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第9曲 巻貝とささやき聲

妻の足に触れたことについて、その後しばらくラハーレがオードを問い詰めるのに時間を要したが、おもしろがって見ていた周囲の面々が、そろそろ止めようぜ、と割って入ったことで、事態は一応の収束を見た。


なお、ジンシャーが問答無用で押しつけた契約は、オードによれば「生涯にわたり衣食住を過不足なく提供すること」なる内容らしい。

何かしら力添えをしてくれるつもりはあるようだが、それも本猫(ほんにん)の気分次第であり、見返りらしい見返りは特にない。


すわ古代の神秘との遭遇か、と色めき立っていた周囲は、内容を聞くや早々に興味を失った。


普段は威厳もへったくれもないオードだが、『賢者』の通り名は伊達ではない。

古代文明や超科学への見識は広く深く、そう簡単に手の内を明かす人ではないが、エセンとはまた異なる手法を用いているらしい。


最大懸案の新型仙人掌については、むしろ案外あっさりと片がついた。

曰く、エセンの特異性をどうこう云ったところで今さらだと。


「むやみやたらと近づかなければ攻撃してくることはなさそうだし、身内で近づくことがあるとしたら常兵隊の見回りくらいだからな。自分の身くらい自分で守ってもらわにゃ困る」


使用場所は限定するものの、新型仙人掌を防犯柵として採用しようとのオードの意見に他の評議員も賛同したので、仙人掌は無事お買い上げとなった。


今回の開発は、評議会の総意を元にオードが依頼したものである。


少し前に、ラハーレが管理する情報管理局に物盗りの入る事件があった。

建物に入る手前、敷地内で御用となったので未遂だが、そもそも敷地へ侵入を許すとは何事だ、と腹と頬のたるんだ狸親父がしばらくの間うるさかった。


情報管理局の警備は常兵隊の警邏部門が請け負っているので、厳密にはラハーレの責任ではないのだが、おためごかしのご注進に嫌気の差したオードが、「評議会として手は打った」ことにできるよう何とかせよと、研究所に丸投げしたのだ。


狸親父バルミレンの祖父デラーシュは、今やエーレの経済および市民生活の生命線となっているラーゼ河を、運河として建設した技術者である。

その功績と人徳をもって評議会の第三席を預かっていた人であるが、息子も孫も突出した何かがあるわけでもなく、デラーシュ一家の栄華は一代にして下火となった。

どこぞの研究所でも聞いたような話である。


どの國でも親や先祖の栄光にすがる者はいるわけだが、身分制を置かないエーレ中立國もまた例外ではなく、そういった人々が一定数いるのが現実だ。


バルミレンの気質からして、偉大なる祖父の後釜となったラハーレを目の敵にしないはずもなく、何かにつけては難癖をつけたり妨害工作に出たりしていた。


小物感満載な三世ごときを正面から相手取るラハーレでもないので、よりいっそうバルミレンの敵愾心に火がついたのだろう。


ここでさらに問題を複雑にしているのが、バルミレンの娘カティージアの存在である。

狸親父とは少々思惑を異にするようで、以前からラハーレに対する距離感が妙に近かったのだが、彼が妻帯者となってからもそれは変わっていない。


塔からの帰り道、行政区画の渡り廊下でエセンは柳眉を逆立てたカティージアに詰め寄られていた。


ひよこ色の髪を巻貝の形に結い上げ、中世のどこぞの宮廷から彷徨い出てきたかのような、やたらと嵩張る衣装を身に纏った女性。


バルミレンを初めその父や祖父も、バルミレンの妻も、髪色は焦茶か黒で、明るい色味の者はいないので、おそらく脱色か何かしているのだろう。


頭と服が重そうだな〜と思ったエセンだったが、本人は気に入っているのだろうし、個人の美的感性に水を差すのはやめておこう、と口をつぐんだ。


ただし、長い(し、興味もない)名前は覚えづらいので、心の中で『巻貝嬢』と呼ぶことにした。


「あなた、毎日ラハーレさんに送り迎えさせてるんですってね」

「あー、何度か断ったんですけどね〜。何日かすると、忘れたふりでさりげなく送迎が復活するので、最近はもう諦めました!」


あっけらかんと咲うエセンに、巻貝嬢が絶句する。

なお、エセンに惚気の自覚はない。


「ラハーレさんとは昔馴染みで、」


同じ中等学校で在学期間が被っていたことを以て『昔馴染み』と云うならば、そうなのだろう。


「以前から良くしていただいてるのよ」


情報管理局へ必要な情報の開示を求め、その回答を得ることを「良くしてもらった」と云うならば、そう云えなくもない。


巻貝嬢はその後も、いかにラハーレと親密な間柄であるかを語り続けたが、エセンはその半分も聞いてはいなかった。

足下の古代ちゃん改めジンシャーに至っては、後ろ脚で土をかき上げている。


「エセン」


総務局へ寄る、と云っていったん別行動をとっていたラハーレが、やや足早にこちらへ向かってくる。

その姿を見た巻貝嬢が喜色を浮かべる。


「ラハーレ」


エセンは揃えた四指でちょちょい、と手招きすると、そばまで来て少し屈んだラハーレの耳元で聲をひそめた。


「あの人、なんて名前だっけ?」


世の中にはひそひそ話をしたくともできない人種がいる。

のどを震わせずに息だけで音を出すささやき聲というものができないので、内緒話が周囲に聞こえてしまうのである。


もちろん悪気はない。

だが、ラハーレへの耳打ちはしっかり巻貝嬢にも聞こえていた。


聞かれたラハーレは沈黙し、あさっての方角へ視線を彷徨わせた。


察したエセンは、


「まきが…じゃなくて、」


心の中だけの呼び名が飛び出しそうになり慌てて回収を試みたものの、どうにも見事に盛り上がった頭にばかり目が行ってしまう。


「ひよこのお姐さん、お話しできて光栄でした〜。どうぞお達者で!」


人を食ったような挨拶にも、衝撃が強すぎたのか、巻貝嬢は反応できないでいる。

その隙に、ラハーレはエセンの腕を掴んで踵を返した。


エセンの頭上で、吹き出しそうな息の気配とそれを堪えるのど音が聞こえた。

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