第11章ノ2 香辛料かおる無限ピーマン
ほまれは、仕切りの暖簾のわずかな隙間から、恐る恐るカウンターを覗き込んだ。よりにもよって、厨房の中が一番よく見えるど真ん中の席。そこに源蔵はどっしりと腕を組み、仁王立ちならぬ「仁王座り」で鎮座していた。
「小鶴ちゃん……なんで、おじいさんまだ帰らないの……?」
「おじいちゃん、変なところですごい頑固だから……。たぶん、納得する料理が出てくるまで、テコでも動かないつもりかも」
小鶴もほまれの隣から覗き込むようにして、カウンターの様子を伺う。すると、こちらの気配を察したのか、源蔵がわざとらしく厨房に向かって声を張り上げた。
「おいしいピーマン料理を期待しておるぞー!」
その声に、ほまれの肩がビクッと跳ねる。
「……はぁ。やるしかないか…」
ほまれは諦めたように、シンクの横に山積みされたピーマンに目をやった。ツヤツヤと輝く緑色の山は、今のほまれには、乗り越えなければならない巨大な壁のように見えた。
ほまれは、まず自分自身がピーマンの「どこ」が嫌いなのかを、改めて確かめることにした。ピーマンをひとつ手に取ると、まな板の上でほんの少しだけ端っこを切り落とす。ほまれは意を決し、そのまま切り落とした欠片を口に含んだ。
「うぅ……っ」
今にも吐き出しそうになりながらも、ほまれはなんとか咀嚼し、ピーマンの味を確かめた。
「あんた、結構根性座ってるわね」
「て、敵を知らなきゃ……勝てないから……っ!」
ほまれは涙目で身震いしながらも、ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。ひめは呆れつつも、感心したように小さく息を吐く。
ほまれは手早く涙を拭うと、ピーマンに向かい合った。 ピーマン4個を半分に切り、中の種を綺麗に取り除く。ピーマンは縦切りにしたほうが細胞の繊維が壊れにくく、苦みを感じづらい。丁寧に5ミリ幅の細切りにしていく。 切ったピーマンを耐熱容器に入れ、少し湯気が出るまで電子レンジで加熱する。500ワットで1分半ほど。
その間に、別のボウルに油をしっかり切ったツナ缶を一つ入れる。そこに昆布つゆを大さじ2分の1、マヨネーズを適量、粗挽き黒胡椒、クレイジーソルトを少々加えてよく混ぜ合わせておく。 レンジから取り出した熱々のピーマンをボウルに加え、全体に味が馴染むようにサックリと和えた。
「ねぇ、しずくちゃん……ちょっと味見してみて……」
ほまれは申し訳なさそうに、菜箸で摘んだ試作段階のピーマンをしずくに差し出した。
「さっきちょっと食べられたんだから、味見くらい自分でしなさいよー」
ひめが呆れたように言うが、ほまれは我関せずといった様子で、しずくの口元へ「食べて、食べて」と必死に箸を突き出す。
「い、……いただきます」
しずくは断り切れず、小鳥のように口を開けてピーマンを口にした。シャキシャキと静かに咀嚼する音が響く。
「……あ。おいしいです。ツナの味がして、苦くないです」
「ほんと!? よかったぁ……」
ほまれはホッと胸を撫で下ろした。
「よし! 香辛料香る無限ピーマン、ほまれバージョン完成!」
ツナの旨味とマヨネーズのコクでピーマンの青臭さを完全にコーティングし、さらに粗挽き胡椒とクレイジーソルトを加えることで、風味を引き締めた自信作だ。ほまれは小鉢にそれを盛り付けると、カウンターで待ち構える源蔵の前に、そっと差し出した。
「お待たせしました……。あの、食べてみてください」
源蔵は無言で割り箸を割ると、無限ピーマンをたっぷりと掴み、口に運んだ。 厨房のほまれ、そして後ろで見守るひめやしずく、双子たちが固唾を呑んで見守る。
「…………」
源蔵はゆっくりと咀嚼し、そして静かに箸を置いた。
「……うん。確かに苦みはない。ツナとマヨネーズの味で、子供でも食べやすい味付けになっとる」
「じゃ、じゃあ……!」
ほまれの顔がパァッと明るくなりかけた、その時だった。
「だが、これだとマヨネーズ味のピーマンだな」
茶目っ気はあるが、本質を突く鋭い指摘に、ほまれは言葉も出なかった。
「これは、これでおいしいよ」
源蔵は、さらに何度か無限ピーマンを口に運んだ。
「小町…一口食べてみる」
「小鶴もいただきまーす!」
双子はほまれに近寄ると、小鉢の無限ピーマンを興味津々といった様子で覗き込んだ。小町が小さな手で箸を握り、おそるおそるツナにまみれたピーマンをパクリと口に入れる。小鶴もそれに倣って、小さな口をモグモグと動かした。 二人の目が、ぱちくりと丸くなる。
「小町、これ好き! すごいおいしい!」
小町はパッと花が咲いたような笑顔になり、両手で幸せそうにほっぺたを押さえた。
「小鶴も、これ、好きだよ! ツナの味がしてずっと食べちゃう」
小鶴も弾むような声でそれに続く。双子は、自分たちが育てたピーマンが立派な料理になったことが嬉しいようで、満面の笑みで次々とピーマンを頬張った。きっちりとした味付けに、双子は満足そうだ。 だが、やはり繊細な味を好む源蔵は納得がいっていないようだ。
ほまれ自身うすうす感づいてはいた。この無限ピーマンは確かにおいしい。だが、源蔵が求めているものは違う。ピーマンの苦みや青臭さを「消す」のではなく、「生かす」料理を作らなければ……。 考え込むほまれに、源蔵がふっと表情を和らげて声をかけた。
「すまんすまん。少々意地悪をしすぎたな。君のおじいさんの腕を私はよく知っているから、つい、孫がどれほどのものか試してみたかったんだよ」
「え……」
「お前さんが、無理に食べられるものを作る必要はない。ピーマンが苦手なのはしょうがないさ。大切なのは、嫌いだからといって、料理人としてピーマンを使えなくなることだ。だから……自分が食べられなくてもいい。今度は『ピーマンが大好きな人』に向けた至高の料理を、考えてみてくれんか?」
源蔵の言葉に、ほまれは大きく目を見張った。
「自分が食べられなくてもよい」――そんな発想は、これっぽっちもなかったからだ。 だが、考えてみれば源蔵の言う通りかもしれない。自分が食べやすいように作ろうとすれば、必然的にピーマンの苦味や青臭さを「消す」方向へと向かってしまう。しかし、ピーマンが好きな人からすれば、それはピーマンの「良さ」を殺しているだけであり、結局は他の食材でも替えが利く、無個性な料理になってしまうのだ。
「ピーマンの苦みと青臭さを、生かす料理……」
ほまれの目つきが、スッと変わった。 頭の中で無数の食材と調味料が駆け巡り、猛烈なスピードで味のシミュレーションを始めた。




