第12章ノ3 先代と大五郎
「で……。仕込みをほったらかして、俺の後を追ってきたわけか」
五郎は天を仰いで、これ以上ないほど大きなため息をついた。もはや言い逃れもできない状況に、5人は店員の計らいで隣の席をくっつけてもらい、五郎たちと合流することになった。
「ごめんなさいね。私のせいで……私、藤井 澪。こういう者よ」
五郎の向かいに座っていた女性は、ほまれに名刺を差し出した。どこかこの状況を楽しんでいるような不思議な笑みを浮かべている。 その洗練された大人の余裕と、テーブルの上に無造作に乗せられた、ひめをも凌ぐかもしれない豊かな胸元。
そのいい女感に、ほまれは無意識にむすっと唇を尖らせた。隣に座るひめも、澪の胸元を油断なく睨みつけている。
「知ってます」
ほまれが少しだけ刺々しい声で真っ直ぐに見つめ返すと、横から五郎が口を挟んだ。
「お前が店の前に落としていった名刺だ。この子たちが拾ったんだよ」
五郎はポケットから少しシワになった名刺を取り出し、澪に返した。
「あら、そうだったの。……やだ、かわいこちゃんたちを前にすると、ついテンパっちゃってダメだわ」
澪は顔を上気させながら、小鶴と小町に熱い視線を送った。どうやら二人をたいそう気に入ったらしく、隠しきれない笑みを向けている。その豹変ぶりに、双子は少し身を引いて顔を見合わせた。
ちょうどそこへ、ウェイターが五人分のジュースを運び、テーブルに並べていく。 ほまれはストローのささったオレンジジュースのグラスを手元に引き寄せると、ぎゅっと握りしめた。五郎と澪の間に流れる、自分たちには入り込めない空気。それがどうしても気に食わない。
「ところで……二人は何を話してたんですか?」
ほまれはオレンジジュースのストローを軽く噛みながら、探るように二人を見つめた。
「何って……秘密の会話よ」
全く答えになっていない返答に、さらにほまれの顔がゆがむ。だが、この威圧感がある女性にほまれは言い返せないでいた。 その時、ほまれのとなりに座っていたひめが、自分の胸をわざとらしく突き出した。
「秘密じゃわからないので、教えてください!」
同時に、ひめの自慢の胸がぼよよんと大きく揺れる。
「そんなに知りたいなら五郎さんに聞けば?」
澪も負けじと、自分の豊かな胸をこれでもかと突き出して対抗する。
目のやり場に困った五郎は、深々とため息をつきながら大きな手で顔を覆った。
「取材だ、取材……。頼むから、そのみっともない争いはやめてくれ」
「やっぱり、取材で来てたんですね」
ほまれはストローから口を離し、澪を真っ直ぐに見据えた。すると澪は、すんと冷たい表情に戻り、先ほどまでの大人気ない態度を嘘のように引っ込めた。眼鏡の奥の瞳が、猫のように鋭くほまれを射抜く。
「ええ、そうよ。こっそり取材するつもりだったのに、見つかって追いかけまわされたわ。……ねえ、五郎さん? 昨日の夜なんか、ずいぶんと執拗に追いかけてきたじゃない」
「うっ……」
澪にチクリと刺され、五郎は気まずそうに視線を逸らした。
「え……? 」
ほまれは目を丸くした。昨晩、五郎が血相を変えて路地裏を追いかけていた、見慣れないハチワレ猫。ほまれの視線が、無意識に澪の「黒髪のツインテール」へと向く。特徴的な前髪の分け目と、ツインテールのシルエットが、あの夜のハチワレ猫の模様と見事に重なった。
「おかげでこっちは、ゆっくり商店街の現状を見て回ることもできなかったわ」
澪は呆れたように小さく息を吐くと、スッと目を細めた。
「……あのおじいさん…こいこいの先代が亡くなったって、風のうわさで聞いて見に来たの」
「おじいちゃんを……知ってるんですか?」
「ええ、よく知っているわ。そして……ご覧の有様じゃない。やっぱりあの時、私が言った通り、この商店街も新聞に載せて世の中へ大々的にアピールするべきだったのよ」
澪は手元のコーヒーカップを指先でなぞりながら、冷ややかな声で告げた。
「あの時……?」
ひめが怪訝な顔で首を傾げると、澪は五郎の方をちらりと一瞥した。五郎は気まずそうに視線をそらし、腕を組んで黙り込んでいる。
「花見横丁は私の記事と『下町アイドル・ねこまんま!』で息を吹き返した。でも、大五郎とあなたのおじいさんは、私の提案を蹴ったわ。その結果が今のこの惨状よ」
澪の言葉が、重く冷たく、ほまれの胸に突き刺さる。
「……月見商店街に取材の話が来てたの? そんな話、一回も聞いたことない。ましてや、おじいちゃんが断ってたなんて……」
ほまれは、ショックを隠せなかった。
「爺さんは、人と人のつながりを大切にしたかったんだ。一時の盛り上がりじゃなくな。現に、この商店街には嫌な奴が一人もいねえ。あったかくて、お節介な、優しい奴らばっかりだ。……多分、ほまれのじいさんは、それが壊されちまうのが怖かったんだろう」
五郎が静かに語った言葉に、ほまれは唇を噛んだ。 確かに、月見商店街の人々はみんな家族のように温かい。ほまれは隣に座るひめや、不安そうに身を寄せるしずく、双子たちの顔をそっと見渡した。血は繋がっていなくても、互いを思いやれるこの温かい居場所。おじいちゃんが愛し、守り抜こうとした「繋がり」の尊さが、今のほまれには痛いほどよくわかった。
だが、澪はグラスの氷をカランと鳴らし、冷酷な現実でその余韻を一刀両断した。
「それでも、商店街がなくなってしまったら元も子もないわ」
澪の正論に、店内の空気が凍りついたような静寂に包まれる。ひめもしずくも、双子でさえも、返す言葉が見つからずに俯いた。
「……ほまれ。少し、歩かないか」
「え……?」
不意に名指しされたほまれは、ストローから口を離し、目を丸くして五郎を見つめ返した。普段のぶっきらぼうな彼とは違う、どこか重く、哀愁を帯びた静かな声色だった。
五郎は腰をあげ、ポケットから出した札をテーブルに無造作に置くと店を出た。
「あ、五郎さん! 待って!」
ほまれは慌ててオレンジジュースを飲み干し、ひめたちに「待ってて!」と目配せして、五郎の広い背中を追った。




