第4章ノ2 決意
さいかに案内され、三人は商店街の裏手にある緩やかな坂道を上っていった。 辿り着いたのは、【月見遺跡公園】と彫られた石碑の立つ場所だった。
一歩足を踏み入れると、生い茂る深い緑が夏の日差しを遮り、濃い木陰を作っている。樹齢を重ねた大木が枝を広げ、葉擦れの音とセミの大合唱が頭上から降り注いでいた。 木々の隙間からは、眼下に広がる寂れた月見商店街の屋根の連なりが一望できる。
「ここって……夏祭りの会場……」
ほまれが懐かしそうに一帯を見渡す。 中央の土の広場。幼い頃、綿菓子を片手に走り回り、色とりどりの浴衣が揺れていた記憶が、温かな風景として胸によみがえった。
「そう、懐かしいでしょ。……でね、見てほしいのはこれなの」
さいかが広場の隅、木々の根元に佇む、錆びついた大きなトタンの物置小屋へと歩み寄った。南京錠を外し、軋んだ音を立てる重たい鉄扉をゆっくりと開く。
「っ……」
ほまれは、思わず息を呑んだ。 薄暗い小屋の中に積み上げられていたのは、無残な姿になった思い出の品々だった。 紙が破れ、骨組みが剥き出しになった大量の赤提灯。泥に汚れ、色あせた暖簾。そして、湿気で木が腐り、崩れ落ちた祭りの櫓。 それらは片付けられることもなく、ただ乱雑に押し込められていた。
「これ……全部、夏祭りの?」
ほまれの震える声に、さいかが静かに頷く。
「一昨年を最後に、祭りは中止になったの。去年は『もう使うこともないだろうから』って、みんなここに放り込んで……それっきり。誰も、直そうとも、片付けようともしなかった」
埃とカビの混ざった空気の中、さいかの声が冷たく落ちる。五郎は黙ったまま、壊れた提灯の一つを拾い上げた。
「……ひどいな」
五郎がぽつりと漏らす。彼が腐りかけた櫓の木材にそっと手を触れた、その時だった。
――ミシミシッ、ガシャンッ!
「わっ……!」
耐えきれなくなった木枠が悲鳴を上げ、音を立てて崩れ落ちた。土埃が舞うなか、そのわずかな隙間に、鈍く光る「黒い塊」が姿を現す。
ほまれは、考えるより先に体が動いていた。 汚れも厭わず瓦礫の山に手を伸ばし、その重たい物体を引き寄せる。
「これ……」
表面は煤と錆に覆われているが、手のひらに伝わる確かな厚みと重厚感。それは、ほまれの幼い記憶の真ん中にある、一番大好きな光景とぴったり重なった。
「おじいちゃんと、夏祭りの時に使った鉄板だ……」
その瞬間、真っ白な湯気の向こうで、汗を流しながらヘラを振る祖父の姿が鮮明によみがえった。 おじいちゃんの広い背中、ソースが鉄板でジュウと焦げる香ばしい匂い。そして、「ほまれ、こいつが一番旨いんだぞ」と笑って差し出された、焼きたての料理。
「……まだ、残ってたんだ」
ほまれの指先が、鉄板のフチを愛おしそうになぞる。 ボロボロになった提灯や壊れた櫓の中で、この分厚い鉄板だけは、再び火を入れられるその時をじっと待っていたかのように、確かにそこにあった。 ほまれは服が汚れるのも気にせず、その重たい鉄板をぎゅっと抱きしめた。
「さいか……」
この一週間、東京での痛みを抱えたまま、流されるように過ごしてきた。けれど今、腕に伝わる冷たい鉄の重みが、迷っていたほまれの心を力強く押し出していく。 木陰から差し込む西日の中で、ほまれはまっすぐにさいかを見つめた。
「私……この商店街のために、何かしたい」
言葉を紡ぐほどに、声に熱が宿っていく。
「またみんなで夏祭りをして、浴衣を着て……輪になって、あの月見音頭を踊りたい。もう一度、あの賑やかな景色を取り戻したい」
提灯の温かい灯り。浴衣の袖を揺らして笑い合う人々の顔。 色あせていた記憶が、鮮やかな色彩を帯びて目の前に蘇っていく。
「ほまれ……!」
さいかは大きな瞳を潤ませると、堪えきれずにほまれに抱きついた。その温もりと、少し震える肩。ほまれは、自分が離れていた間、彼女がどれほどこの街を一人で守り続けてきたかを肌で感じ取っていた。
その様子を、五郎とひめは少し離れた場所から静かに見守っていた。 五郎は、物置のさらに奥――木々に覆われ、今は崩れて原型を留めていない小さな祠と、風化した古びた石碑のような跡へとそっと視線を向けた。 琥珀色の瞳をわずかに細め、誰にも聞こえないほどの声でつぶやいた。
「夏祭りか…」
街の記憶と、かつてこの地で人と猫を繋いでいたはずの古い拠り所。それを思い起こすように五郎が佇んでいると、隣のひめが小さく息を漏らした。
「なんか……ほまれが羨ましいな。ちょっとだけ、やきもち焼いちゃう~」
ひめはどこか遠くを見つめるように、寂しげな色を瞳に浮かべていた。実家を飛び出し、自分の居場所を探してここへ辿り着いたひめにとって、二人が分かち合う温かな思い出は、眩しすぎるほどに美しかったのだ。
「何も焼くこたない。これから、ここで新しく思い出を作っていけばいいだけだ」
五郎は、ひめにやさしく微笑む。
「おい、お二人さん。湿っぽいのはそこまでだ。そろそろ戻らねぇと、夜の仕込みに間に合わねぇぞ」
急かすような乱暴な口調とは裏腹に、五郎の口元には不敵で、どこか誇らしげな笑みが浮かんでいた。琥珀色の瞳が、かつての活気を取り戻そうと立ち上がった少女たちを頼もしそうに見つめている。
「あ……そうだね! さいか会えて本当によかった。これから一緒に頑張ろう」
「うん、もちろん!」
ほまれは、腕の中に伝わるおじいちゃんの鉄板の重みをしっかりと確かめながら、さいかに向かって今日一番の晴れやかな笑顔を見せた。




