第38話 12月17日 トウヤ
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翌日、俺たちはB駅で合流し、すべての始まりである地下連絡通路へと向かって歩いていた。日下部教授とは現地で落ち合うことになっている。
街は、不条理なほどにいつも通りだった。
平日の夜だというのに、ネオンの下で大声を上げてカラオケ店から出てくる学生たちのグループ。肩を組み合って笑いながら歩く、ほろ酔い気分のサラリーマンたち。
すぐそこで世界の境界線が歪んでいるというのに、この日常のあまりの平穏さがひどく滑稽で、現実感を失わせる。これから起こる未知への恐怖への緊張から、俺の口の中は砂を噛んだようにパサパサに乾ききっていた。
その様子を隣で見ていて察したのだろう、並んで歩くハルが、懇願するような痛々しい声で話しかけてきた。
「ねぇ、トウヤ君……やっぱり、今からでもやめよう……?警察に全部任せて、私たちはもう関わらない方がいいよ……」
後ろを歩くソウジ君も、「そうですよ、トウヤさん」と、完全に及び腰になって俺の背中に声をかける。
ハルの言う通り、引き返すなら今が最後のチャンスだ。
でも、俺の胸の奥にある黒い塊は、それを許さなかった。ミキの命を奪い、俺の人生をめちゃくちゃにしたあの怪異の正体を、どうしてもこの手で暴きたかった。詳らかにしたかったのだ。
それはもはや、ミキへの愛や正義感といった綺麗な意志などではなく、世界に対するどす黒い『意地』のようなものだった。
「でも、これでもし……もし本当に、トウヤさんがショウキチ君みたいに戻ってこなかったら……」
「……ちょっと、ソウジ君!」
最悪の事態を口にしてしまったソウジ君を窘めるハルの声もまた、隠しようもなく震えていた。
一歩、また一歩と目的の地下階段へ近づく度に、俺の胸の奥で心臓がドキドキと警鐘を鳴らすようにボリュームを上げていく。
渇きを癒そうと、歩きながら口に運ぼうとしたペットボトルの緑茶が、手の震えのせいで小さく跳ねた。
その、ピチャ、という微かな水音に、俺はハッとして心臓が冷たく止まるような錯覚を覚えた。
(……水だ)
その瞬間、決意や意地という都合の良いハリボテで必死に覆い隠していた本音がむき出しになり、凄まじい恐怖の波が俺を襲った。
頭の中の冷静な自分が、冷徹に警告を発してくる。『おい、何てバカなことをしているんだ。死にに行くようなものだぞ。今すぐ走って逃げろ』と。
足がすくみそうになる。だが、ここまで来たのだ。俺が言い出したのだ。
ガチガチと情けなく音を立てる奥歯をギリ、と噛み締め、俺は自分の足に力を込めた。一歩一歩、あの恐怖の現場へと進むしかないのだ。ミキのためにも、そしてこれ以上、あのマサキのような犠牲者を出さないためにも。
◇
「待ち侘びたよ、諸君。遅かったじゃあないか」
地下通路の闇の手前。簡易的なバリケードの影から、日下部教授は両手を広げて、まるで舞台役者のように仰々しく俺たちを迎え入れた。
その眼の前には、あの日、ミキと笑いながら潜り抜けた時と何一つ変わらない、錆びついた『立入禁止』の文字と、鉄製の重い扉が沈黙を保っていた。
直前に確認した手筈はこうだ。
まず、ここにいる全員のスマホをLIMEグループの複数人通話状態に繋ぎっぱなしにする。そして、俺と日下部教授の二人が地下へと降りる。
ハルとソウジ君の二人は、地上に残り、スピーカー越しに俺たちの状況を監視する役目だ。
さらに、俺は腰から胸にかけて、教授が持参した登山用の頑丈なロープをこれでもかと強固に巻き付けた。教授は後ろからそのロープの端を握り、「現世との物理的な繋がり」を怪異にアピールするために、常にテンションを掛けて引っ張り続ける役割を担う。ソウジ君のオカルト理論に基づいた、境界線を切り離さないための命綱だ。
準備が整い、ハルが今にも泣き出しそうな、張り裂けそうな顔で俺の前に立った。
「トウヤ君。……絶対、絶対に何があっても戻ってきてね。約束だよ」
「ああ、分かってる。必ず戻るよ」
ハルはたまらず、俺の体に腕を回してぎゅっと軽くハグをしてくれた。冬の寒さの中で、彼女の体温が驚くほど温かく伝わってくる。これすらも、俺をこの世界に繋ぎ止めるための、強力な『現世の楔』になってくれる気がした。
「トウヤさん……」
不安げな顔で俺を見つめるソウジ君が、自分の手を差し出してきた。
「大丈夫。ソウジ君の作戦を信じるよ。行ってくる」
俺は彼の差し出した手を、痛いくらい固く握りしめて握手を交わした。
そうして、準備のすべてが終わるのを見届けると、教授はダウンジャケットの袖を捲り、腕時計の文字盤を軽く見やった。そして、鉄扉のノブに手袋をはめた手を掛けながら、信じられないほど軽いトーンでニヤリと笑った。
「フタサンマルヨン、作戦開始。……神の領域への不法侵入だ」
ギィィ……と、錆びついたヒンジが悲鳴を上げるような重い音が、地下の闇に響き渡る。
開かれた暗黒の奥からは、あの凍りつくような冷気と、微かな、しかし確かな「水の流れる音」が風に乗って漂ってきた。
そんな俺たちの決死の緊張感をよそに、教授は「やれやれ、大学の人間が見たら一発で免職だ。重大なコンプライアンス違反だね」などと、相変わらず素っ頓狂で不謹慎な冗談をブツブツと呟きながら、躊躇なく暗闇の階段へと一歩を踏み出していった。
俺はスマホの通話がつながっていることを画面で今一度確認し、ロープの感触を背中に感じながら、教授の背中を追って黒い深淵の中へと足を進めた。
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