第5章ノ3 焼きナス
「いらっしゃいませ!!」
5人の重なり合った声が、店内に響き渡る。引き戸が開くと同時に、夏の熱気と共に、仕事終わりの高揚感に包まれたスーツや作業着姿の男女が、津波のようになだれ込んできた。
「おーい、来たぞ五郎さん! 今日はよろしく!」
声を張り上げたのは、数日前に『NYAXA』と書かれた作業着で店を訪れていた客――山本さんだった。電話越しの声ではわからなかったが、彼らが再び大勢でやって来たということは、確実に「こいこい」の料理が彼らの舌を掴んでいた証拠だった。 山本さんを先頭に、狭い店内はあっという間に40人の熱気で埋め尽くされた。
「ひめ、小町、小鶴。お冷とおしぼりだ、行け!」
五郎の鋭い号令が飛ぶ。
「はいっ!」
ひめを先頭に、双子が続く。双子にとっては初めての接客だが、農作業で鍛えた足腰は軽く、動きに迷いがない。大量のお冷とおしぼりをトレイに載せ、すし詰めの客の間を縫うようにして、次々と配っていく。
一方、キッチンでは五郎とほまれが、鏡合わせのような動きでコンロの前に立っていた。
「ほまれ、お通しを出すぞ。流れ作業だ、遅れるな」
「はい!」
キッチンカウンターいっぱいに広げられた小鉢。そこへ、先ほど双子が作った『ナスとキュウリのおしんこ』を、ほまれがリズミカルに盛り付けていく。それをひめ、小町、小鶴の3人が、まるでリレーのバトンを渡すように、入れ代わり立ち代わり受け取っては客席へと運んでいった。
「お待たせしました! 芒野農園の獲れたて野菜のお通しです!」
小町と小鶴が笑顔で差し出すと、客席からは「おおっ、うまそう!」と歓声が上がる。 40人という規格外の人数に応戦するため、五郎はあらかじめメニューを極限まで絞り込んでいた。いつも置いている分厚いメニュー表は下げられ、代わりにカウンター横には黒板型の即席看板が掲げられている。
【本日の特選メニュー】
・芒野農園の極上焼きナス
・ひやひやゴマダレキュウリ
・こいこい特製・焼きおにぎり
「ほまれ、さっき下準備しておいたナスを使って焼きナスを作れ!」
「はいっ!」
ほまれは気合を入れ、制服の袖を力強くまくり上げた。
背後では、大量のビール瓶と冷えたジョッキを抱えたひめと双子が、厨房と客席の間を慌ただしく出たり入ったりを繰り返している。
「かんぱーーーーーい!!」
しばらくすると、店内に地鳴りのような乾杯の音が響き渡った。その圧倒的な熱気を背中で受けながら、ほまれは猛然と調理に取りかかった。
ナスを縦に4等分し、さらに5ミリ幅の細かい切れ目を入れて味が染み込みやすくする。フライパンに、ナス1個に対して大さじ2のオリーブオイルを熱し、ナスを並べて香ばしい焼き目をつけていく。 ナスがたっぷりと油を吸い、とろりとしたきつね色になったところで一度火を止める。 そこへ、あらかじめ合わせておいた調味料――醤油大さじ2、酒大さじ1、砂糖大さじ1/2、たっぷりのすりおろし生姜大さじ1――を一気に回し入れた。
ジュワァアアッ!!
派手な音と共に、生姜と醤油の焦げる香ばしい匂いが弾け、一気に店内に充満する。音が落ち着いたところで、旨味の溶け出したタレごと大皿へと贅沢に盛り付けた。
「……よしっ、おいしい!」
大皿から立ち上るアツアツの湯気は、生姜の爽やかな刺激と焦がし醤油の深いコクをたっぷりと含み、ふわりと宙を舞う。厨房の照明を浴びてツヤツヤと輝く飴色のナスは、たっぷりと吸い込んだ油とタレの旨味を今にも溢れさせそうで、見ているだけで喉が鳴るほどの完璧な仕上がりだった。
「ひめ! お願いします!」
大皿にどっと盛り付けられた輝く焼きナスが、カウンター越しに差し出された。
「任せて!」
ひめは、慣れた手つきで双子の手に一皿ずつ持たせると、自分は片方の腕で器用に一皿を支え、客席へと躍り出た。
「お待たせしました! 芒野農園の極上焼きナスです!」
「「……ですっ!」」
双子も慣れないながらも、一生懸命に声を張り上げて料理をテーブルへ届けた。
「へぇ、農家さんの野菜を使ってるのか」
一人の男性客が、立ち上る香りを胸いっぱいに吸い込みながら呟く。
「そうなんです! このナス、実はこの双子たちが丹精込めて作ったんですよ!」 ひめの威勢のいい声に反応し、周囲の客たちが一斉に興味深そうに振り返った。
「へぇ! まだこんなに若いのに、偉いねぇ」
「どおりで! きれいな艶のナスだもんなぁ」
いきなり集まった温かい注目に、双子は顔を真っ赤にして身を寄せ合った。
「小町……困った。恥ずかしい……」
「小鶴も……一緒。恥ずかしい……。でも……」
「「……うれしい」」
二人はお互い照れくさそうに笑いながら、パッと目を合わせた。自分たちの育てた野菜が、誰かを驚かせ、喜ばせている。その「手応え」が、彼女たちの心を初めて震わせていた。
客たちは競うように焼きナスを取り分け、口へと運んだ。
「うまい!!!」
その瞬間、弾けたような声が各テーブルから次々に上がる。
「おいしいじゃないか、山本君!」
上役だろうか。白髪混じりの整った髪に、仕立ての良いスーツを着こなした、明らかに風格のある男性客が、常連客の山本さんに声をかけた。
「そうですよね! おいしいですよね! この店、最近の私の一番のお気に入りなんです」
山本さんは、まるで自分のことのように鼻を高くして、満足そうに笑う。
「いやぁ、本当にいいお店だ。……ぜひ、店主にもご挨拶をしたいな」
その言葉をすぐ傍で聞いていたひめは、こくりと力強く頷くと、弾かれたように厨房へ走った。
「二人とも! すごく、えらい感じの人が、店主に挨拶したいって!」
ひめのただならぬ様子に、ほまれは手を止め、隣に立つ五郎に不安げな視線を送った。 五郎は乱れた前髪を無造作にかき上げると、落ち着いた光を瞳に宿らせた。
「……ほまれ。お前も行くぞ」
「えっ、私も……?」
「この味を作ったのは、俺じゃない。ほまれ、お前だ。胸を張っていいんだ」
五郎はそう短く告げると、調理の汚れをサッと拭い、迷いのない足取りでカウンターの外へと踏み出した。ほまれは、ドクドクと高鳴る鼓動を抑えながら、その背中を追った。
フロアに出ると、40人の視線が一斉に二人へ集中した。
「おぉ、店主! 本当に美味かったよ。特にこの焼きナス、とろけるような甘みに生姜醤油の香ばしさがガツンと効いて、絶品だ」
上役の男性が、満足そうに口元を拭いながら立ち上がった。
「ありがとうございます。……ですが、この料理の魂である野菜を育てたのは、あちらにいる双子の姉妹。そして、その素材を最高の状態で仕上げたのは、この子――この店の先代の孫、ほまれです」
五郎が、一歩引いてほまれを示した。 突然の紹介に、ほまれの肩がビクッと跳ねる。しかし、五郎の「胸を張れ」という言葉が、震える足を支えてくれた。ほまれはゆっくりと顔を上げ、大勢の客たちを真っ直ぐに見つめた。
「……ありがとうございます。ナスもお米も、全部、私たちの地元で作られたものです。皆さんに美味しいって言ってもらえて……本当に、嬉しいです」
一字ずつ心を込めたほまれの言葉に、店内は一瞬の静寂のあと、割れんばかりの拍手に包まれた。
山本さんが大声で笑い、上役の男性も深く頷いた。 ほまれの胸を占めていたかつての孤独は、目の前の温かな祝福によって、鮮やかに塗り替えられていった。
***
深夜。店の中に、ようやく静けさが戻る。 先ほどまでの熱狂が嘘のように、客のいなくなった店内を涼やかな夏の夜風が吹き抜けていく。テーブルに山積みになった皿や、役目を終えた空のコップ。5人は、それら戦いの跡のような光景を、心地よい疲労感の中で静かに見つめていた。
「何とか……なったね……」
ひめが、嵐の去った後のような光景を見ながら、ぽつりと呟いた。 その言葉が合図だった。
「「「「やったぁーーーーー!!!」」」」
誰からともなく、4人の少女たちは手を取り合い、輪になってぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「いや、本当にお前たち、よくやった。それに小町、小鶴。今日は本当に助かった。改めて、礼を言う」
五郎が深々と頭を下げると、ほまれとひめも、それにならって深く頭を下げた。
「小町……楽しかった」
「小鶴も、すごく楽しかった。それに……」
双子は顔を見合わせると、少しだけ真剣な表情になって言葉を継いだ。
「自分たちの作った野菜が、ちゃんと生きている人の幸せに繋がっているのが見れて……本当に、嬉しかった」
小鶴が、噛み締めるように言う。土を耕し、出荷するだけでは分からなかった、届く先にある笑顔。それが、彼女たちの中に新しい光を灯していた。
「ねえ、ほまれ。……もしよかったら、これからも手伝ってもいい?」 小町が、ほまれの制服の袖を少しだけ握って、上目遣いに尋ねた。
「野菜を届けるだけじゃなくて……ここで、うちらの野菜を食べてくれる人の顔、もっと見たい」 小鶴も力強く頷く。
「……っ、もちろん! こちらこそ、お願いしたいよ!」
ほまれの瞳が、再び喜びで潤んだ。 ひめも「やったぁ!」と声を上げ、双子をふたたび抱きしめた。
賑やかに笑い合う4人の少女たち。その眩しさに、五郎の鋭い瞳が、ふっと和らぐ。彼は、腰に巻いていた先代のエプロンを、指先に力を込めてきゅっと握りしめた。
そして、込み上げる感情を照れ隠しするように、わざとぶっきらぼうな声を張り上げた。
「ほら、お前ら! いつまで抱き合ってる。とっとと片付けて、ぱーっと『お子様ドリンク』で乾杯するぞ!」
その言葉に、真っ先に反応したのはひめだった。
「でた! お子様ドリンク!」
「そう言って、自分はちゃっかりビール飲むんだよね、五郎さん!」
ほまれも便乗して、口々に文句を言う。
店主の威厳を形無しにする教え子たちの猛攻に、五郎は「……ふん、当たり前だ! 俺はお子様じゃないからな!」と、ふんぞり返って強気に答えた。
「私たちお子様じゃないもん!!」
ほまれとひめが、負けじと声を上げる。
「「ふふふっ」」
その光景を見ながら、小町と小鶴は顔を見合わせ笑った。
月見商店街の片隅。 揺れる暖簾の隙間から漏れ出す賑やかな声は、商店街に広がる夜の闇を優しく押し返していた。




