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此岸の境界  作者: 邑沢 迅
3章

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第17話 12月5日 ハル

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 出棺を終えると、叩きつけるような雨のせいもあり、参列した親族一同は皆、吸い込まれるように足早に会館の建物へと戻っていった。


「ハルちゃんも、早く中に入りなさい。寒いでしょう」


 ミキのお母さんが、私を気遣うように声をかけてくれる。おばさんに促されるが、私の意識はあの出口の人影に向けられていた。


「うん、おばさん、ありがとう。……先に中に入ってて」


「え?ええ、わかったわ……」


 おばさんは不思議そうな顔をしながらも、寒さに耐えかねたように「わかったわ」と言いながら、自動ドアの向こう、会館の中へと消えていった。


 周囲に誰もいなくなったのを確認し、私は出口の、その人物へと真っ直ぐ歩みを進めた。

 雨に霞むシルエット。けれど、私には間違いなく彼だという確信があったからだ。

 彼も、近づいてくる私にようやく気づいたようだった。そして、少しだけ、会館の窓からは死角になる位置の、コンクリート塀の影へと逃げるように身を潜めた。


「トウヤ君」


「……ハル」


 びしょ濡れの彼が、そこに立っていた。


「……痣、見たよ」


 棺の中のミキの首元。死化粧でも隠せなかった、あの生々しい不気味な痕のことだ。


「ああ」


「警察は?」


「証拠不十分だって」


「そう」


 会話しているようで、お互いにまともに噛み合っていない。

 意識が通っているようで、どこか遠い世界に魂があるかのように、通っていない。

 ただ、お互いの存在を確認し合うためだけに、短く、冷たい言葉を投げあうだけのやり取りだった。


 トウヤ君は、この凍えるような寒空の下、傘も差さずに全身から雨の滴を滴らせながら、ただ呆然と、霊柩車が去っていった方向をじっと見つめ続けていた。


「風邪、ひくよ」


「ああ」


 あえて葬儀の場に姿を見せなかったのは、彼なりの、遺族を刺激しないための最大の配慮だったのだろう。傘すら差さずにここで一人で見送っていた彼の姿を見て、私は確信した。彼がミキを殺すはずがない。彼が犯人ではないということが、理屈ではなく心で分かった。


「……ここで待ってて」


 一言だけそう言い残すと、私は一度会館へと戻り、おばさんに体調が悪いからと嘘を言って先に帰ることを告げた。そして、すぐに荷物をまとめてトウヤ君の元へと急ぎ、彼の凍えた手を引いてその場を後にした。



 タクシーを飛ばしてやってきた、トウヤ君の自宅。

 初めて入る彼の部屋は、彼の真面目で控えめな性格をそのまま表しているかのように、酷く簡素な場所だった。

 部屋の端っこに几帳面なほど丁寧に畳まれた布団。綺麗に書類が整頓された木製のデスク。


(ミキの部屋とは……本当に正反対だな)


 衣類や本が乱雑に散らかっていたミキの賑やかなワンルームを思い出し、胸がキュッと締め付けられる。

 そんな物寂しい部屋の中で、唯一、異彩を放っていたのが床に敷かれた白いラグだった。

 毛足の長い、ふわふわとした、いかにも女の子が好みそうなデザイン。明らかにトウヤ君自身の趣味ではないであろう、それ。……きっと、ミキが選んでここに置かせたものなのだろう。主を失ったラグだけが、そこにぽつんと残されていた。


 ピチャ、ピチャ。


 静かな部屋に、不気味なほどはっきりと水の音が響く。

 トウヤ君の服や髪から滴り落ちる雨水が、やがてフローリングの床に小さな水たまりを作っていった。玄関でいつまでもじっとしていても仕方がない。

 私は彼の背中を押し、半ば無理やり浴室へと押し込んだ。


「これ、借りるね」


 脱衣所に掛けてあったバスタオルを一枚手に取り、私は屈み込んでフローリングの水を丁寧に拭き取った。

 それから、綺麗に片付けられているキッチンへと向かう。電気ケトルに水道の水を注ぎ、スイッチをカチリと入れる。


 ケトルがシューシューと音を立てて湯気を沸かし始めた頃、ガラガラ、と脱衣所の引き戸が開き、スウェットに着替えたトウヤ君がノソノソと現れた。髪はまだ少し濡れている。


「……ごめん」


 ぽつりと漏らした彼の言葉が、ミキを守れなかったことに対してなのか、それとも私にこんな面倒をかけていることに対しての謝罪なのかはわからなかった。でも、私はもう、自分が何をすべきかわかっている。


「コーヒー、これ使うね」


「ああ……」


 吊り戸棚を開けると、二つ分のマグカップが並んでいた。

 片方は男物らしい簡素なステンレスのタンブラー。そしてもう片方は、ピンクのかわいらしい装飾が付いた、明らかにミキ専用のマグカップだった。


 私は少し胸を痛めながらも、湯気が立つ二つのコップを持ち、部屋の中央にある小さなローテーブルへと座った。トウヤ君も対面に静かに腰を下ろす。

 温かいコーヒーを一口、ゆっくりと啜って喉を潤した後、私はまっすぐに彼を見て、意を決して口を開いた。


「手がかりが……見つかったかもしれないの」


「それは……」


「ミキをあんな目に遭わせた……犯人に繋がる、手がかり」


 その言葉を聞いた瞬間、トウヤ君の死んだようだった目に、見る見ると凄まじい光が灯り、瞳孔が開いた。まるで私を射殺すかのごとく、猛烈な勢いで見つめ返してくる。

 次の瞬間、彼はテーブルを乗り出すようにして、私の両肩をガシッと力任せに掴んだ。


「教えてくれ……!ハル、何が分かったんだ!?」


 そのままガタガタと激しく揺さぶられる。彼の指の爪が衣服の上から肉に食い込んで、痛い。けれど、その強い痛みには、彼がこの数日間一人で抱え込んできた、行き場のない激しい怒りや悲しみのすべてが込められているようだった。


「……痛いよ、トウヤ君」


「――!ご、ごめん……!」


 我に返ったトウヤ君は、ハッと慌てて両手を離した。

 そして、激しく波立つ己の感情を必死に落ち着けるかのように、熱いコーヒーをゴクリ、と一口啜った後、改めて、縋るような目で私を見つめて口を開いた。


「……で、手がかりって、一体何なんだ」


「うん。まだはっきりとした確証があるわけじゃないんだけど……サークルの後輩の、ソウジ君がね」


「後輩……?」


「そう、オカルトとか都市伝説に詳しい子がいて。ミキの身に起きたことを話したら、日下部教授に相談してみたらどうか、って教えてくれたの」


「日下部教授……」


 トウヤ君は、失っていた生気を完全に引き戻したような顔で、その冷徹な教授の名前を低く反芻した。その脳裏に、あの不可解な怪異の記憶が急速に蘇っているのが分かった。


「私、明日、その教授のところへ会いに行こうと思ってるの。ミキに何が起きたのか、知りたいから」


「……俺も、ついて行ってもいいか」


「もちろん。一緒に行こう」


 私たちは互いに強く頷き合った。


 ただ絶望に打ちひしがれるだけだった時間はおしまいだ。

 前を向くんだ。ミキを死に追いやった『何か』の正体を、暴きにいくために。


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