第12章ノ4 遺跡公園
真夏の陽炎が揺れるアスファルトを抜け、二人は喫茶店の向かいにある遺跡公園へと辿り着いた。 かつては賑わったであろうこの公園も、今はセミの鳴き声だけがやけに大きく響いている。五郎は、生い茂る草むらの奥にひっそりと佇む、古ぼけた石碑の前に足を止めた。
「……俺もじいさんも、当時は少し意地っ張りになっちまってた」
五郎は石碑を見つめたまま、独り言のように呟いた。
「昔、この街が本格的に寂れ始めた頃、澪は熱心に通い詰めて提案してきたんだ。『青短新聞』で大々的に特集を組んで、外部から人を呼び込もうってな。あいつなりに、この街を……俺たちを、救おうとした」
五郎の拳が、静かに握りしめられる。
「だが、爺さんは首を縦に振らなかった。俺も……反対した。今の穏やかな繋がりが、消費されるだけの観光地に変わっちまうのが怖かったんだ。……その結果が、今のシャッター通りだ」
五郎は自嘲気味に鼻で笑うと、ようやくほまれの方を振り返った。その背中は、背負い込んだ後悔の重さで少し小さく見えた。
「俺たちが意地を張ったせいで、お前らには、大変な思いをさせてる」
「大五郎のせいじゃないよ。私も、私の家族も、月見商店街をほったらかして東京に行ったんだもん」
「ほまれ…」
ほまれがまだ小さかった頃、両親は「東京で自分の店を構えたい」と言ってこの街を離れた。東京という大きな舞台で腕を試したいという父の言葉は本当だろう。だが、活気を失っていく月見商店街から逃げ出したいという焦りがあったことも、幼いほまれは子供心に感づいていた。
「だからこそ、私はもう逃げたくないの。おじいちゃんが愛したこの場所を、自分の手で守りたい」
ほまれは五郎の目をまっすぐに見つめ、満面の笑みを向けた。
「今度は一緒に、みんなで、この商店街を立て直そう」
その素直な笑顔の眩しさに、五郎の心がきゅっと締め付けられた。
「本当…お前が先代の孫でよかったよ」
五郎は静かに石碑の方を見た。 その視線につられるように、ほまれも古ぼけた石碑へとそっと手を伸ばす。ざらついた石の表面は、真夏の太陽をたっぷりと吸い込んで驚くほど熱かった。
だが、単なる石の熱さではない。その奥底から、まるで遠い昔の誰かの鼓動が流れ込んでくるような、不思議で懐かしい感覚が手のひらを伝わってきた。 その見えない温もりに背中を押されるように、ほまれは口を開いた。
「ねぇ……大五郎って、どうしてこの街のために、そこまで一生懸命になってくれるの?……この街の看板猫だから?」
唐突なほまれの言葉に、五郎の瞳孔が縮まる。
「それは…俺は…この町が好きだから…いや…あの子に…」
大五郎の脳裏に浮かぶ記憶。 ぱやぱやの毛をはやした小さな三毛猫を柔らかい優しい手が優しくなでる。
『大五郎は、とってもかわいいね。ずっとずっと一緒にいようね』
石碑をなでる五郎の手が止まる。
「 あの子に…?」
とその時だった。
「おーーい! いつまで二人きりで内緒の会話してんのよぉ!」
ひめの茶化すような声が飛んできた。 振り返ると、公園の入り口に、ひめを先頭にしてしずくと双子が立っている。そしてその後ろには、日傘を差し、涼しげな顔つきの澪の姿もあった。
「話は終わった? 取材できないなら、私そろそろ帰るけど……」
澪は、日傘の影の中で眼鏡のブリッジをくいと押し上げた。レンズの奥の瞳は、ほまれと五郎の様子を冷徹に値踏みしているようだ。
「待ってください。少しだけ時間ください」
ほまれは澪から視線を外し、追いかけてきてくれた『こいこい』のメンバーたちに向き直った。
「みん……みんなの意見が欲しいの。新聞の取材を受けたら、きっとお店が忙しくなって、みんなに無理をさせちゃうかもしれない。だから……これから『こいこい』をどうしていくか、私一人で決めるんじゃなくて、みんなで考えたいの」
ほまれは一人ひとりの顔を見渡しながら、まっすぐに想いを伝えた。文化祭で自分の理想を押し付けて孤立し、失敗したあの頃とは違う。今のほまれには、一緒に考え、一緒に悩んでくれる大切な仲間がいる。
「私は、取材受けるの賛成。私の店も、新聞に載ってから景気良くなったし」
ひめは腰に手を当て、力強く即答した。その言葉には、花見横丁を生き抜いてきた彼女なりの確かな実感がこもっている。
「小町は……恥ずかしいけど、みんなにかわいがってもらえるの、悪くない」
「小鶴もちょっとこわいけど。でも、かわいく映れるならそれもいいかな」
双子が互いの手をぎゅっと握り合いながら言うと、しずくは不安そうに身をすくませた。
「私……少し不安です。たくさん人が来たら、猫ちゃんたちも怖がっちゃうかもですし……」
しずくはそこで言葉を切り、きつく唇を噛んだ。しかし、顔を上げると、ほまれを見つめ返した。
「でも。最後に決めるのは、ほまれちゃんです。私は『こいこい』のメンバーとして、ほまれちゃんについていきます」
その言葉に、ほまれの胸の奥がじんわりと熱くなった。 いつの間にか、自分は一人じゃなくなっていた。こんなにも不器用で、優しくて、愛おしい居場所ができていたのだ。
「ありがとう、みんな……決心がついたよ」
ほまれは小さく深呼吸をして、再び澪へと向き直った。もう、迷いはなかった。
「澪さんが良ければ、ぜひ取材受けさせてください! 私、この商店街を復活させたいんです!」
ほまれは、横目で五郎の方を見る。五郎も、かつての呪縛から解き放たれたような、穏やかで力強い笑みを浮かべて頷いた。
「もちろん、こちらこそよろしくお願いするわ……でも」
澪は日傘をすっと閉じ、一歩前へ踏み出した。周囲の空気が、ピンと張り詰める。
「私はこれでもプロの記者なの。ただの同情や昔話で、生半可な記事は書きたくないわ。『こいこい』を取材するにあたって、まずはしっかり料理の味を見させてもらう。そのうえで、私が納得したら記事にする。……それでもいいかしら?」
「ふーん……。いかにも、お高く留まった記者様って感じ」
張り詰めた空気を切り裂くように、ひめがツインテールを指でくるくるといじりながら嫌味を放つ。だが、ほまれは怯まなかった。むしろ、その重圧を真っ正面から受け止め、澪の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「それで構いません」
ほまれの声は、真夏の空に吸い込まれるように澄んでいて、不思議なほど落ち着いていた。
「おいしい料理を作れないのに、お客さんが押し寄せてきても恥ずかしいだけですから。……私たちの味、確かめに来てください」
「いい覚悟ね。じゃあ、今からお邪魔してもいいかしら。もちろん、準備はしてくれて構わないから」
澪は、まるで獲物を追い詰めるような笑みを浮かべて、さらりと言ってのけた。
「い、今から、ですか!?」
ほまれが思わず素っ頓狂な声を上げた。一瞬、冷蔵庫の残り食材や準備不足への不安が脳裏をよぎる。隣でしずくが小さく身を震わせ、ひめは「本気?」と呆れた顔を澪に向けた。
だが、五郎だけは不敵に口角を上げ、ほまれの肩にポンと大きく温かい手を置いた。
「いいじゃないか。お前ならできる。ほまれ」
その温もりに、ほまれの肩の力がすっと抜けた。
「わかった。」
ほまれは、力強くうなずいた。




