第6話 11月28日 トウヤ
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ミキの部屋のベッドの傍らで、俺は激しいショックのあまり指一本動かすことができなかった。だが、朦朧とする意識をなんとか奮い立たせて、救急車を呼び、彼女の身体と一緒に病院へとたどり着いた。
しかし、現実は無情だった。
処置室の前で祈るような思いで待っていた俺の元に医師が現れ、首を横に振った。蘇生処置も虚しく、ミキには非情な死亡診断が下された。
だが、彼女は死んでなお、安息を得ることすら許されなかった。
衣服を脱がせた際に露わになった、あの体中に無数に刻まれた赤黒い痣。それが、あまりにも明確に『事件性』を匂わせていたのだ。病院側の判断により、ミキの遺体は一般の霊安室から別の場所へと移動され、司法解剖に回されることになった。
病院の白い廊下で、頭が真っ白になって混乱していた俺の前に、さらなる現実が牙を剥く。
「富永柊弥君、ですね。……一緒に、署まで来てもらえますか」
振り返ると、鋭い目つきの男たちが立っていた。警察だ。
事情聴取と称して、警察署への任意同行を求められた。
当然と言えば当然だった。俺は彼女の死の第一発見者であり、その彼女の遺体には、生々しい複数の痣が拷問でも受けたかのように刻みつけられていたのだから。客観的に見れば、俺が容疑者になるのは火を見るより明らかだった。
だが、俺にはやましいことなど一切ない。彼女を傷つける理由など、天地がひっくり返ってもあるはずがなかった。
「わかりました」
俺は即答した。
何故ミキがあんなことになったのか、何故彼女が死ななければならなかったのか。理由を知りたいのは、他でもない俺自身だったからだ。
◇
警察署の取調室。
案内されたその部屋には、スチール製の簡素な机と、冷たいパイプ椅子が二脚あるだけだった。壁にはポスターもカレンダーもない。
ただ、それだけの、息が詰まるような狭い空間。
ただ一つ、俺の目を引いたのは、壁の一面にはめ込まれた大きな鏡だ。恐らく、向こう側からこちらを覗き見ることができるマジックミラーだろう。自分のやつれた顔が鏡に映っていて、酷く滑稽に見えた。
対面に座ったのは、ヨレのないスーツを着た男だった。警察官――ドラマか何かで言うなら、担当の『刑事』だろうか。
その刑事は壁のスイッチをバチン、と音を立てて入れた。録画カメラのランプが赤く点灯する。男は手元の書類に一度目を落としてから、淡々と口を開いた。
「20XX年11月28日、午後9時4分。参考人、富永柊弥君に対する、皆川美希さんの異常死事件に関する第1回取調べを開始します。本取調べは全過程を録音・録画します」
刑事は感情の乗らない事務的な口調で一気に言い終わると、値踏みするような視線をまっすぐに俺へと向けた。
「君には、言いたくないことは言わなくて良い権利がある。……理解しましたか」
それは、最愛の彼女を目の前で失ったばかりの人間に対する態度では決してなかった。親身に寄り添う姿勢など微塵もなく、明らかに『お前を疑っている』という冷徹な空気を隠そうともしていなかった。
何故、ミキが死ななければならなかったのか。
何故、俺がこんな場所で犯罪者予備軍のような扱いを受けなければならないのか。
答えの出ない詮無い思考ばかりが脳裏を支配し、目の前の刑事の言葉が遠くのノイズのように聞こえる。
長い、重苦しい沈黙が部屋を満たした。
それでも男は表情一つ変えず、俺をじっと見つめたまま身じろぎもしない。値踏みするような視線にこれ以上耐えられず、俺は小さく息を吐いて、観念したようにぽつりと口を開いた。
「はい……理解しました」
それからは、堰を切ったように質問の嵐が始まった。
俺に対する情報や、ミキとの関係を根掘り葉掘り、容赦なく暴き立てるように聞かれた。
氏名、生年月日、大学での専攻。
ミキとの馴れ初め。
付き合ってどれぐらいになるか。
直近の二人の仲にトラブルはなかったか。
そして、今日の俺の細かな行動履歴。
刑事の徹底して事務的な態度。
窓ひとつない密室での、長時間の拘束。
それらの全てが、ミキを失った俺の精神をガリガリと削り、容赦なく疲弊させていく。
「わかりました。では、ミキさんが亡くなる直前の状況について、詳しくお話を聞かせてください」
刑事のその言葉に、俺はあの部屋での事の顛末を全て語った。
彼女の耳に奇妙な幻聴が聞こえていたこと。
急に狂ったように苦しみだしたこと。
だが――。
痣が目に見える速さで、彼女の肌の上を這うように増えていった、などという妄言じみた真実は話さなかった。そんなオカルト話を信じる警察などいるはずがないし、下手に話して精神異常を疑われて精神鑑定にでも回されたら、それこそ厄介だと思ったからだ。
「――わかりました」
一通りの話を終え、俺がようやく解放されたのは、日付が変わった頃だった。
途中で薬物使用を疑われたのか、尿検査までさせられ、心身ともにこれ以上ないほど散々だった。
警察署を出る寸前、後ろから先ほどの刑事が俺を呼び止めた。
「今日はありがとう。明日、ミキさんの解剖結果が出る予定だから。詳しいことが分かったら、また確認したいことがあるんだ。……明日も朝9時に、ここへ来てくれるよね?」
それは質問の形をとってはいたが、こちらの意思や都合など最初から無視した、事実上の強制のような物言いだった。
俺は一刻も早くこの場所から、彼らの視線から解放されたかった。
「……はい」
今の俺には、そう短く答えることしか出来なかった。
警察署の外に出ると、深夜の寒風が容赦なく身体を打ちつけたが、心の中の凍えるような孤独と恐怖に比べれば、それは何でもないものだった。
ミキのいない世界で、明日、俺は何を聞かされるのだろうか。
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