、しずくちゃん! 次はこの大量のゴボウを、全部千切りにしていこうか!」
ほまれがパンッと手を叩いて気合を入れると、その言葉を待っていたかのように、小鶴と小町が「よいしょー!」と元気な声を合わせて、分厚くて大きなまな板を運んできた。
「ありがとう。最初にゴボウを薄切りにしていきます」
ほまれは使い慣れた包丁を取り出すと、まな板の上にスッとゴボウを置いた。トントン、トントン、と小気味よい音が厨房に響き始める。包丁の刃が2ミリほどの絶妙な厚さで、ゴボウの端から斜めに入っていく。切るたびに、みずみずしい断面からふわりと土と木の入り混じったような良い香りが広がった。
ひと通り切り終えると、ほまれはその薄切りになった楕円形のゴボウを、少しずつずらしながら綺麗に並べた。左手をぎゅっと丸めた手本のような『猫の手』で器用に食材を固定し、今度は端から縦にトトトトッ! と一段と早いリズムで細く切っていく。 すると、さっきまで無骨だった根菜が、あっという間に見事な千切りへと姿を変えていった。
「へぇ。さすが結構上手ね、ほま」
ひめは、まな板の上に次々と出来上がっていく千切りの山を感心したように見つめた。ほまれが切り上げたゴボウは、どれも細さが均等に揃っていて、まるで芸術品のように美しい。実家で日常的に料理を見てきたひめの目から見ても、その包丁さばきは確かなものだった。
「ふふっ、ここで均一に切っておくと、火の通りも同じになるし、味のばらつきが減るんだよね」
ほまれは褒められて少し照れくさそうに微笑みながらも、決して手は止めない。
「ささがきにしたり、乱切りにしたり……ゴボウって、切り方を変えるだけで食感も変わっていろんな料理ができるから、切っててすごく楽しいよね!」
ほまれは心底楽しそうに目を輝かせながら、軽快なリズムでトントンと心地よい音を立ててゴボウを切り続けていく。あっという間に一本分を切り終えると、ほまれはくるりとみんなの方へ向き直った。
「じゃあ、これを手本にして……双子ちゃんには、残りのゴボウを切るのを手伝ってもらおうかな!」
ほまれは安全のために包丁の刃をスッと外側に向け、空いたまな板の前へ小鶴と小町を優しく誘導した。
「小町……困った。こんなに上手にできるかな……」
「小鶴も、自信ない……」
小鶴は、不安げに小町の袖をきゅっと掴んだ。二人はしょんぼりと肩を落とし、まな板の上にこんもりと盛られた、ほまれの美しすぎる千切りをまじまじと見つめた。手本が完璧すぎて、かえってハードルが高く見えてしまったようだ。
「大丈夫大丈夫!」
ほまれは笑って二人の背中をぽんぽんと軽く叩く。
「私も、ここまで均等に切れるようになるまで、けっこう時間がかかったんだ。 最初は太さがバラバラでも、一生懸命切れば味が染みて美味しくなるよ」
その言葉に少しだけ勇気づけられたのか、小鶴がこくりと頷き、おそるおそる包丁を手にとった。ほまれはそんな小鶴の小さな手元を隣で丁寧に見守りながら、少し離れた場所にいるひめとしずくにも明るく声をかけた。
「ひめとしずくちゃんは、人参の千切りをお願いできるかな?」
ひめは大きく頷くと、業務用の冷蔵庫へ向かった。鮮やかなオレンジ色をした大量の人参を抱えて戻ってくると、ぽん、ぽんっ、とテンポ良く、しずくの華奢な手の上に乗せていく。
「私もね、お店の手伝いしてたから千切りは結構得意なの。しずくには、私が教える!」
ひめは頼もしく胸を張って宣言すると、ほまれたちのすぐ隣にもう一枚まな板をセットした。そして、まるでほまれのお手本に続くように、迷いのない手つきで人参を切り始めた。
「すごいね、ひめ!」
次々と素早く出来上がっていくオレンジ色の山を見て、ほまれが感嘆の声を上げた。切り口の均一さこそほまれの丁寧な仕事には及ばないものの、実家の居酒屋で培われたスピード感は段違いに早い。
「まぁね! ……でも、しずくはこんなに早く切らなくていいから。ゆっくり、丁寧に、指に気を付けて。とにかく安全第一に! 基本は猫の手!」
ひめは、しずくの前で左手をぎゅっと丸め、猫の手を作って見せた。
「……こうですか?」
ひめに教えられた通り、しずくは左手を丸めてみる。しかし、力みすぎているのか、猫の手というよりも、今にもパンチが繰り出されそうな硬いグーの手だった。
「ちがうちがう! こうよ! にゃんにゃん! 猫の手!」
ひめは、アイドルのように顔の前で両手を使って猫のポーズをとった。動きに合わせて、ピンクのツインテールがふわりと揺れる。
「え……えっと。にゃん、にゃん、猫の手!」
しずくは、見よう見まねでひめのポーズをマネした。右手と左手を丸め、にゃんの掛け声に合わせてぎこちなく上下に振る。制服のフリルが、しずくの一生懸命な動きに呼応するようにふわりと揺れる。
「なかなか、かわいいじゃん……」
ひめは、肯定しているのか嫉妬しているのかわからない複雑な表情で、ぷくっと頬を膨らませた。
「まぁいいわ。そのまま、その手をまな板まで持ってきて」
にゃんにゃんポーズをとったしずくの手をそっと握り、ひめはそのまままな板の上まで誘導した。先ほどよりも幾分か力が抜け、しっかりとした猫の手になっている。
「それで……そのまま指に沿わせて……切る!」
ひめの掛け声とともに、しずくが包丁を持った手に力を入れると、人参は驚くほど簡単に切れた。
「猫の手にすれば指は切らないし、野菜も固定できるからいいでしょ。次は一人でやってみな」
ひめはそう言うと、しずくの手から自分の手を離した。
「は……はい」
カタンッ! ガンッ! カタンッ!
到底野菜を切っているとは思えない、不器用で重たい音が厨房に響き渡る。しずくの持つ包丁の手元が滑り、力任せにまな板に激突しているのだ。切られた人参は、千切りというよりは不揃いなブロック状に転がっていく。
「見てるこっちがヒヤヒヤするっ!!」
不安定に揺れる包丁の刃が、しずくの青白い指先をかすめるたびに、横で見ているひめから「ひぃっ」と小さな悲鳴が上がった。
「わ、わかったわかった! ストップ! しずくはこっちから始めよう!」
耐えきれなくなったひめが慌ててしずくの手を止めると、厨房の棚をゴソゴソと漁り始めた。そして、千切り用の刃がセットされたプラスチック製のスライサーを引っ張り出してきた。
「ほま! これ使ってもいいよね?」
「もちろん!」
ほまれが明るく肯定すると、ひめは心底ホッと安堵の息を吐き、まな板の代わりにスライサーと大きめのボウルをしずくの前にセットした。
「見ててね。こうやって……」
ひめは色鮮やかな人参を手に取ると、使い方を説明しながら、スライサーの刃の上を滑らせていった。
シャッ、シャッ、シャッ!
リズミカルな音が鳴るたびに、スライサーの下にセットされたボウルの中へ、次々と均一で美しい千切りの人参が降り積もっていく。
「す、すごいです……!」
まるで手品でも見ているかのように、しずくは紫色の瞳をキラキラと輝かせた。
「少しだけ人参を斜めに当てるのがコツ。そうすると、ほまが切ったゴボウと同じくらいの長さになるから」
ひめは手際よく一本分の人参をスライスし終えると、新しく丸々とした人参を手に取り、しずくの華奢な手へと手渡した。
「はい、やってみて! でもこれも、油断すると指先までスライスして切っちゃうから。人参が小さくなってきたら、スピードを緩めること。」
ひめの念押しに、しずくは瞳に真剣な光を宿して、こくりと力強く頷いた。そして、教えられた通りに少し斜めに傾け、手にした人参をスライサーに当てて動かし始めた。
ゴリッ、ゴリッ、ゴリッ……!
ひめがやった時の「シャッシャッ」という軽快な音とは違い、力加減がわからず不器用に体重を乗せた、重たい音が厨房に響く。しかし、音こそ無骨でも、ボウルの中にはスライサーの確かな働きによって美しい千切りの人参が次々と降り積もっていく。
誰が切っても均等に仕上がる綺麗な千切りの山を眺めながら、ひめはふうっと息を吐いてぽつりと呟いた。
「……文明の利器ね」




