第8章ノ1 幽霊
「ねぇ。最近、商店街に化け猫が出るって噂、知ってる?」
空調の効いた店内で、冷えたラムネを片手にさいかがカウンターから身を乗り出した。唐突な問いに、ほまれは意表を突かれたように目を丸くする。カウンターの上をちらりと横目でのぞくと、大五郎は素知らぬ顔でのんきに毛づくろいをしていた。
「え……知らないよ。化け猫なんて、そんな……」
「えぇー。今の月見商店街で一番のトピックだよ。なんでも……夜になると、たくさんの猫を引き連れた女の幽霊が出るんだって」
さいかは自分の肩を抱くようにして「こわーい」と身を震わせた。
「えぇ、それってただの猫好きな女の人じゃないの?」
どうやら大五郎の本来の姿を見られたわけではないらしい。ほまれはホッと胸をなでおろし、肩の力を抜いた。
「違うんだって! その女の人、透けてるんだって!それに、お腹のあたりを手でさすさすしてて…きっと人間を食べようとしてる妖怪とかなんだよ!」
ほまれにとって、さいかは昔から頭の良いお姉ちゃん的な存在だったが、案外こういうオカルトじみた話が好きだった。それに対してほまれはお化けなどに興味も恐怖心もなく、唯一この点だけが、さいかに対して「大人ぶれる」要素だった。
「人間なんて食べてもおいしくないし…それに、うちは小料理屋ですから幽霊でも化け猫でも妖怪でも、暖簾をくぐってくれたらおいしい料理でおもてなししますよ」
「私も、面白そうだからご飯あげちゃうけどなー」
厨房の片付けをしながら聞き耳を立てていたひめが、仕切りの暖簾から顔を出して会話に割り込んできた。
「えぇー、ひめちゃんまでそんな……! 夜、人気のいない時にふと振り返ると、そこには……! なんてことがあったら、怖いんだからねっ!」
さいかは大げさに身振り手振りを交え、二人に恐怖心を植え付けようとする。だが、対照的にひめとほまれは、一人で興奮するさいかをぽかんとした表情で見つめていた。
「……はぁ。もういいですよ、帰ります。ごちそうさまでした!」
さいかはぷくっと頬を膨らませて不貞腐れながら、空になったラムネの瓶をカウンターに置いた。ビー玉がカラリと涼しげな音を立てる。
「ごめんごめん。幽霊を見かけたら気をつけておくよ。ありがと、さいか! また来てね」
ほまれは苦笑いしながらラムネの瓶を片付け、店を出ていくさいかに声をかけた。開いた扉から、一瞬だけ外の熱気が入り込み、セミの声が店内に響く。
「でも、その幽霊猫引き連れてきてくれるなら嬉しいよね。猫可愛いし……それに、このスケベ猫にも彼女ができるかもしれないし?」
ひめは、大五郎の頭のてっぺん、ちょんまげのようにツンと生えた毛を指先で突いた。
するとその時、大五郎がピクリと耳を動かし、かすかに開いていた店の入り口に鋭い視線を飛ばした。 ひめとほまれもつられて店先に目をやると、真昼の強い日差しを跳ね返すような、一匹の美しい白猫と目が合った。
「あんな猫、いたっけ……?」
ひめが不思議そうに呟いた、その瞬間だった。
「にゃおおおおおおん!!」
大五郎がいきなり野太い声を上げると、カウンターから軽やかに飛び降り、白猫めがけて一直線に駆け出した。
「ちょっと、大五郎! どこ行くの!」
ほまれの制止ももろともせず、大五郎は引き戸の隙間から、陽炎の立つ商店街へと飛び出していった。
騒ぎを聞きつけて、二階で昼休憩をしていた小鶴と小町がバタバタと降りてくる。
「どうしたの?」
「大丈夫?」
二人は交互にひめとほまれに視線をやった。
「追いかけよう!」
ほまれの決然とした言葉に、ひめが間髪入れずに反応する。
「やだよぉ、こんなに暑いのに外なんて行きたくない! 大五郎なんて、放っておけばそのうち勝手に帰ってくるでしょ」
しかし、ほまれは首をぶんぶんと横に振った。大五郎が、あんなに興奮して他の猫を追いかけるなんて。なんだか、嫌な予感がしてならなかった。それに、自分たちには見向きもせず、綺麗な白猫に一直線に飛んでいくその後ろ姿に、ほまれは胸の奥がチクッとして、どうしても放っておけなかった。
「だめ。私だけでも行ってくる! 仕込みの時間までには戻るから!」
ほまれはそう言い残すと、熱気のこもった外の世界へ飛び出していった。
「はぁ、ひめ……困った。どうする、双子」
小町の口癖を真似るように、ひめがわざとらしく肩をすぼめた。




