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此岸の境界  作者: 邑沢 迅
5章

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第25話 12月11日 ソウジ

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 ハルさんがワイヤレスイヤホンを外し、僕に返そうとしてくれたけれど、その指先は小さく震えていて、イヤホンはポロリと机の上に転げ落ちてしまった。


「あっ……ごめん」


「あ、いえ、僕が拾います」


 僕は慌てて机の下へと転がりそうになったイヤホンを拾い上げ、プラスチックのケースに戻した。けれど、カチャリと蓋を閉めた後も、次の言葉がどうしても出てこなかった。


 スマートフォンの画面には、依然として『配信が終了しました』という文字が表示されたままだ。

 ハルさんも、手にしたままの弁当の袋を開くことも忘れて、その冷たい画面をただじっと見つめ続けていた。


 昼休みの学食の賑やかな喧騒が遠くに聞こえる。

 どれくらいの時間が経っただろう。暫くの重苦しい沈黙の後、ハルさんが掠れた声でぽつりと口を開いた。


「これって……映像作品か、なにか……じゃないよね」


「おそらく……違うと思います」


 もしこれが映画のワンシーンなら、どんなに良かっただろう。

 けれど、登録者数二桁の売れないYohTuber(ヨーチューバー)であるマサキが、こんな手の込んだVFXをどこかの業者に委託する資金など、持ち合わせているはずがない。それに、あの骨が軋む音や血を吐いた時のリアルな質感は、作り物には到底見えなかった。


 では、僕たちがさっきリアルタイムの生配信で目撃した、あの映像は一体何だというのか。


「ソウジ君。……このマサキって人、もしかして、B駅の地下連絡通路に入ったこと、あるかな」


 ハルさんの口から飛び出した具体的な駅名に、僕は心臓がドクリと跳ね上がるのを感じた。


「えっ……あ、あ、はい。一週間ほど前に、配信の企画で……。どうして、それを?」


「……やっぱり」


 ハルさんは顔から完全に血の気を引かせ、自分の肩を抱くようにして小さく身震いした。


「やっぱり……って、ハルさん、何か知ってるんですか?」


「実は、ね……」


 ハルさんは周囲の学生たちに聞こえないよう、声を極限まで潜めながら、恐る恐る語り始めてくれた。

 親友である皆川美希さんが数日前に亡くなった本当の経緯。世間ではDVだの殺人だのと噂されているけれど、彼氏のトウヤさんは犯人ではなく、むしろ目の前でその怪異を目撃した当事者であること。そして、そのあまりの異常事態に、日下部教授の元を訪れて相談していたこと――。


 正直に言って、あまりの突拍子の無さに、最初はハルさんが大切な親友を亡くした悲しみのあまり、狂ってしまったのではないかとさえ思った。


 だが、ハルさんが『マサキが地下連絡通路に入ったこと』を完璧に言い当てたこと。そして、何より先ほど僕がこの目で見たマサキのあの悍ましい最期の映像。それらすべてがピースのように噛み合い、彼女の荒唐無稽な話を信じさせるに足る、不気味な信憑性を生み出していた。


「ソウジ君」


 ハルさんが、決意を秘めた瞳で僕を真っ直ぐに見つめてきた。


「……なんでしょう……?」


「今日の夜、時間あるかな」


「はい。……今日はバイトも無いので……夜ならいつでも大丈夫です」


「……ありがとう。あのね、もしよかったら、一緒に日下部教授のところ、来てくれないかな。この動画のこと、一緒に教授に伝えてほしいの」


 ハルさんの真剣な眼差しに、僕はゴクリと生唾を飲み込んだ。


 正直言うと、怖い。

 巻き込まれたら、僕もあの画面の向こうの男みたいになってしまうかもしれないという恐怖が、足の先から這い上がってくる。

 だが、僕がハルさんを少しでも支えられるチャンスが、今ここにあるのだ。男として、逃げるわけには行かない。


「……わかりました。一緒に行きます」


 僕が強く頷くと、ハルさんは少しだけ安心したように、「ありがとう」と、小さく息を吐いたのだった。


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