第7章ノ3 路地裏の影
店先の赤提灯が灯り、夕闇の中にポッと温かく赤く輝き始める。
「いらっしゃいませー!」
ほまれの元気な声が響く。店先には、すでに何人かの常連客が開店を待ちわびて列を作っていた。
客たちは席に着くなり、店のど真ん中に貼り出されたばかりの大きなポスターに釘付けになった。
「なんだ、この『餃子お試しセット』って。四つとも味が違うの?」
2人組でやってきた男性客の1人が、物珍しそうに身を乗り出す。
「そうなんです! 食べてみて、一番おいしいと思った餃子のところに印をつけてもらえると嬉しいです。皆さんの一票が、この店の『ナンバーワン餃子』を決めますから!」
ひめが持ち前のコミュニケーション能力と明るい笑顔で、ぐいぐいとお客の興味を引いていく。
「へえ、面白いこと考えるんだね。参加させてもらうよ。じゃあ、この餃子を2セットと、とりあえず生二つで!」
食べ比べイベントは、想像以上の大好評だった。店内ではあちこちのテーブルでグラスを傾けながら、どの餃子が好みかを熱く語り合う声が響いている。
「この大葉入り餃子、美味しかったぁ。噛んだ瞬間に爽やかな香りが鼻に抜けて、夏でもいくつでも食べられそう」
若い女性客が笑顔で言いながら、小町の大葉入り餃子の欄に印をつける。それを厨房の隙間からそわそわと覗き見ていた小町は、「……勝った」と小さくガッツポーズを作った。
「いやいや、餃子っつったらやっぱりガツンとこないと! 俺は、この味が濃いのがビールに合ってて一番だな!」
すっかり酒の進んでいた常連の男性客は、空になったジョッキをドンと置きながら、ひめのパンチの効いたスタミナ餃子に力強く正の字を書き込む。
「毎度ありーっ! 」
ホールを回るひめが、お盆を片手に愛嬌たっぷりのウインクを飛ばした。
「私は明日も仕事があるから、ニンニク控えめでさっぱりしてるのが嬉しいわ。白菜だからお肉の汁もジュワッてしてて美味しいし」
仕事帰りの女性客は、ほっこりとした顔で小鶴の白菜餃子に一票。それを聞いた小鶴は、「えへへ……」と照れくさそうにエプロンの裾をギュッと握りしめて喜んでいる。
店内は、まるで小さなお祭りのような活気に包まれていた。「こっちのほうが美味い」「いや、こっちだ」と、あちこちのテーブルで楽しげな餃子談義に花が咲いている。 自分たちが一生懸命考えたメニューで、お客さんがこんなにも笑顔になってくれる。その光景は、厨房に立つほまれの胸の奥をじんわりと温かく満たしていった。
会計前に置かれた集計表には、それぞれの好みに応じてたくさんの「正」の字が並んでいく。
「俺は……やっぱり、この『王道餃子』かな。シンプル・イズ・ベストだ」
最後のお客が、ほまれの作った「王道餃子」の欄に最後の一票を書き込んだ。
「ありがとうございます! お気をつけて!」
ほまれは、満足そうに店を出ていくお客さんを入り口で見送った。
暖簾を仕舞い、鍵をかける。活気に溢れていた店内に、心地よい達成感と静寂が満ちていった。
「さて……結果はどうなったかなー!」
ひめが片付けを放り出し、厨房からそそくさとポスターの前にやってきた。双子も居ても立ってもいられないようで、テーブルを拭く手を止め、吸い寄せられるようにポスターの前へと集まってくる。
画用紙には、正の字がびっしりと書き込まれていた。
「一緒……?」
ひめが、正の字を指で追いながら呆然と呟いた。
その横でほまれも、手元の集計ノートを確認して目を丸くする。
「本当だ……ピッタリ一緒だよ。一票の狂いもなく同点!」
「四つ子」
「仲良し餃子だ」
双子もびっくりした様子で顔を見合わせる。これだけ多くの客が投票して、まさか綺麗に四等分に分かれるとは誰も予想していなかった。
「えぇ〜、じゃあどうするのよ! ここまでやって同点なんて、もう看板メニューが決めらんないじゃん!」
ひめが頭を抱えて叫ぶと、背後からひょうひょうとした声が響いた。
「まあ、一杯やりながら考えようや」
五郎が、何食わぬ顔でやってきた。片手には冷えたビールの瓶、もう片方にはレトロなラベルが貼られたカラフルな「こどもドリンコ」の瓶を数本抱えている。
「あ、でた!」
「こどもドリンコ!」
双子は、餃子の勝敗よりも甘い炭酸飲料に興味が移ったようで、いそいそと自分たちのコップを用意し始める。
「もう!すぐ五郎さんはビール持ってくる!まぁでも…まずは今日一日、お疲れ様!」
結果としては同点という形で終わったが、ほまれの本来の目的は、みんなで一つのメニューを考えるという「作業そのもの」にあった。こうして結束力を強めることが、店のため、そして何よりひめのためになるはずだと考えたからだ。
「ひめ……今日もありがとう。ひめの包むスピードのおかげで、本当に助かったよ」
ほまれが真っ直ぐにそう伝えると、ひめは「こどもドリンコ」の注がれたコップを片手に、訝しげにその顔をのぞき込んできた。
「なによほま……。今日、なんか変じゃない?」
「変じゃないよ。……前は、あんまり言えなかった言葉が、言えるようになってきただけ」
ひめは「ふーん」とだけ答えると、誤魔化すようにスッと視線を落とした。
ほまれが自分のことを気にかけてくれているのだろう。そんなことはわかっている。だが今のひめは、自分に向けられるその真っ直ぐで無条件の優しさがひどく眩しく、どうしても真正面から受け止めきれないでいた。
「小町ちゃんも小鶴ちゃんも、2人の餃子、すごくおいしかったよ」
ほまれは双子のもとへ歩み寄ると、2人のさらさらした髪を優しく撫でる。小鶴は嬉しそうに目を細め、小町は少し照れながらも、ほまれの手の温もりを心地よさそうに受け入れている。
その様子を最高のつまみにしながら、五郎は満足そうにビールを一口、ゴクリとのどを鳴らした。
店先の看板が、夜風に吹かれて静かに揺れる。 中では五人が、残った餃子を囲みながら熱心に意見を出し合っていた。
「いっそ日替わりにしちゃう?」 「それとも、四種類を一皿にした『四姉妹セット』にするのはどうかな」
餃子について、そして『こいこい』について。真剣に語り合うその時間は、何よりも楽しく、皆の絆を深く結びつけていく充実したひとときだった。 賑やかな笑い声が、夜の静かな商店街に溶け出していく。
だが、光の届かない路地裏の影に、ぽつりと立ち尽くす人影があった。
ざっくりと切り落としたような、淡い水色の短い髪が夜風に揺れる。 細く、青白い肌をしたその少女は、紫色の瞳を静かに瞬かせながら、窓越しに広がる団欒の光をただじっと見つめていた。




