第10章ノ2 しみしみウズラの卵
「これでNEW『こいこい』の誕生だ!」 ほまれが高らかに声を上げる。厨房に揃った五人は、お揃いの制服に身を包んでいた。それぞれをイメージしたカラーのリボンが揺れる。 「じゃあ気合を入れて、仕込みしちゃおう!」
ほまれの号令で、大量のウズラの卵が詰まった箱が、調理台の真ん中へと引き寄せられた。
「まずは一番大変な、茹でて殻を剥く作業ね」
ひめは、手際よくウズラの卵を鍋に入れていく。沸騰したお湯に入れ、転がしながら待つこと3分。
ピピピピ……!
厨房にタイマーの音が鳴り響く。小町と小鶴が二人で鍋を持ち、手早く冷水を張ったボウルの中へ卵を移した。
「よし! 粗熱が取れたから、殻を剥いていこうか」
ほまれが指先で温度を確認し、全員にボウルを配る。
「ウズラは殻が薄いから、全体に細かくヒビを入れて、薄皮を掴みながらぐるりと剥くのがコツだよ」
ほまれに促され、さっそく小町と小鶴が挑戦してみる。しかし、力が入りすぎたのか、殻だけではなく身にまで深いヒビが入ってしまった。
「小町……困った。失敗」
「小鶴もうまくできない……」
双子は口をすぼめ、不満そうに眉を寄せる。
「気にするな。形が崩れたものは、味見用にこっちへ分けておこう」
五郎が手際よく別のボウルを用意し、失敗した卵を移していく。
「私、こういう細かい作業ってホント苦手……」
ひめはウズラの卵を面倒そうにつまみ上げると、シンクの縁にコンコンと殻を打ち付けた。
「あっ……」
その瞬間。打ち付ける力が強すぎたのか、繊細なウズラはべちゃりと見るも無残に潰れてしまった。
「……がーん」
ひめがガクッとうなだれる。
「ま、まぁ大丈夫だよ! まだまだ山ほどあるから、気にしないで!」
ほまれが慌ててひめの肩をポンポンと叩いてフォローし、隣でじっと様子を伺っていたしずくに視線を向けた。
「じゃあ、しずくちゃんも一緒にやってみようか」
しずくは、まだ着慣れない水色のリボンを揺らしながら、小さな卵をそっと手に取った。
――ペロン。
ほまれに教わった手順通り、指先に集中して力を逃がすと、面白いほどにするりと殻が剥けた。中からは、傷一つないつやつやの白い肌が顔を出す。
「うまいじゃん!」
あまりに見事な出来栄えに、ひめが思わず声を上げた。
「しずくちゃん、殻剥きの才能あるよ!」
ほまれも一緒になって覗き込み、手放しで褒めちぎる。
二人に囲まれておだてられ、しずくの顔は見る間に真っ赤に染まっていく。しずくの顔もほかほかに茹で上がってしまった。
しずくの手はさらにスピードを上げ、ものすごい速さでウズラの殻をむいていく。
「しずく、手先案外器用なんだね」
ひめがお客様用のボウルの中にうずたかく積みあがったウズラの卵をしげしげと見つめる。
「そういえば……箸袋にお箸入れといてって頼んだ時も、すごい量できあがってたもんね」
ほまれが思い出したようにポンと手を打った。しずくが初めて「こいこい」に来たあの日、嵐のような忙しさに紛れて気に留めていなかったが、しずくはあの短時間で、山のような箸袋を完成させていたのだ。
しずくは、褒められたことがこそばゆいのか、さらに首をすくめて卵の殻剥きに集中する。その指先は、まるで精密な機械のように正確で、一切の無駄がない。
「すごいな。殻剥き作業はしずくに任せて、俺たちはウズラを漬ける液を作ろう」
五郎は、ほまれに手際よく鍋を渡した。
「ほまれなら、どういう味にする?」
五郎は、全幅の信頼を寄せた眼差しで、ほまれの顔を覗き込んだ。
「私だったら……」
ほまれはしばらく思案した後、ふと何かを閃いたように調味料の棚へ手を伸ばした。
「朝獲ったカツオの出汁をベースにして、出汁400ccに対して、醤油は大さじ3、酒大さじ2、砂糖大さじ1.5、オイスターソース小さじ1とかかな……」
ほまれは何度も味を確かめながら、丁寧に整えていく。
「液を一回沸かして、卵をいれよう。」
鍋の中には、琥珀色の濃いめの汁が出来上がっていた。火にかけ、ひと煮立ちしたところでコンロの火を止める。
粗熱を取り、まだ温かいうちに深い保存容器へと移すと、しずくが剥き上げたばかりの真っ白なウズラの卵を、丁寧に一つずつ投入していった。
「よし。温度が下がったら、冷蔵庫に入れて冷まそう!……よーく、浸かりますように!」
ほまれは願掛けをするように、冷蔵庫の前でパンパンと小さく手を叩いた。 その隣で、しずくも一緒になってぎこちなく手を叩く。
「つかります、よーに!」
自分たちの手で作ったウズラの卵が、ひんやりとした庫内で味を深めていくのを待つ時間。皆の顔には、夏の暑さを忘れるような、穏やかな笑みが浮かんでいた。
***
昼休憩を終え、皆が連れ立って階段を下り、再びあの灼熱の厨房へと戻ってくる。
「そろそろ、できあがったかなー?」
ほまれは鼻歌まじりで階段を下りた。厨房の熱風が再び全身を包み込むが、今のほまれはそんなことなど気にも留めない様子だ。
冷蔵庫を勢いよく開けると、庫内の冷気の中に、保存容器の中でかすかに飴色に色づいたウズラの卵が目に飛び込んできた。
「わあ、ちゃんと浸かってるじゃん!」
ほまれは嬉しそうに保存容器を取り出し、調理台の上に置いた。さっそく小さな取り皿を並べ、一粒ずつ丁寧に小分けにし始める。
「みんなー! 味見してみて!」
ほまれの弾んだ声に、開店準備の手を止めて五郎やひめ、そしてしずくたちが自然と集まってきた。
「はい! しずくちゃん!」
ほまれは、真っ先にしずくへ皿を差し出した。 しずくは、赤ちゃんを触るように大切にそれを受け取った。
「いただきます……」
しずくは箸でそっとつまむと、ゆっくりと口へ運んだ。 ぷりっと弾力のある白身を噛み切った瞬間、中からクリーミーで濃厚な黄身が、凝縮された出汁の旨味とともに口いっぱいに広がる。
「おいしい……!」
自然とこぼれ落ちた言葉とともに、しずくの顔にぱぁっと花が咲いたような笑顔が浮かんだ。
「本当! 嬉しい! しずくちゃんがきれいに殻を剥いてくれたからだよ!」
ほまれもしずくに負けないくらい、太陽のような屈託のない笑顔を返す。自分の作った味が認められた喜びと、しずくが笑ってくれた喜び。その両方がほまれの声を弾ませていた。
双子も、自分たちが剥くのに苦戦して不格好になってしまった卵を、楽しそうに口に運んだ。形が崩れた不格好な卵も、みんなで笑い合いながら食べればたちまち一番のごちそうに変わる。そんな『こいこい』の温かい空気が、しずくの心を少しずつ解きほぐしていった。
「よし、さっそくこいつを店に出してみるか」
五郎の言葉に、ほまれは力強く頷いた。




