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此岸の境界  作者: 邑沢 迅
1章

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第4話 11月28日 トウヤ

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 肝試しから一週間。


 日常の裏側で静かに膨らんでいた違和感が、ついに決壊した。

 大学の最後の講義が終わり、俺がノートや教科書を鞄に詰めて帰ろうと身支度をしていた、まさにそのときのことだった。


「トウヤ君!ミキが……!」


 ガラリと激しい音を立てて教室の扉が開いたかと思うと、ミキの親友であるハルが、血相を変えて飛び込んできた。

 周りの生徒たちも一斉にハルの方へ振り返る。

 彼女は肩を激しく上下させ、額には汗が浮かんでいる。その怯えきった表情は、とてもじゃないが何か悪い冗談やいたずらで言っているようには見えなかった。


 胸に嫌なざわめきが広がる。


「ミキが、どうしたんだ」


「いいから、来て……早く!」


 理由を尋ねる俺の言葉を遮り、ハルは俺の腕を強く掴んだ。

 尋常ではない力に引かれるまま、俺はカバンを掴んで教室を飛び出し、大学の中庭へと躍り出た。


 午後の柔らかな光が差し込む中庭。その一角にある木製のベンチに、彼女はいた。


 ミキは両手で耳をこれ以上ないほど強く塞ぎ、小さく丸まってガタガタと震えていた。


「ハル、何があったんだ」


 俺は駆け寄り、ミキの横へと滑り込むように座った。そして、信じられないものを見る目で立ち尽くしているハルに鋭い視線を向ける。


「急に……何か聞こえる、って。最初は気の所為だって二人で笑ってたんだけど、どんどん音が大きくなる、って言い出して、いきなりあんな風に……」


 ハルの震える声を聞きながら、俺の脳裏に数日前の記憶が蘇る。

 駅前のカフェでも、彼女は同じことを言っていた。「何か聞こえなかった?」と。

 あの時の違和感は、気のせいなどではなかったのだ。一体、彼女の耳には何が聞こえているというのだろうか。


「ミキ、ミキ、俺だ。トウヤだ。わかるか?」


 俺は彼女の細い背中を抱き寄せ、優しく、すこしだけ揺するようにして呼びかけた。


「とう、や……」


 ゆっくりと顔を上げたミキの表情を見て、俺は息を呑んだ。

 完全に疲弊しきっており、いつも爛々と輝いていたその目からは、生気が完全に消え失せていた。ただ怯えだけが、その瞳の奥に張り付いている。


「ハル、ありがとう。後は俺が。任せて」


 これ以上ハルを巻き込むわけにはいかない。俺は親友へと振り返り、精一杯の平静を装って礼を言った。

 だが、実際のところ、俺の心臓は早鐘のように打っていた。これはどう考えても尋常ではない。


「うん……わかった。何かあったら、すぐに呼んでね」


 ハルは心配そうにミキを見つめ、それから俺の言葉に小さく頷いた。そして、後ろ髪を引かれるような足取りで、何度も振り返りながらその場を後にした。


 周囲を見渡すと、授業移動や帰宅で行き交う学生たちの奇異の目が、容赦なくこちらに突き刺さっていた。

 それはそうだ。白昼堂々、大学の中庭で錯乱して震えている女の子が居れば、俺だって不審に思って目を向けるだろう。

 とにかく、まずはこの場を離れるべきだ。これ以上、彼女を晒し者にはできない。


「ミキ、歩けるか? タクシーを呼ぶから、一旦、家に帰ろう」


 俺が耳元でなるべく優しく語りかけると、ミキは耳を塞いだ手の隙間から、コクコク、と力なく、小さく頷くのだった。


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