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此岸の境界  作者: 邑沢 迅
2章

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第12話 12月3日 ソウジ

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 早く着きすぎてしまった。

 待ち合わせの時間の二十分も前に店に入ってしまったせいで、注文したLサイズのアイスコーヒーのグラスは、既に氷だけになっていた。

 ジュル、とストローを鳴らす。溶けた氷ですっかり薄まった、かすかにコーヒーの匂いがするだけの水を啜る。情けない音が、妙に広く感じる店内に虚しく響いた。


「ごめんね、待ったかな」


 不意に、上から聞き慣れた声が降ってきた。ハルさんだ。


「こ、こんばんわ」


 弾かれたように振り返る。しかし、そこにいた憧れの人の表情を見た瞬間、言葉が詰まった。

 いつもの明るい笑顔ではない。顔色はどんよりと曇っている。心なしか少し痩せたようにも見え、その綺麗な目元には、はっきりと濃い隈が出来ていた。


「ハルさん……」


 ハルさんは、ゆっくりと対面の席へと腰を下ろした。

 そこから、次の言葉がどうしても見つからない。ずしりと重い沈黙が、僕たちの間にのしかかる。

 僕の目の前にはとっくに空になったグラス。そして、彼女の手元には、まだ何もなかった。


「ぼ、僕、何か、注文してきますね!あ、あの、ハルさんは……何がいいですか?」


 耐えかねて、沈黙から逃げるように早口で言った。


「ありがとう。じゃあ……カフェオレ、お願いできるかな。ホットで」


「わかりました!」


 そそくさと席を立ち、逃げるようにレジへと向かう。


「アイスコーヒーのSと、カフェオレのS、ホットでお願いします」


 注文を終えて待っている間、天井のスピーカーから流れる店内のBGMが、やけに耳に刺さった。大ファンであるアーティストの曲なのに、今日ばかりは聴いていて辛い。


 『恋愛対象、どうだろう』なんて歌詞が流れてくるが、頼むからそんなこと僕に聞かないでくれ、と思う。ハルさんとの関係値なんて、今はただのサークルの先輩と後輩でしかないに決まってる。


 店員のお姉さんにスマホのQRコードを提示し、決済を終わらせる。

 お盆の上に二つの飲み物を乗せて席へと戻る途中も、僕は「ここに戻ったらまず何を話せばいいか」をずっと、必死に考えていた。


「おまたせしました」


「あ、ごめんね、ありがとう。お金……」


 お盆をテーブルに置き、席につくと同時に、ハルさんが申し訳なさそうにカバンをごそごそとしだした。


「いいです、いいです!僕が勝手に買いにいったんで、奢らせてください」


「……うん、ありがとう」


 財布を閉じるハルさん。そして、またもや僕らのテーブルを、容赦のない沈黙が包み込む。

 お互いにただ、手元の飲み物の水位を少しずつ推移させていくだけの時間。ストローの先や、カップから立ち上る湯気を眺めることしかできない。

 僕はどうしていいかわからず、自分のグラスに目を落とし、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。


 だが。ぽつりと、ハルさんが重い口を開いて語り始めたのだ。


「小学生のときからの、親友だったの」


 ミキさんのことだろう。


「私ね、小さいときは、今よりもっと引っ込み思案で……上手く人と話せなくて、いつも一人だったんだ」


 下を向いたハルさんの表情は、前髪の影に隠れて上手く読み取れない。ただ、その声は今にも消え入りそうに震えていた。


「でもね、ミキが『こっちおいでよ』って、いつも手を引いてくれたから。……今やってる軽音部だってね、カラオケで私の歌を聴いて『ハルは歌が上手いんだから絶対やったほうがいい!』って言ってくれたから、入ったの。彼女がいたから、私はここまで頑張れたんだよ」


 ハルさんは、自分の膝の上で両手をきつく握りしめた。


「でも……あんな死にかたって、無いよ」


 ぽたり、と。

 彼女のスカートに、ひとつの丸い大きな雫が落ちて、じんわりとシミを作った。


 言葉が、完全に詰まってしまった。

 自分の人生経験の無さを、今日ほど激しく呪ったことはない。

 目の前で涙を流している一番好きな女性に、かけるべき優しい一声さえ、今の僕には見つけることができないのだ。ただただ、無力だった。


 だが、次の瞬間、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 その長い睫毛には、今にも零れ落ちそうな涙がたっぷりと溜まっていたが、その瞳は悲しみ一色ではなかった。何か、ふと重大なことに気がついたような、そんな切迫した光が宿っていた。


「ソウジ君」


「……はい」


 ハルさんはまっすぐに僕の目を射すように見つめ、微かに掠れた声で言った。


「ソウジ君って……オカルトとか、都市伝説のこと、詳しい、んだっけ」


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