第6章ノ1 二人で一つ
夏の日差しが、天井から吊るされる色とりどりの提灯を通り抜けていた。賑やかな『こいこい』のカウンターに、さいかの弾むような声が響き渡る。
「……おいしい!」
「だよね!おいしいよね、これ!」
ほまれは、自身が試行錯誤の末に考案した『特製ニラ玉』を、さいかに試食してもらっていた。さいかは、湯気が立ち上るニラ玉を器用に箸で切り、テンポよく口へ運んでいく。
「ニラの味が引き立つ絶妙な味付け! 味が濃すぎるわけじゃないのに、物足りなさもない。ほんと、ちょうどいい!」
「そう! そこの味を調整するのが一番難しかったの。塩を入れすぎるとしょっぱくなっちゃうし、かといって複雑な調味料を足すと、今度はニラの香りが消えちゃうし……」
ほまれは嬉しそうに語りながらも、改めて幼馴染の存在の大きさを感じていた。 子供の頃から多くの時間を共有してきたからだろうか、さいかの率直な反応は、ほまれが心の中で求めていた正解そのものなのである。
さいかは、ニラ玉を完食すると、満足げに一息ついた。
「それにしても……小町ちゃんと小鶴ちゃんが、まさか『こいこい』でお手伝いすることになるなんてね。忙しいときにお邪魔しちゃってごめんね」
厨房の奥にある裏口では、小鶴と小町が小さな体で段ボール箱をいくつも抱え上げ、せっせと2階への階段を往復している真っ最中だった。
「大丈夫。ちょうどみんなのお昼を作らなきゃって思ってたところだから」
「小鶴ちゃんと小町ちゃんも、ひめちゃんみたいに店の2階で暮らすの?」
「うん! 2人は夏休みの間だけここで……」
そう口にしたとき、ほまれの心がチクリと痛んだ。 自身がこの店で働きたいと願い出たときに交わした、両親との約束が蘇る。
せっかく「自分の居場所」を見つけ、友達になったひめや小鶴、小町、そして大五郎とも、いずれはお別れになってしまう。 そう思った途端、ほまれの表情にふっと暗い影が落ちた。
「……どうしたの? ほまれ」
さいかは、ほまれの瞳に宿った翳りを見逃さなかった。幼馴染だからこそ、彼女の心の機微には敏感だ。
「……あ、ううん。なんでもないよ」
ほまれは慌てて笑顔を作ったが、その声は少しだけ震えていた。
「とぅっ!!」
そんなどこかしんみりとした空気を知ってか知らずか、2階から客間へ続く梯子を、ひめが勢いよく飛び降りてきた。豊かな胸を大きく揺らし、着地と同時に顔を上げる。
「お2人さん、なんかすごーくおいしい匂いさせてなーい?!」
40人という客人を無事にもてなせた経験が、大きな自信に繋がったのだろう。昨日の騒動以来、ひめのテンションは驚くほど高かった。朝から双子の荷物運びを手伝っていたとは思えないほど、彼女はパワフルなエネルギーを放っている。
「もちろん、みんなの分も作ってあるよ! お昼にしよっか」
「あ、私はそろそろ帰るね。午後から町内会の会議があるし、夕方からは酒瓶をあっちの店に届けなきゃいけないから」
さいかは名残惜しそうな顔をしながら腰を浮かせた。
「酒瓶を届けるって……もしかして、他のお店もいくつか再開してるの?」
「届ける」という言葉に希望を見出したほまれが、身を乗り出して質問する。もし商店街の他のお店も動き出しているなら、これほど心強いことはない。けれど、さいかは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ううん。ここの商店街じゃなくて、隣町の『花見横丁』のお店。本当は月見商店街の中だけで回したいんだけど、そうもいかなくてさ……」
その言葉に、ほまれは肩を落とす。さいかの酒屋から花見横丁までは、車でそこそこの距離がある。わざわざそこまで販路を広げているということは、この月見商店街の需要がどれほど冷え切っているかを物語っていた。
ふと、ほまれの脳裏に生前の祖父から聞いた昔話が蘇る。 今でこそ寂れてしまったが、かつて月見商店街と花見横丁の立場は、今とは正反対だったという。
「こいこい」が開業したての頃、近隣に建設された巨大工場のおかげで、この一帯は大変な賑わいを見せていた。バブル期に建てられた団地には多くの家族が住み、放っておいても人はこの街へ流れ込んできていた。 しかし、バブルが崩壊し、工場の撤退が決まった頃から、月見商店街は徐々に衰退の一途をたどった。そして今は、重いシャッターが並ぶ光景が当たり前になってしまっている。
逆に、花見横丁は長年、月見商店街に客を奪われ閑散としていた時期が続いていた。しかし、ほまれが東京に引っ越した時期と同じ頃、あちらは一気に盛り上がりを見せ始めた。
きっかけは、花見横丁に現れた「下町アイドル」たちの活躍だった。 ただ荒廃を受け入れてしまった月見商店街に対し、花見横丁の人たちは諦めなかった。なんとかして危機を打破しようと策を練り、足掻き、努力し続けてきた。その差が、今の残酷なほどの現状の違いを生み出していた。
「……そっか。花見横丁は、今すごく元気なんだね」
「うん。でも、ほまれちゃんが帰ってきて『こいこい』が動き出したでしょ? 私は、月見商店街はこれからだと思ってるよ」
さいかは力強くそう言い残すと、爽やかに手を振って店を出て行った。
「そうそう。うちらでじゃんじゃん盛り上げよ」
ひめが、ほまれの肩をポンと叩いた。 確かに、こんなことでへこたれている場合ではない。昨日の団体客を無事にもてなせた経験は、ひめだけでなく、ほまれにとっても大きな自信となっていた。花見横丁にできたのなら、必ずこの月見商店街にも復興のチャンスは巡ってくるはずだ。
「そうだよね。ありがとう、ひめ。よし、双子も待ってるし、お昼2階に運んじゃお」
ほまれは、自分に言い聞かせるように力強く言った。 2人は手際よく皿を並べ、お盆を手に階段を上がった。2階のリビングにある大きなダイニングテーブルには、すでにお腹を空かせた小鶴と小町が並んで座っている。
「お待たせ! 特製ニラ玉と、即席中華スープだよ」
テーブルの中央に、湯気を立てる大皿が置かれた。ニラの鮮やかな緑と卵の黄金色が食欲をそそり、ごま油の香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がる。
「「いただきまーす!」」
全員が声を揃え、一斉に箸を動かす。
「ん! このスープ、ニラ玉に合うさっぱりした味だね!」
ひめがレンゲでスープを掬い、喉を鳴らして飲み干す。白濁としたスープに、卵がベールのように薄く漂っている中華スープだ。
「ニラ玉もしっかり味がついてて……」
「……おいしい」
小町と小鶴も、お互いに顔を見合わせながら、ふんわりとしたニラ玉を頬張って目を細めた。
「さっきさいかちゃんに試食してもらったのより、ご飯のおかずになるように少し味を濃くしておいたんだ」 ほまれは胸を張って答えた。
5人が昼食を済ませ、パンパンになったお腹をさすりながら一息ついた頃。
「さて、残りの双子の荷物片づけちゃお!」
ひめは椅子から立ち上がり、威勢よく皿を片付け始めた。
「それもそうだね。小町ちゃん、小鶴ちゃん、あと何が残ってる?」
ほまれが尋ねると、双子は揃って首を横に振った。
「「もう、片付け終わったよ」」
「えっ、早くない? 私、まだ荷物1部屋分しか運んでないよ」
ひめが驚いて片付けの手を止める。
「あれで全部。私たち、2人で1つの部屋を使うから……」
双子は手を繋ぎながら答えた。
「えぇ? まだもう1部屋余ってるし、1人ずつ使っていいんだよ?」
ほまれが、祖母のミシンが置いてある部屋を指さして提案するが、すぐに小町が細い声で「ダメ……」と静止した。
「私たち、2人で一緒じゃないと眠れないの!」 小鶴も姉の手をぎゅっと握り直し答える。
「えぇー! なにそれ、可愛すぎるじゃん!!」
ひめが目を輝かせながら、興奮気味に持っていた台拭きを旗のように振った。 ほまれも、アイドルでも見るようなほっこりとした表情で双子を見た。
「ねえ、せっかくだしさ、双子ちゃんの部屋見たいんだけど!」
ひめは興奮冷めやらぬ顔で、台拭きを振り回しながら双子に顔をグイっと近づける。
「小町はいいよ」
「小鶴も大丈夫」
双子は、ひめの圧に少し身を引きながら答えた。ひめは拳を突き上げガッツポーズをする。
「よし、せっかくだしほまの部屋も見ちゃおうぅ。みんなでお部屋お披露目会だ!」
1人テンションが暴走し、鼻息荒いひめを横目に、ほまれがニヤリと笑って問いかける。
「ってことは、ひめちゃんの部屋も見せてくれるってこと?」
その言葉に、台拭きを勢いよく振り回していたひめの腕が、空中でピタリと止まった。
「えぇ。私の部屋は、べつにいいよ……」
ひめは頬をわずかに引きつらせた。
ほまれは、いつもと違う空気に一瞬たじろいだが、双子が矢継ぎ早に畳みかける。
「そんなの……ずるい」
「ひめちゃんのお部屋も……見たい」
無表情ながらも、真っ直ぐな瞳でひめにじっと詰め寄る。その無言の圧力に、ひめはついに根負けしたように肩を落とした。
「わ、わかったよ。じゃあ私は最後ね。まずはほまの部屋から見せてー!」
ひめに背中を押され、4人の足音が廊下にトントンと響いた。




