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第4章ノ3 ピリ辛チヂミ

遺跡公園から戻った3人を迎えたのは、すっかり夜の帳が下りた「こいこい」の静かな佇まいだった。 店の前には、すでに数名の客が開店を今か今かと待ちわびている。


「すみません、お待たせしました。すぐ開けますので、どうぞ中へ」


五郎が客人を丁寧に店内へと案内し、ほまれとひめも急いで後に続く。 厨房の台に置かれた、ずっしりと重たい鉄板を前に、ひめが腕を組んで唸った。


「だいぶ煤と錆で汚れてるね……」


「そいつは俺が後で手入れしておく。今は客が先だ」


五郎の言葉に頷き、2人は手早く制服とエプロンを身につけた。 やってきた客は30代ほどの男性たち。背中にはNYAXAと書かれたロゴが入っている作業着を着ていた。


「生3つ! あと、何かお腹にたまるおつまみある?」


「はーい!」


ひめが元気よく答えると、厨房のほまれを振り返った。


「ほま、お腹にたまるやつだって! 何かある?」


ひめの声に、ほまれは厨房の片隅に置かれた、拾ってきたばかりの鉄板に目をやった。 分厚く煤けた鉄の塊。今すぐこれを使うことはできない。けれど、その存在がほまれの料理人としての魂に火を点けていた。


「……鉄板料理……」


ほまれは冷蔵庫を開け、中身を素早く確認する。ニラ、そして目に留まったのは丸々とした大きなジャガイモ。


「……チヂミなんてどうかな」


「チヂミ?」


「うん。お腹にたまるし、ビールに合うように少しピリ辛にして……」


今までは、おじいちゃんの残した味を真似ることで精一杯だった。 けれど今は、自分の舌と感性を信じて形にしてみたい。


「いいね、それ! 採用!」


ひめが勢いよくボウルを差し出す。 ほまれは迷いなく包丁を握った。まずはジャガイモを手際よく幅1センチほどの千切りにし、フライパンに引いた少量の油で先にカラッと揚げ焼きにしておく。そこにチリソースとガーリックパウダーを適量まぶし、ガツンとパンチの効いた下味をつけた。


続いて、ネギを一握り分みじん切りにし、鮮やかなニラは3センチ幅に切り揃える。コクを出すための豚バラ肉50gにはしっかりと塩コショウを振り、ピリッとした刺激を加えるキムチ30gと一緒に準備した。 ボウルにチヂミ粉と規定量の水、卵を1つ割り入れ、そこに用意した具材と、先ほどのスパイシーなジャガイモをすべて投入してよく混ぜ合わせる。


フライパンにたっぷりと油を引き、生地を流し込んだ。


――ジュワァァァァッ!


食欲をそそる派手な音と共に、油の香ばしい匂いが厨房いっぱいに弾ける。様子を見ながら火を通し、フチが綺麗なきつね色になったところで、手首のスナップをきかせてチヂミを宙に舞わせた。見事な弧を描いて裏返ったそれは、表面が芸術的な黄金色に焼き上がっていた。


チヂミを香ばしく焼き上げている間に、醤油大さじ2とお酢大さじ2分の1、みりん大さじ2分の1、そして一味唐辛子を効かせた特製のタレを手早く小皿に合わせていく。


ほまれは焼き上がったチヂミをまな板に移し、ザクッ、ザクッとリズミカルに切り分けた。


***


「お待たせいたしました! 特製、ジャガイモとニラのピリ辛チヂミです!」


キムチのピリッとした刺激と、熱せられたごま油の香ばしい匂いが、店内に一気に広がった。


「うまい! 外はカリッとしてるのに、中のジャガイモがサクサクしてて最高だな!」


「いやぁ、このピリ辛がたまらないよ……。本当にお酒が進む。一日の疲れが吹き飛ぶ味だ」


客たちの顔に、みるみるうちに満面の笑みが広がっていく。 ほまれはその光景を見つめながら、静かに胸を撫で下ろした。


これまでは、おじいちゃんの味をなぞることでしか安心できなかった。けれど、このチヂミはおじいちゃんのレシピ帳にはない、ほまれ自身のアイデアから生まれた完全なオリジナルだ。


「うまい」という客の言葉が、魔法のようにほまれの胸のわだかまりを解いていく。 モノクロに見えていた世界が、目の前の人々の笑顔によって、鮮やかな色を取り戻していくようだった。


(やっぱり、私の味覚はおじいちゃん譲りだ)


おじいちゃんが遺してくれた料理の基礎の上に、自分なりの工夫を重ねる。それが、これからの「こいこい」の新しい味になっていくのだ。 失いかけていた自信という小さな火種が、いま、ほまれの胸の中で確かな炎となって灯り始めていた。


***


月明かりが夜の街を静かに照らし出す頃。 商店街から少し離れた川沿いの畑の真ん中に、ぽつりと建つ一軒の家があった。


「夕方……さいかちゃんがうちに来てな。桐ノ木さんのところの店が再開したらしいんだ」


縁側から響く威厳のある老人の声に、2人の少女が顔を上げた。


「お前たち。明日、朝一番でうちの野菜を届けてやりなさい」


「わかった、おじいちゃん」


「そうする、おじいちゃん」


2人の声は、まるで一つの美しい楽器が鳴るように、寸分の狂いもなく重なり合った。 夏の陽光をたっぷり浴びた健康的な肌。そして、夜の闇の中でも月光を浴びて艶やかに輝く金髪。


2人の少女は、涼やかな夜風に髪をなびかせながら、商店街の奥で小さく灯る「こいこい」の明かりを、じっと見つめていた。



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