第12章ノ5 ガレットで一杯
一行は、立ち並ぶシャッター街を過ぎ、こいこいへと戻ってきた。
ガラガラ、と古びた引き戸を開けると、少しひんやりとした店内の空気が一行を迎える。
「……昔と変わってないわね」
店内をゆっくりと見渡しながら、澪がぽつりと呟いた。その声には、冷ややかな響きの中に、ほんのわずかな懐かしさが混じっているようにも聞こえた。
「そちらのテーブル席で少々お待ちください」
ほまれは落ち着いた声で澪を案内すると、真っ直ぐに厨房へと向かった。
制服を手に取り、腰の紐をきゅっと力強く結び直す。調理台の前に立ち、よし、と小さく息を吐いたその時だった。
「ねぇ」
横から、ひめがひょっこりと顔を出した。
「あんなに威勢よく啖呵切ってたけど、もうレシピ思い浮かんでるの?」
ひめは声を潜めつつも、心配そうにほまれの顔を覗き込んでくる。その後ろでは、しずくと双子も不安げにこちらを見守っていた。
「ちょっと考えてるものがあるんだ。昔、おじいちゃんに初めて自分だけで開発した料理をふるまったことがあって……」
ほまれは、朝双子が収穫したまま無造作にシンクに置かれた枝豆に目をやった。
「みんなも手伝ってくれる?」
「当たり前でしょ」
ひめが腕まくりをして前に出ると、しずくも、双子たちも、目を輝かせて力強く頷いた。
「じゃあ小町ちゃん小鶴ちゃん。さっき収穫してくれた枝豆、塩茹でにしてサヤから出してくれる?」
「小町にまかせて!」 「小鶴もやる!」
双子は元気よく返事をすると、鍋にたっぷりの水を張り、塩を加えた。沸騰したお湯に枝豆を入れて色鮮やかに茹で上げると、ざるにあげて粗熱を取る。そこから、つるん、つるんと鮮やかな緑色の実を器用にボウルへ弾き出し、マッシャーで丁寧に粗めに潰していった。
「しずくちゃんとひめは、ジャガイモをゆでてつぶしてもらえるかな」
「は、はいっ!」
ひめとしずくは手分けして皮を剥いたジャガイモを茹で、柔らかくなったところをボウルの中でホクホクに潰していく。
「よし、みんなありがとう! あとは私に任せて!」
ほまれは、まず潰した枝豆のボウルに塩コショウを振り、ピザ用のチーズをひと握り入れて混ぜ合わせる。次に、マッシュにしたジャガイモのボウルには、チリパウダー、塩コショウ、ガーリックパウダー、コンソメパウダーを加えて味を整えた。
鮮やかな緑色の枝豆のタネと、ほんのり赤みがかったスパイシーなポテトのタネ。ほまれはそれぞれのタネを分けて、一口大の丸い形に整えていく。
「厚さは5ミリくらい。こうするとカリカリ感が出るんだ」
フライパンに多めの油を引き、2種類のタネを並べていく。ジュウッという音とともに、ガーリックとチーズのたまらない香ばしさが立ち上った。 底面にカリッと焼き目が付いたのを見計らい、ほまれはフライパンをぱっと煽ってひっくり返す。裏面にもきつね色の美しい焼き目をつけ、両面をカリカリに仕上げていく。
「完成! 枝豆とポテト、2種類のミニガレット!」
ほまれは、お盆に色鮮やかな2種類のガレットと、よく冷えた日本酒を乗せ、ゆっくりと厨房を出た。
フロアのテーブル席で静かに待っていた澪が、近づいてくるほまれを見上げる。 ほまれは澪の目の前に、食欲をそそる2色のガレットと、並々とお酒を注いだグラスをトン、と置いた。
「お待たせしました! これで一杯どうぞ」
ほまれの声は、静かな店内に、凛として響き渡った。
澪は出された2種類のガレットを見つめ、静かに箸を伸ばした。 サクッ、と香ばしい音を立てて端を切り取り、口へ運ぶ。
「…………」
ゆっくりと咀嚼した澪の目が、わずかに見開かれた。 多めの油でカリッと焼き上げられたジャガイモの香ばしさと、チリパウダーのピリッとした心地よい刺激。そしてもう一つは、チーズの濃厚なコクに負けない枝豆の豊かな甘みとホクホクとした食感。計算され尽くしたかのようなその絶妙な味わいの違いに、澪の口から思わず素の言葉が漏れる。
「……おい……しい」
もはや記者としての威圧感はそこにはなかった。澪はしっかりと口いっぱいで味わうようにガレットを頬張り、その余韻を持ったまま、グラスの日本酒をくいっと一口煽った。 ふぅ、と小さく満足げな息を吐く。
その光景を少し離れた壁際から見つめていた五郎は、ふっと目を細めた。 ガレットの香ばしい匂いと、日本酒のふくよかな香り。それが、五郎の脳裏に深く刻み込まれた「あの夜」の記憶を呼び覚ましていた。
――あの頃、俺はまだただの太った看板猫としてそこにいた。
五郎の視界が、いつものレジ横の座布団からの景色へと切り替わる。
客が帰り、シャッターを下ろした後の静かな『こいこい』。 厨房から、パタパタと小さな足音が聞こえてくる。背伸びをしてやっとテーブルに届くほどの小さなほまれが、両手でお盆を大事そうに抱えて出てきた。
お盆の上には、お猪口と徳利。そして、今澪が食べているものよりもずっと形が不格好で、端っこが黒く焦げた枝豆のガレットが乗っていた。
『おつかれさま、おじいちゃん。これで一杯どうじょ!』
小さな手で一生懸命に作ったおつまみをテーブルに置き、テレビか何かで見た大人の真似をして、えっへんと胸を張る幼いほまれ。
その少しこましゃくれた言い回しがたまらなくおかしくて、愛おしかった。 先代は、目尻に深いシワを寄せて「こいつは世界一うまいアテだ」と腹を抱えて笑い、五郎もまた、特等席から喉をゴロゴロと鳴らしてその光景を見守っていた。
(……そうだ。この店は、いつもこうやって誰かを笑顔にしてきたんだったな)
五郎は、目の前でガレットを味わう澪と、厨房の入り口で固唾を飲んで見守るほまれを交互に見た。そして、誰にも聞こえないほど小さな声で、優しく呟いた。
「よかったな。先代。」
***
数日が経ち、『こいこい』のポストの中に、見慣れない封筒が入っていた。 中には『青短新聞』と、一枚の小さなメモ書きが入っていた。
『今度は、双子ちゃんの取材をさせてね♡』
達筆な文字の横に添えられた不似合いなハートマークを見て、ほまれはパッと顔を輝かせた。
「みんな、見てみて! 澪さんから新聞が届いた!」
急いで店内に駆け込み、仕込みをしていたひめたちに声をかける。
「えっ、マジ!?」
さっそく見てみようと、ほまれとひめたちはテーブルに新聞を広げた。しずくや双子、そして厨房から出てきた五郎も、興味津々で背後から覗き込む。
どこに載っているのだろうと、ガサガサと数ページ捲ったその時。
「なんじゃこりゃ!!」
五郎の素っ頓狂な声が、店内に響き渡った。 紙面の一角に、でかでかと掲載されていたのは……なんと、だらしなくソファに寝転んだ『大五郎』の写真だった。
「こ……こんな写真、いつの間に……っ」
五郎は動揺を隠せない。
「喫茶店で、二人が出て行ったあと……澪お姉ちゃんにスマホ渡されて、『こいこいの看板猫ちゃんのオフショット、可愛い写真送ってね』って言われて……」
小鶴が指先をちょこんと合わせながら、少し申し訳なさそうに言った。
「小町、スマホの中探した。お腹出して大あくびしてる大五郎、一番かわいかったから、送った」
「小鶴も、日向ぼっこで白目むいて寝てたやつ、送った!」
双子は顔を見合わせて、満足そうに「えへへ」と笑い合う。純真な笑顔に、五郎は崩れ落ちるように頭を抱えた。
「それより、なにこれ。お店の写真より、大五郎の方がよっぽど大きいじゃん」
ひめが呆れたような声を上げた。
ほまれは目を丸くしながら、その横の大きな見出しを読み上げた。
「『月見商店街に、おじさん猫現る!』……」
記事の内容を追っていくと、そこには料理の詳細よりも、「月見商店街には猫がたくさん住み着いていて可愛らしい」という、地域コラムのような内容が熱く語られていた。
「なんだぁ。あんなに気合い入れて、せっかくおもてなししたのに……」
ひめが口を尖らせてふてくされる。五郎は「俺を晒し者にしやがってあの女……!」と頭を抱えていた。
しかし、その時。
「あ……ほまれちゃんここ、見てください」
記事の隅をじっと見つめていたしずくが、控えめに指を差した。
そこには、小さな追記文として、こう添えられていた。
『また、若いかわいらしい料理長が作るおつまみも非常に美味。』
ひめは、ぱっと顔を上げほまれを見た。
「ほま!」
ほまれは、記事を見つめたままそっと嬉しそうにほほ笑んだ。




