第34話 12月14日 トウヤ
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パチパチ、と静まり返った木々に囲まれた寒空の下、薪が爆ぜる音だけが静かに響く。
老婆の家を後にした俺と日下部教授は、早々に車へと戻った。
てっきりここから車を走らせて、どこか街中のビジネスホテルにでも行くものとばかり思っていた。だが、教授は街へ戻るどころか、道路脇にちょうど良さそうな未舗装の空き地を見つけると、躊躇なくそこで車を止めたのだった。
周囲は完全な、深い森の中。ここへ来るまでの道路では、俺たち以外の車や動くものの気配は一切見ていない。
「教授……もしかして、ここで夜を明かすつもりですか?」
流石に困惑して尋ねる。老婆の親切な申し出をわざわざ断ってまで、こんな凍えるような真っ暗な山奥で野宿を選択する意味が、俺にはどうしても分からなかった。
「その通りだ。ああ、心配するな。車内には二人分の十分な食料も、寝袋も積み込んである」
いや、俺が心配しているのはそういう物質的な問題ではないのだが……。
「何故、あの申し出を断ったんです? あそこで一晩お世話になった方が、普通に考えて身体も休まったはずでしょう」
ストレートに聞いてみたが、返ってきた回答は、至極シンプルなものだった。
「私は他人の家特有の生活臭――いわゆる匂いが昔からどうにも苦手でね。だからお断りしたまでだよ。理由としては十分だろう?」
なんというか……実に教授らしい理由だった。
これ以上何を言っても無駄だと悟り、はぁ、と白い息と一緒にため息を吐き出す。ポケットからスマホを取り出して画面を見ると、時刻は21時を回っていた。
電波の表示は完全に『圏外』。けれど、どこかでネットワークに繋がったのかもしれない。ハルからのLIMEの通知が一件だけ画面に残っていた。
『大丈夫? 何か分かった?』
俺の身を心配する内容だったが、返信しようにも電波が届かない。俺は諦めてスマホを再びポケットの奥へとしまい込んだ。
そうこうしているうちに、眼の前では、夕食の準備が教授の手によって着々と進められていた。手慣れた様子でポータブルのシングルバーナーに火を点け、テキパキと動く彼を前に、アウトドアの勝手が全くわからない俺は手伝うことも出来ず、ただ丸太に腰掛けて老婆の言葉を何度も頭の中で思い返しては、深い思考の海に沈んでいた。
黄泉の国。そして、現世に溢れ出た三途の川。
その理不尽な災厄の水を止めるには、人間が自らその源流へと入り込むしかない。そして、入ってしまえば、二度とこちらの世界へ戻ることはできない。
それは実質、その水を止める術など、現代の俺たちには「ない」に等しかった。ミキを救うどころか、これから先、あの地下通路を完全に封鎖し続けること以外に手はないというのか。
「……老婆の御子息の、実に見事な、そして美しい自己犠牲だったね」
教授が五徳の上のメスティンを火に掛けながら、まるでこちらの心を完璧に読んだかのようなタイミングでぽつりと言った。
「私はね、過去の文献からして、現地にもっとスマートな解決法があるかと期待していたのだがね。ただの力技だったとはね、見当違いだったよ」
『どう解決したか』。
教授にとっては、その構造だけが唯一の興味の対象だったのだろう。村と家族を守るために身を挺して事態の収束を図った、あのショウキチ君の偉業やその後の遺族の悲哀など、彼には本当にどうでもよいことなのだ。
他に方法はないのだろうか。だが、この人が、わざわざここまで自ら調査に来ているくらいだ。怪異を止めるための手がかりは、老婆の語った「犠牲の物語」のみと見ていいだろう。
だが、あの『シバルバー』の呪われた水を、あの地下通路にそのままにしておいて本当によいのだろうか。このまま放置すれば、またミキやマサキと同じ凄惨な道をたどる人が、遠からず出てこないとも限らない。
「空腹時、前頭前野の活動が鈍っている時にあれこれと難解な思考を巡らせても仕方がないよ、富永君。さあ、温かいうちに食べ給え」
焚き火の光に照らされた教授が、ふっと表情を緩め、メスティンを俺に差し出してくれた。
受け取って四角いアルミの蓋を開けると、暗闇の中に、ほかほかとした真っ白な湯気を立てる美しい白米が炊きあがっていた。そして教授はその上に、焚き火でこんがりとジューシーに焼かれた大きなソーセージを無造作にゴロン、と乗せてくれた。
「一時的な栄養摂取ならバナナと水だけで事足りるが、それでは味気ないだろう?折角の休日、折角の食事だ。この不便さも含めて、楽しまなければ損というものだよ」
そこには、いつもの皮肉や嫌味、計算された冷徹な含みなどは一切ない、少年のような純粋な笑みがあった。
教授はこの状況すらも、自らの知的好奇心を満たす旅として、心から楽しんでいるようだった。
その瞬間、俺はほんのちょっとだけ、この風変わりで非情な教授のことを尊敬してしまった。
そうだ。ここで俺が一人で焦ったって、苦しんだって、何が解決するわけでもない。それは、数日前に俺自身がハルに向かって、言ったことじゃないか。
「……いただきます」
俺は金属製のフォークを握りしめ、温かい白米を口いっぱいに放り込んだ。肉汁たっぷりのソーセージの味が、冷え切った身体に驚くほど優しく染み渡っていった。
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