第20話 12月6日 ハル
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ヘビに睨まれた蛙、とはまさにこのことか。
私とトウヤ君は日下部教授に促されるままにスチール製の椅子に座り、デスクを挟んで彼の正面に相対していた。
教授の纏う雰囲気そのものは、いつも通り穏やかで物静かだ。けれど、眼鏡の奥から放たれる、獲物を見つけたかのような好奇の色と、私たちを値踏みするような冷徹な視線は、隠しようもなく真っ直ぐに突き刺さっていた。
地下通路から始まり、ミキの身に起きた異変、そしてトウヤ君が目撃したあの動く痣。
息が詰まるような沈黙の中で、私が最近の出来事を一通り掻い摘んで説明し終えると、「なるほど」と教授は低く呟いた。
彼はゆっくりと椅子から立ち上がると、背後の棚からコーヒー豆の入ったガラスのキャニスターを手に取った。
こうして改めて教授が立っている姿を見ると、意外なほどに背が高いのだな、と今更のように気づく。
黒い上質なセーターの首元からは、細かな柄の入ったカッターシャツが覗いており、ボトムは仕立ての良さそうなベージュのチノパン。白髪が綺麗に交じった短めの髪と、光を反射する細い銀縁の眼鏡が、彼の冷徹なまでの知性を物語っているようだった。
「君たちも飲むかい。……ちょうど友人から貰った高級品があってね。ゲイシャ種、心地よい華やかな酸味が特徴でね」
カラカラ、と小気味よい音を立てて、ガラス容器の中で褐色に輝く豆が踊る。
そう言って教授はキャニスターの蓋を開け、すぅ、と目を閉じて香りを確かめると、実になんとも満足げな表情を浮かべた。
私は、この男性のこういった底を見せないところが、どうしても苦手なのだ。
目の前で親友が怪死したと訴えている学生がいるのに、何を考えているのか全くわからない。時折挟まれるこういう突飛なマイペースさが、こちらの神経を逆撫でし、激しく混乱させる。
でも、気のせいだろうか。今日の教授は、普段教壇に立って講義をしているときよりも、その浮世離れした奇癖がさらに顕著に出ているように思えた。
「……頂きます」
私が一人で苛立ちを募らせてあれこれ考えていると、横に座っていたトウヤ君が、掠れた声でぽつりと答えた。
教授は言葉を返すでもなく、ザラザラ、と手動のコーヒーミルに丁寧な手つきで三回、豆を移し、ゴリゴリ、ゴリゴリと硬い音を立てて挽き始めた。
なんなんだ、この人は。私達はお茶会をしにきたわけじゃない。
私は、この部屋を支配するあまりにも奇妙な空気に耐えきれなくなって、ついに口を開いた。
「あの、教授」
「なんだね」
教授はミルを回す手を止めず、視線だけをこちらに向けた。
「先程の私たちのお話……。ミキの身に起きたあの異常な現象について、何か、心当たりなどありませんでしょうか。私たちは遊んでいるわけじゃないんです」
「君たちの焦る気持ちはよくわかるよ、萩原さん。……だがね、急いては事を仕損じるというだろう」
子供を諭すような、どこか突き放した物言いに、私の胸の中で何かがカチンと激しく弾けた。
私たちをただの無知な学生だと侮って、バカにしているのだろうか。人が一人死んでいるというのに。
怒りのあまり思考がショートし、思わず椅子を蹴立てるように立ち上がり、「教授」と声を荒げそうになった、まさにその瞬間。
隣に座っていたトウヤ君の手が、私の焦る肩を強く、しかし優しく掴んだ。
「ハル、座るんだ。……教授の言う通りだ。俺たちがここで焦ったって、ミキは戻ってこない」
「トウヤ君……」
驚いて横を向くと、トウヤ君が私をじっと見つめていた。その瞳には、絶望や諦めとは全く違う、何があっても真実を暴くという冷徹で確かな『決意』が宿っていた。
そうだ。ミキは私の大切な親友であると同時に、彼の愛する彼女だったのだ。今この部屋で、私だけが悲しくて焦っているわけでは決して、ない。
「……ごめん」
私は小さく呟き、再び椅子へと腰を下ろした。
「彼は良く物事が見えているようだね。萩原さんも、少し落ち着き給えよ」
教授はそう言いながら、挽き終わったばかりの芳醇香りを放つコーヒー豆を、手際よくドリッパーのフィルターへと移し、細いケトルの注ぎ口からゆっくりとお湯を注いでいく。
それまで埃っぽかった研究室の空気が、一瞬にして香ばしく贅沢な香りで満たされていく。
そうして、私たちの前のデスクに、静かに二つの蒼い特徴的なコーヒーカップが差し出された。
「そのカップもお気に入りでね。有田焼の開祖、李参平の系譜を引く窯元のもので――おや、萩原さん、そんな怖い顔で見ないでくれ給え。確かに、これ以上蘊蓄を並べたら、せっかくのゲイシャが冷めてしまうね。……さて、話を始めるのは、一息ついてからにしようか」
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