第10章ノ1 5つの光
「あああ、ついいいい!!」
ほまれは、着ているTシャツの袖を肩までたくし上げ、どうにか熱気をしのごうと必死だった。客席側は冷房が利いて極楽だが、仕切りの暖簾を一枚くぐった先の厨房は、コンロの炎と窓からの外気でさながらサウナのような有様だ。
「小町と小鶴は、よく平気だね……」
ほまれが額から滝のような汗を流す一方で、小町と小鶴はケロッとした顔で仕込み作業に没頭している。
「小町……暑いの、へいき」
「小鶴も、全然平気!」
双子は涼しい顔で手を休めることなく、山のようなピーマンの種を鮮やかに取り除いていく。 そこへ、店内の掃除を終えたしずくが厨房へと足を踏み入れた。
「うぅ……っ!!」
途端に、しずくは熱の壁にでもぶつかったかのように顔を歪ませ、苦しげな声を漏らした。
「店からここに入ると、より一層暑く感じるよね……」
ほまれが、ふらつくしずくを気遣うように声をかける。
「でも逆にここから店に出たらすごく気持ちいいんじゃない?」
小鶴が、冷房の風でかすかに揺れる仕切りの暖簾を指差した。
「た、確かに!!!」
ほまれはパッと目を輝かせると、暖簾に向かって駆け出し、「とぅ!」と気合とともに飛び込んだ。 瞬間、ひんやりとした心地よい空気が全身を包み込む。
「くぅあああああ、涼しいいいいい!!」
店内に響き渡るほどの快叫を上げるほまれ。
「でも、また厨房に戻ると……」
小町が予言するように呟くと同時に、ほまれは反動で再び厨房へ体を戻した。
「ああああ、つううういいいい!!」
ほまれが、振り子のように厨房と店内を行ったり来たりして揺れる。
「あつい! さむい! あつい! さむい! 」
そのおかしな光景に、しずくは思わず「くすくす」と声を漏らして笑った。
そこへ、五郎が両手で大きな段ボールを抱え、裏口から厨房へと入ってきた。
「あぁ外は灼熱だぞ……。おいおい、ここも外と大して変わらねぇなぁ」
一瞬開け放たれた裏口から、容赦のない灼熱の外気が入り込んでくる。厨房の温度がまた一段階跳ね上がった。
「すごい荷物だね。」
ほまれが五郎から段ボールを受け取り、シンクの作業台の上に置く。受け取った腕にずっしりと重みが伝わった。
「ちょっとしたツテでな、ウズラの卵を大量に譲ってもらったんだ。」
五郎がパカッと箱を開けると、そこには小さな斑点模様の卵が、隙間なくぎっしりと詰められていた。
「ほまれ、こいつを使った新メニューを考えてくれ」
五郎はいくつかのウズラの卵を、手のひらに転がして見せた。
「ウズラの卵って言ったら、中華炒めとか……八宝菜?」
ほまれは受け取った卵の小ささに、首をかしげながら思案する。
「いや、もっと手軽で、酒が進むのが好ましいな」
一同が唸りながら考え込んでいたその時、トントンと軽快に階段を下りてくる足音が響いた。
「だったら、味玉にすればいいじゃない!」
自信満々に現れたのはひめだ。その腕には、何やら柔らかな白い布を抱えている。
「味玉かぁ! それいいね! 味を濃いめにすれば、最高のおつまみになりそう」
ほまれはパッと顔を輝かせ、さっそく鍋に水を溜め始めた。
「ひめちゃん、それなあに?」
小鶴がひめの抱える布を指さし、不思議そうに覗き込む。
「ふふん、これ? これはね……」
ひめが、抱えていた布をバサッと大きく広げた。 それは、しずくの髪色に合わせた淡い水色のリボンがあしらわれた、真新しい「こいこい」の制服だった。
「かわいい……!」
ほまれは鍋をコンロに置くやいなや、出来立ての制服に駆け寄った。スカートの裾には細かなギャザーが寄せられ、ひめのこだわりが詰まった丁寧な仕上がりだ。
「着てみてよ、しずく」
ひめは、立ち尽くしているしずくに、そっと制服を差し出した。 しずくは、震える手でその布地を掴んだ。指先に伝わる柔らかな感触は、まるでお日さまのような、作り手の体温が残っている気がした。
***
「着替えました……」
階段からしずくのか細い声が聞こえてきた。
「じゃあ、しずくちゃんの制服お披露目会です! どうぞー!」
ほまれが司会者のように明るい声を上げると同時に、しずくがゆっくりと階段を下りながら厨房へ入ってきた。
「小町……困った。かわいすぎる!」
「わーお!」
双子が弾んだ声を上げる。 清潔な白地に、涼しげな水色のアクセント。サイズも驚くほどぴったりで、少し照れくさそうに裾を掴むしずくの姿は、まるで新しい命を吹き込まれた人形のように輝いて見えた。
「これも、つけてみて!」
ほまれは、鮮やかなブルーのリボンをしずくの首元に結んだ。しずくはおそるおそる自分の首元に触れ、それから信じられないものを見るように、ステンレスのシンクにぼんやりと映った自分の姿を見つめた。
「似合ってるよ……しずく」
ひめが、どこか照れくさそうに声をかける。それに対し、しずくは少し潤んだ瞳でひめをまっすぐに見つめた。
「ありがとう、ひめさんほまれちゃん…」
「……これからは、ひめでいいよ。ほまもそう呼んでるし」
まっすぐに見つめられるのが気恥ずかしいのか、ひめはぷいと視線を逸らす。
「じゃ……じゃあ……ひめちゃんで……」
意識しすぎるひめにつられたのか、しずくの頬も林檎のように赤らんでいく。
「二人だけでイチャイチャしないでよぉ。そうだ!せっかくだし、私たちも着替えてこよう!」
ほまれの元気な掛け声とともに、女子四人は二階へとわらわら上がっていった。
二人きりになった厨房で、五郎が優しい声でしずくに語りかける。
「よかったな、しずく」
しずくは、その言葉を噛みしめるように、静かに頷いた。




