第33話 12月14日 トウヤ
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老婆の口から語られる当時の様子は、あまりにも悍ましく、恐るべきものだった。
目の前で化け物に変貌していく先輩を目の当たりにし、それでも家族を養うために、精神をすり減らしながら憔悴していくショウキチの姿。同じ「大切な人を奪われた」者として、俺はショウキチの絶望にどこまでも感情移入してしまい、胸が引き裂かれるように痛かった。
俺は血の気が引く思いのまま、すがるように横に座る日下部教授の顔を見た。だが、そこに浮かんでいたのは、別の意味で恐るべき表情だった。
――興味の欠片もない。
重い瞼がギリギリ数ミリだけ開いているような、今にも退屈さのあまり深い眠りに落ちそうな表情。長い、要領を得ない、早く終われ、と、彼の顔が、全身のオーラがそう物語っていた。犠牲者の悲劇など、彼にとってはどうでもいいのだ。
だが、目の前の老婆はそのあまりの死んだような表情を、息子の境遇を想って深く心を痛めている哀悼の姿だと勘違いしたのだろう。
「……すまないね。若いあんたたちには、少し生々しすぎる話だったね」と、申し訳なさそうに眉をひそめた。
その言葉で、狸寝入りを決めていた男がようやく息を吹き返したかのように、ゆっくりと口を開く。
「……いえ。ご老人の当時の心労、お察しいたします。ですが……やはり、我々、特にこの息子には少々刺激が強すぎたようでしてね。申し訳ありません。お手数ですが、ここからの話はどうか簡潔に――どのようにしてその事態を『解決』したのか、その結末だけをご教授頂くことは可能でしょうか」
白々しく自分の胸に手を当て、さも息子の体調を気遣う慈悲深い父親のポーズで、訴えかけるように言う。
脳内で要約すると、この人は『自分語りはもういいから、本題の解決策の要点だけ早く話して、さっさとこの時間を終わらせてくれ』と言っているのだ。
どこまでも人間のクズというか、予想の斜め上を行く人だ。もちろん、最悪な意味で。
それを聞いた老婆は少しだけ視線を落とすと、淡々と、悲劇の続きを語り始めた。
「……わかったよ。倒れて死ぬ者が増えるに連れ、元締めもさすがに事実を隠しきれなくなっていった。そこでようやく重い腰を上げたのが、この土地の地主さ。この山一帯を代々所有している旧家でね。鉱山の運営自体は『西澤石灰』に丸投げして、自分たち一族は東京や海外でのんびり暮らしていたそうだ」
なるほど。この土地が産み出す莫大な使用料や利権を元手に、自分たちは汗一つかかずに贅沢三昧の生活を送っていたわけか。
不労所得。これから社会に出んとする、就職活動を控えた俺にとっては、あまりにも抗いがたい強烈な魅力のある言葉だった。だが、そんな一族にも逃れられない呪いが降りかかったのだ。
「当時の当主がね、先祖代々伝わるという古ぼけた巻物を抱えて、ガタガタと震えながら村にやってきたんだよ。『書かれている通りだ』ってね」
その言葉を聞いた瞬間、教授の目がギラリと見開かれた。
座卓から身を乗り出さんばかりの勢いで、ガタッと身を震わせる。
「……それは、どういうことです?具体的に何が書かれていたのですか」
老婆に食い気味に、鋭い質問を飛ばす。さっきまでの退屈な雰囲気が、嘘のようだ。
「その巻物にはね、この山は古くから『黄泉の国』と地続きで繋がっている。そこに湧き出た水は、現世の者が触れてはならない三途の河だ、って書かれていたそうさ。最初はみんな、地主が責任逃れのために大ホラを吹いてるんだと思ったよ。だけどね、あの変わり果てた鉱夫たちの惨状を目の当たりにすると、信じざるを得なかった。……地主が言うには、その河を根元から堰き止める必要がある、と。そのためには、決して振り返らずに、その河の奥深くを進む必要がある、とね」
話の規模が現実を逸脱していく。俺は恐怖のあまり、思わず言葉を挟んで聞き返してしまった。
「せき止めるって……そんな、川を、人間の手で堰き止めることなんて本当にできるんですか……?」
「延々と湧き出る『それ』を、この世の土嚢やコンクリートで物理的に堰き止めることなんてできやしない。……文字通り、実際に黄泉の国へと足を踏み入れて、向こう側の境界線を閉じるしかないんだよ」
「……それを、ショウキチ君が?」
「そうさ。あの子は本当に正義感が強い子でね……。村と家族を守るためだって、自分から、進んで誰も近づかない坑道の奥へ入っていったよ。地主の巻物の通りに、決して、決して後ろを振り返らずにね。……真っ暗な岩の隙間の奥へ、あの子の背中が吸い込まれていく光景は、今でも夢かと思うくらい鮮明に覚えているよ」
老婆の目に、うっすらと涙が浮かぶ。
「あの子が奥へ消えて、暫くするとね……不思議なことに、あれだけ溢れていた不気味な水が、ピタリと収まったんだよ。不審死も止まった。会社はすぐに採掘を再開した。すべてが上手く収まったんだと、誰もが喜んだよ。……でもね」
俺は、鴨居の上に飾られた、笑顔のまま時を止めている若い少年の遺影を見上げて、震える声で言った。
「ショウキチ君は……」
老婆は、消え入りそうなか細い声で言った。
「……二度と、帰ってこなかったよ」
予想通りの、回答。
「それに加えてね、いくら水が止まったからって、一度広まった噂はすぐには消えやしない。恐怖に耐えかねて、村から去っていく者がみるみるうちに増えてね。結局は、さっきあんたたちが見てきた通りさ。……折角、息子が命を、身体を張って山を救ってくれたっていうのにね。全部、無駄になっちまったんだよ」
老婆の深い無念が部屋に満ちる。だが、俺は村を去っていった周囲の人間の感情も、痛いほど理解できた。そもそもただでさえ命がけの過酷な採掘作業なのだ。そこに人智を超えた怪異や呪いがあったとなれば、身の危険を感じて即座に撤収するのが一番の得策だろう。もし俺が当時の鉱夫だったとしても、絶対に家族を連れて逃げ出す。
そこまで一通り話を聞き終えた教授が、おもむろに勢いよく立ち上がった。
「ご老人。貴重なお話をありがとうございます。知りたいことの全容が掴めました。我々はこれで御暇させて頂きます」
「おや……。外はもう、すっかり真っ暗だよ。食事も用意するから、悪いことは言わない。今夜はうちに泊まっていきなさい」
老婆の言葉に、俺はハッとして和室の木枠の窓の外に目をやった。
まだ時計の針は18時を回ったところだというのに、冬の山の夜は早い。窓の外には、すでに濃厚な夜の帷が完全に降りており、街灯一つない漆黒の闇が広がっていた。
この真っ暗な山道を帰るのは自殺行為に近い。ここは老婆の温かい言葉に甘えて、一晩泊めてもらった方がいいのではないか。
どうしましょうか、という不安な視線を教授に送る。だが、荷物をまとめる教授の意志は、岩のように硬いようだった。眼鏡の奥の目は、すでにこの家には用はないと告げている。
「いえ、これ以上ご老人にご迷惑をお掛けする訳にはいきません。……さあ、行こう」
教授の本当の意図は全くわからなかったが、俺はとりあえず老婆に対して「ありがとうございました」と深く一礼し、冷たい夜気が満ちる民家を後にした。車へと戻る道すがら、背後で閉まった引き戸の音が、ひどく寂しく山に響いた。
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