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第6章ノ2 みんなのお部屋

「おーーーっ!」


開け放たれたほまれの部屋の扉の前で、3人は揃って感嘆の声を上げた。


「な、なにその反応……」


ほまれが頬をかきながら、照れくさそうに笑う。


「な、なんていうかさ。自分で言い出しといてなんだけど、人の部屋を見るのって……変に緊張するね……」


ひめは、先ほどまでの勢いが嘘のように体をもじもじさせながら、慎重に部屋の中へ踏み出した。双子もひめの後ろからひょっこりと顔を出し、物珍しそうに室内をキョロキョロと見渡す。


6畳一間の部屋には、洋服ダンスとベッド、そして使い込まれた勉強机が置かれていた。


「あぁー、なんか『ほまの部屋』って感じがするー!」


ひめが、きちんと整理された机の上を見つめながら言った。学校の教科書や問題集に混じって、付箋だらけのレシピ本がずらりと並んでいるのが、いかにもほまれらしい。


ひめは感心しながら、レシピ本に混ざって置かれた分厚い一冊を手に取った。パラパラとページを捲るとそこには、重要な箇所に引かれた鮮やかなマーカーの線や、余白に所狭しと書き込まれたコメントがびっしりと並んでいた。


「人体の栄養学……すごいね、ほま。こんなのも勉強してるんだ」


「料理って、作る工程も大事だけど……それを振る舞う相手が今どんな状況なのか、っていうのもすごく大事だと思うから。だから、人体の勉強もしてるんだ」


「へぇ。なんかほまのこと見直した!」


ひめは目を見開き、尊敬の念を込めて深く頷いた。


その横で双子が、机の上に飾られた1枚の写真に指を止める。


「この猫……」


「不思議な模様」


それは、かつての「こいこい」の暖簾の前で、大好きだった祖父と幼いほまれ、そして1匹の三毛猫が一緒に写っているものだった。小鶴と小町は、まだ大五郎を見たことがなかったのだ。


「あはは……。確かに、ちょっと変わった見た目だよね」


ほまれは嫌な予感がしながら、曖昧に答えた。


「えっ!? ちょっと待って、これ大五郎!?」

「ひめちゃん、この猫知ってるの?」


小鶴が不思議そうに首をかしげて尋ねた。


「知ってるも何も、この家で飼ってる猫だよ!」


ひめが矢継ぎ早に答えると、今まであまり感情を表に出さなかった小町が、珍しく食い気味に身を乗り出した。


「えぇ……! あとで抱っこしたい」


小町は写真の中の三毛猫にすっかり釘付けになりながら、胸の前で小さな両手をギュッと握りしめた。


「え、でもあの猫、スケベ猫だけどいいの?」

「スケベ猫?」


小町が不思議そうに小首をかしげる。


「そう、スケベ猫! この間なんて私のこのお胸を見て、鼻の下びよ〜んって……」


ひめはそこまで言いかけて、何かに気が付いたように大五郎の写真に釘付けになった。


「ねぇ……この写真のほまれ、まだ幼稚園生とかでしょ? 大五郎、全然見た目変わってないじゃん!!」


ひめの驚愕の声が、狭い6畳間に響き渡る。ほまれは、内心焦りながら、スーッと視線を泳がせた。


「えぇ? じゃあ今、何歳? この写真がだいたい10年前だとしたら……」


ひめが指を折りながら「1、2……」と数え始める。ほまれの背中に嫌な汗が流れた。

だがひめは「まぁ」と一息つくと、


「……でも、最近の猫って意外と長生きだもんね。そんなに変じゃないか」


ほまれの心配をよそに、ひめはぶつぶつと独り言のように呟きながら、自分で勝手に納得してくれた。 ほまれが誰にも気づかれないようにホッと胸を撫で下ろしていると、ひめの興味はすでに写真から外れ、今度はクローゼットの方へと移っていた。


「ほま、これ私服? ボーイッシュな感じの服が多いんだ、かわいい!」

ひめがクローゼットを覗き込んで目を輝かせた。


「あ、うん。それは東京にいた頃によく着てて……」


「あっ、このサロペット、色違いである!」

ひめの脇からひょっこり顔を出した小鶴が、ハンガーにかかった服を指さして声を上げる。


「二人で着たら、双子の配管工になれるっ」

小町も目をキラキラさせながら、誇らしげに胸を張った。


そんなやり取りを皮切りに、4人は一通り「あれが可愛い」「これがお洒落だ」と部屋の隅々まで感想を述べ合った。


「さて、じゃあ次は双子の部屋ね!」


ひめが、期待に瞳を輝かせながら言った。ミシンが置いてある祖母の部屋の向かい、そこが双子の部屋だ。


「「ようこそ」」


双子は息ぴったりの掛け声とともに、ゆっくりと扉を引いた。


「ちょあっ!かわいい……!」


ほまれは思わず感嘆の声を漏らす。その横で、感激のあまり言葉を失ったひめは「ふおぉ……」と喉を鳴らしていた。


壁にはお揃いの小さなプラスチックの収納ケースが2つ並び、部屋の中央には丸いローテーブル。そして部屋の大部分を占めているのは、仲良く2つ並べて敷かれた布団だった。その周りには、数え切れないほどのぬいぐるみが所狭しと置かれている。


「も、もしかして。この子たちと一緒に寝てるの?」


ほまれが布団のそばまで寄り、枕元に並んだ猫のぬいぐるみを見つめて尋ねた。


「そう」


「抱っこしないと眠れない」


小鶴と小町は、お手本を見せるようにぬいぐるみを胸にぎゅっと抱きかかえた。


「ぬんあぁぁぁ!! かわいすぎるぅぅ!!!」


もう我慢ならないとばかりに、ひめが突然絶叫した。そのままの勢いで、双子をぬいぐるみごと豪快に抱きしめる。


「小町……困った。苦しい」


「小鶴……つ、つぶれちゃう」


ひめの豊かな胸に顔をうずめられ、双子の声がくぐもる。


「ちょっと、ひめ! 2人とも潰れちゃうよ!」


ほまれの制止に、ひめは「ちぇっ」と名残惜しそうに腕を解いた。すると、ひめの視線が2人の抱えていたぬいぐるみに釘付けになる。


「あれ……? このぬいぐるみって。もしかして下町アイドル『ねこまんま!』のメンバーのやつじゃない?」


下町アイドル「ねこまんま!」。その名前は、ほまれの耳にも聞き覚えがあった。


「それって確か……花見横丁を拠点にしてるアイドルだっけ?」


「そうそう! うちの店にも、このぬいぐるみの小さいやつが飾ってあってさ。もしかしたらそうかな〜って思ったんだよ」


ひめが、2人が大切そうに抱いているぬいぐるみを見つめながら言う。


「小町、この黒猫のステラちゃんが推しなの」


「小鶴は、白猫のミラちゃんが好き」


双子は、掲げたぬいぐるみを交互に小刻みに動かして、それぞれの「推し」を全力でアピールした。


「へぇ、ステラちゃんとミラちゃんかぁ。2人とも猫耳つけてるんだね」


ほまれが感心したように言うと、ひめが少しだけ寂しそうに付け加えた。


「花見横丁は、ああいう仕掛けが本当に上手いんだよね。街全体でアイドルを応援してるっていうかさ……」


「なるほどね。月見商店街も、いろいろ作戦を練らなきゃね……」


ほまれは腕を組み、ライバルである花見横丁の勢いに考えを巡らせ始めた。すると、ぬいぐるみを抱きしめたままの小町が、じっとひめを見上げた。


「……そろそろ、ひめちゃんの部屋も見たい」


小町のかわいらしいジト目が、ひめを真っ直ぐに捉える。


「あー……。そんな顔で見られちゃったら、もう断れないね」


ひめは参ったというように笑うと、双子の手を引いた。 ひめの部屋は廊下の最奥、ほまれの部屋のちょうど真向かいにある。「こいこい」にやってきた当初、日当たりの良さに惹かれ、大きな窓が通りに面しているこの部屋をひめ自身が選んだ。


「はいっ、どうぞご覧あれ!」


ひめが勢いよく扉を開け放った。


「すごく……」


「きらきらしてる」


双子の瞳にダイヤモンドが埋め込まれたかのように、光が反射する。 ひめの部屋は、淡いピンクで統一されていた。新調された白いベッドには、ひめらしいピンクの花柄の布団。ドレッサーには華やかな女優ライトが輝き、おしゃれ好きな彼女のこだわりが詰まっている。 だが、何より目を引くのは、部屋の隅に置かれた、ラインストーンで派手にデコられたキャリーケースだった。


双子がそのケースに夢中になる中、ほまれの視線だけは、部屋の一角で静かに佇むトルソーに釘付けになった。 そこに飾られていたのは、3歳児用ほどの小さなワンピース。ポピーの花があしらわれた、上品な仕立ての1着だ。


「あのワンピース、すごくかわいいね」


「あぁ……。あれ、お母さんがダンスの発表会用に作ってくれたやつなんだ」


ひめはどこか遠くを見るような、捉えどころのない表情で答えた。もっとよく見ようとほまれが歩み寄ると、ある違和感に気づく。パフスリーブの付け根が、力任せに引きちぎられたように無残に破れていたのだ。


そういえば、ひめが『こいこい』に引っ越してきた初日、キャリーケースの中から慌てて隠すように取り上げていたのが、このワンピースだった。


「これ……」


ほまれが破れた箇所を見つめると、その様子を追いかけていたひめの声が、ふっと低くなった。


「それ……妹がやっちゃったんだよね」


ひめが浮かべたのは、今までに見たこともないような、険しく、どこか痛みを堪えるような表情だった。 これ以上触れてはいけない。本能的にそう感じながらも、ひめのことをもっと知りたいという願いが、ほまれの口を動かした。


「でも……ひめなら、こんなのすぐに直せるんじゃない?」


割烹着を見事なミニスカ制服にリメイクする彼女の技術があれば、なんとか元の状態に戻すこともできるはずだ。 しかし、ひめは静かに首を横に振った。


「……直したくないから」


その一言は、夏の熱気の中でひどく冷たく、重く響いた。


「ご、ごめん。なんか変な事聞いちゃったかな……でも、わたしひめのこと……もっと知りたくて……それで……」


ほまれは、喉元まで出かかった「助けになりたい」という言葉を一度飲み込んだ。 高校生という若さで、実家から離れたこの店に住み込みで働きたいと願い出たひめ。出会った当初から感じていたその違和感は、ずっとほまれの頭の片隅に引っかかっていた。


しかし、深く踏み込もうとした瞬間、あの文化祭の光景がフラッシュバックする。良かれと思った一言、余計な言動。それがどれほど周囲との溝を深め、自分を孤独の淵へと追いやってきたか。


けれど同時に、別の記憶が鮮やかに蘇る。 「こいこい」へ来た最初の日。自分の壊れかけた自信を、圧倒的な肯定感で救ってくれたのは、目の前のひめだった。


「ありがと……。でも、そんな重い話じゃないんだって。なんていうか、ただ面倒くさくなっちゃってさ。だから、そんな顔しないで!」


パッと花が咲いたような、いつものひめの笑顔。けれど、今のほまれには、その笑顔が無理やり作り出した仮面のように見えて仕方がなかった。


これ以上踏み込むべきか、それとも今は引くべきか。ほまれが戸惑い、部屋に重苦しい沈黙が落ちかけた――その時だった。


「にゃおぉぉぉぉぉん!!」


階下から、空気を切り裂くような大五郎の絶叫が響き渡った。 ビクッと、4人の肩が同時に跳ねる。


「猫!?」


「ちゃん!?」


突然の野太い鳴き声に、小町と小鶴が目を丸くして顔を見合わせた。


「い、今の大五郎の声だよね……?」


「なに!? ただごとじゃない鳴き声っ」


ほまれとひめもハッとして視線を交わす。一階から伝わってくるただならぬ気配が、先ほどまでの重苦しい空気を一瞬にして塗り替えていた。


「小町ちゃん、小鶴ちゃん、行くよ!」


「「うん……!」」


ほまれとひめは双子の手をしっかりと引くと、弾かれたように1階へと駆け降りていった。



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