第7曲 ヨンカの進化
仙人掌騒動の翌朝。
帰宅したエセンは、鋼琴下の定位置に潜り込んで駱駝色の毛布を引き被り、ごねにごねていた。
「やだ、ぜーったいにやだ」
「そうは云ってもエセンさん、長老が決めたことなのでしょう?」
ヨンカの云う長老とは、ベケルのことである。
「それに半年もその状態で来てしまったのなら、今さら反抗したところで仕方がないですし」
眉尻を下げて苦咲するヨンカを、エセンは恨めしげに見た。
昨日、海千山千のベケルはさすがに切り替えも早く、即座に新型仙人掌の実態を検証し始めた。
検証時間が短いため今後も要観察ではあるが、エセンが悪意はないが過失はあるかもしれない経緯で生み出してしまった新型仙人掌は、人をおちょくるようなちょっとした悪意はあるかもしれないが、防犯用生垣としては優秀である、と暫定的に結論づけられた。
海に沈んだとされる古大陸は、現代の科学技術をも凌駕する、かなり高度な文明を築いていたと推測されているが、遺された手がかりは少なく、古代文字の解明は遅々として進んでいない。
と云うのも、学会の通説によれば、会話に言葉を必ずしも要さず、他の何か、例えば思念のようなもので意思疎通を図っていたのではないか、とされているのである。
記録を残す必要があれば文字を使うが、話し言葉をそのままあらわす表音・表意文字ではなく、暗号のようなものを使っていたと考えられている。
そんなわけで、古代文字を完璧に理解できる者は少なくとも現時点においていないわけだが、エセンはそれを感覚的に掴み取っていた。
遺跡に遺された文章らしきもののなかに何度も繰り返し出てくる文字列があるので、並べて描かれた絵や図解などから推測して一部がうっすら解明されており、エセンはそれを手がかりにしている。
古代文字を読み解いたりそれを元に研究している時、彼女はある種の瞑想状態に陥っている。
ひたすら対象と向き合ううちに、ある瞬間「ひらめいた!」となるので、なぜその結論に至ったのかをあとから聞かれても答えられない。
研究所のお歴々が頭を抱えるゆえんである。
他國のとある研究者がエセン自身を研究対象にしようとしたこともあったが、お歴々が激怒して、その研究者はまるで息を引き取るようにひっそりと、表舞台から姿を消したらしい。
「研究所のお歴々だけは、怒らせてはなりません…」と、冷静沈着の代名詞ラプソンが珍しく身震いする様子で呟いていた。
今回の動く仙人掌が古大陸の時代にも存在したのか、あるいはエセンが開けてはいけない厄災の箱を開けた最初の人物となってしまったのかは、神のみぞ知るといったところか。
ともあれこの仙人掌、とある『えらい人』からの依頼を元に作られたものなので、本格的な検証はこれからと云えども、まずは依頼者に報告しないわけにもいかない。
「立場が人を作る」
ベケルは重々しく告げた。
「ぬしが報告してこい」
当然、エセンは苦い表情だ。
「いつも師匠が行ってるのに」
「本来ならば評議会員が諮問員を兼ねるなどおかしな話。そこを曲げて、ぬしが成人するまでは、と目をつむってもらっていたのじゃ。婚姻により未成年でも参政権が与えられるのだから、そろそろ表にも立ってもらわねばならぬ」
「どうして本物の所長を出さないのよ」
「おぬしがその所長だからじゃ!」
大きな琥珀の瞳が時を止めて数秒。
「半年前の総会で決まったぞ?所員からの推薦と厳正なる投票によってな。さてはおぬし、また寝ていたな?」
「う、そ、で、しょーーー!」
「あんた、長年居眠りの技術を磨き続けてるもんね〜」
ベケルの研究室前を通りがかった塗料の女神レゼーラが、開いた扉から一言残して去って行く。
「評議会では寝るなよ」
ポランは呆れ貌だ。
「ほれ、理事長が迎えに来たよ。さっさとお帰り」
東側の窗向こう、見れば濃紫の車が研究所の敷地内へ入って来るところだった。
ものぐさなエセンは、放っておくと研究所に何日も寝泊まりしたまま家へ帰って来ないので、こうしてほぼ毎日、仕事帰りのラハーレが彼女を拾って帰るのだ。
ほどなくしてラハーレが露台側の入り口を通り、温室内へ入って来る。
ベケルに対してあまり物申すことのないラハーレだが、可能な限り正体不明のベケル研究室は避けて通りたいようだ。
「何かあったのか?」
エセンの様子を見たラハーレが眉根を寄せる。
「次回の評議会はこの子を出すよ」
ラハーレは、そうかと鷹揚に頷いた。
驚いた様子はないので、彼もエセンが実は所長であることを知っていたのだろう。
研究所を辞し家路に就く車の中では、今日も安全運転の騎士シャルリアンテが、十代の若者に人気の流行歌をうたっている。
少女たちの集団が、揃いの衣装を着て踊りながら甘酸っぱい初恋について歌う、そういう曲である。
堅気に見えない禿頭のおっさんに、嗄れ声で歌ってほしくない曲の堂々一位を飾りそうだが、目を閉じて聴けばなかなか特徴をよく捉えていて上手いのが小憎らしい。
エセンは仏頂面のまま、親指の腹をいいね!と突き出した。
シャルリアンテが分厚い唇をにやりとさせながら、同じ仕草を返す。
そして、帰宅するなり鋼琴の下に潜り込んだエセンなのであった。
小山を作る駱駝毛布の上には、珍しく慰める様子で香箱坐りをする古代猫がいる。
「エセン、ぐあいわるい?」
「大丈夫だ。少し…いやだいぶ?拗ねているだけだ」
部屋の入り口に張り付いて様子を伺うビョルクと、その肩に手を置いて宥めるラハーレ。
「だいたい、なんだってそんなに嫌がるんです?」
「…………会議は眠い、退屈」
「それはそうですけども」
いや、ちょっとは否定しろよ、と云いたげな目つきで古代猫がヨンカを見た。
「それに、苦手な奴がいるのよ」
「それってあれですか?台所に出てくる黒い…」
駱駝毛布の上から、はぁ?と云わんばかりに「けっ」と喉を鳴らす音がする。
「私はエセンが評議会に出てくるのは賛成だ。組織に新しい風が吹くのは良いことだからね」
いや、あんたはただエセンといられる時間が増えて嬉しいだけでしょ、とため息をつく古代猫。
たしかに、感情の起伏をあまり見せない雇い主だが、心なしか浮き浮きして見えなくもない。
このところ、古代猫と思念での完璧な意思疎通ができるようになった気がするヨンカであった。




