第37話 12月16日 トウヤ
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次の日の夜。俺とハル、そして何故か心配そうに付いてきたソウジ君の三人で、日下部教授の研究室へ再び足を運んでいた。
デスクの上には、ハルの丸文字で書き込まれたノートが広げられている。俺たちは昨日カフェで導き出した推理――繋がっている『冥界』はそれぞれ異なり、死因や呪いのルールも別物ではないかという仮説を、教授へとぶつけた。
だが、すべてを静かに聞き終えた教授から返ってきた反応は、驚くほどに斜め上のものだった。
「だから……何だと言うのだね?」
それは、そんな前提条件などはじめから全て解っていた、とでも言いたげな、心底つまらなそうな声だった。
「は……?」
俺たち三人は顔を見合わせ、あまりの温度差に開いた口が塞がらなかった。
そんな俺たちの困惑の反応を知ってか知らずか、教授は手元の資料に目を落としたまま、矢継ぎ早に言葉を続けた。
「古今東西、冥界の門や裂け目を閉じたという逸話は数多く存在する。ある神話では、国一番の屈強な兵士が冥界の門へ自ら飛び込み、その身を賭して裂け目を閉じた。いわゆる『人柱』だよ。当然、彼らは二度とこちらの世界へ戻っては来なかった。……あの山奥のご老人が語ってくれた廃坑のショウキチ君の顛末も、完全にこの古典的な人柱のパターンだ。だからね、私にとっては正直、ひどく拍子抜けだったのだよ」
あの生々しく凄惨な経験談を聞いて、よくもまあ「拍子抜け」なんて言葉が出たものだ。
だからあの時、老婆の自分語りを遮ってまで結末を話すことを急かしていたのか。彼にとっては、ショウキチ君という一人の人間の悲劇的な経緯などどうでもよく、怪異が閉じた結果にしか興味が無かったからだ。
「そもそもだね、富永君。私と君たちとでは、この事象に対する根本的な『目的』が異なるのだよ。君たちは、大切な友人を、恋人を襲った悲劇の原因を探り、そして解消したい。……そうだね?」
「……はい」
「対して、私の目的はその先にある。――『冥界』という人知を超えた領域が一体何なのか、この目で、生きながらにして知ることだよ。そもそも『冥界』には、現世の生者は足を踏み入れることすら叶わない。運良く門を潜れたとしても、生還することは絶対的に不可能だ。それこそ、現世の理を超えた『神』でもない限りは、ね」
そこまで一気に言い切ると、教授は少しだけ声のトーンを落とした。そして、細い銀縁眼鏡の奥の瞳を、かつてないほど禍々しくギラギラと輝かせて言った。
「それに、開くことすら極めて稀な、現世と冥界を繋ぐ門が今、すぐ近くにあるのだよ。これを詳細に調査しない手はないだろう?」
完全に、興味本位で俺たちに協力していたってことか……。
最初からまともな倫理観のある人だとは思っていなかったけれど、こうして本人の口から悪びれもせずに断言されると、呆れを通り越して脳が怒りすら忘れ、無感情になっていくのが分かった。
部屋全体が氷ついたように固まってしまった俺とハルを余所に、静寂を破ってソウジ君がぽつり、と口を開いた。
「教授……。現代の都市伝説や神隠しの怪談では、『現世との確かな繋がり』が残っている間は、現世との境界線を完全に切り離すことができない、……すなわち、完全に神隠しを完了させることができない、というルールが、ネットのオカルト板などでは半ば定説になっています」
教授のことだ。そんな現代ネットのデマや出所不明の噂話など、鼻で笑って一蹴するものかと思った。だが、教授はゆっくりとソウジ君の方を振り返ると、ひどく興味深そうに「ほう、続け給え」と先を催促した。
「例えば……こちらの世界から物理的に頑丈なロープを体に結びつけて、なおかつスマホの通話や無線を繋ぎっぱなしにしたまま進む、とか……。あとは、ベタですけど、入り口に盛り塩をするとか、あえて背中を向けたまま後退りで進んでみるとか。あるいは、体中にびっしりと経文を、書き込む、とか……」
ソウジ君の声は、教授の鋭い視線に晒されるにつれて徐々に小さくなり、弱々しくなっていった。現役の学者を前にして、自分が口にしているオカルト知識に自信がなくなってきたのだろう。
だが、またもや教授の反応は、俺たちの予想の斜め上をいくものだった。
「……実に出色。そして、神々の機構への美しい冒涜だよ、園田君」
教授の薄い唇が、歓喜に歪む。
「神の定めた死のルールに対し、現世の科学や世俗的な道具を用いて、無理やり『繋がり』を維持したまま生還を試みるか。実に面白いアプローチだ。……だがね、それには一つ、致命的で大きな問題があるのだよ」
「と、言うと……何ですか」
ソウジ君が唾を飲み込む。
「一体だれが、その生存確率があまりにも低く、勝算の薄い賭けに乗るというのかな」
「……」
長い、長い沈黙が研究室を支配した。教授の極めて冷酷な指摘は、痛いほどに俺たちの胸に突き刺さった。
仮にその方法を試したとしても、二度と帰ってこられないかもしれない。そして最悪の場合、帰ってこられたとしても、人柱として向こう側に残らなければ、冥界への門を閉じ、川を堰き止めることすらできないかもしれないのだ。
ただ無駄に足を踏み入れ、ミキやあの配信者のマサキのように、見えない何かに嬲り殺されて終わるだけという、最悪のパターンだって十分にあり得る。
隣のハルを見ると、自分の無力さと悔しさに耐えかねるように拳を白くなるまで強く握りしめ、下を向いて唇を噛み締めていた。ソウジ君も、自身の提案の致命的な穴を的確に突かれ、二の句が継げずに青ざめた顔で沈黙したままだ。
「そう、だれもが思いついたとしても、実践には移せない。何故なら、自らのたった一つの命が掛かっているからね。それは、この私も同様だよ。私は観測者でありたいのであって、解き明かすのが目的だ。当事者になって死ぬつもりは毛頭ない」
教授が、冷徹に動かぬ現実の壁を突きつける。
だが――。
本当に、それでいいのか?
一番大切な、俺のすべてだった彼女を、ミキをあんな風に無残に、わけのわからない呪いで殺されておいて、俺は一生このまま、後ろ指を指されながら黙って怯えて生きていくのか?
脳裏に、彼女のあの弾けるような笑顔が、眩しい光が蘇る。彼女は、俺の人生のすべてを照らしてくれる、唯一の太陽だったんだ。
すると、ダウナーな彼が歌うメロディが頭の奥でよぎり、鳴り響いた。
『今は全てに恐れるな』
俺はもう、失う痛みなら十分に知っている。
ミキのいない世界で、これ以上何を恐れる必要がある。
「……教授」
「なんだね、富永君?」
教授が、いつものように冷淡な目で俺を見た。
俺は椅子の背もたれから背を離し、覚悟を決めた目で彼を真っ直ぐに見つめ返した。
「……俺が、行きます」
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