第50曲 夫の無実と面倒ごとの予感
ラハーレの無実が判明したので、うなぎもどきの半妖精マリンシュカはぎゃあぎゃあ喚きながらも、ラプソンの指示で安全運転の騎士シャルリアンテと仙人掌たちによって邸の外へと運び出されて行った。
招かれざる客認定されたので、これ以降、仙人掌たちが彼女を敷地内へ通すことはないだろう。
やっとのこと息苦しい抱擁から解放されたエセンは、疲労著しい夫を逆に抱きしめ慰めてやった。
そこへ通信の要請が入った。
許可を出せば、映写幕に冷たい美貌の男が映し出される。
「あ、デュイエさん、どうも!」
「ああ、調子は」
「体調は変わりないわ」
「胎の方はどうだ」
「あ〜、それなんだけど、うなちゃんによれば、安全なお産のためにはあと二年待った方がいいみたいで、時期を調整してくれてるらしいの」
デュイエは、やや残念そうな空気を醸し出しながらも、静かに頷いた。
「そうか、安産より大事なことはないからな、二年待とう。それで、そちらの男は何かあったのか」
疲れ果てたラハーレにちらと目をやってから、デュイエはエセンに視線を戻す。
かくかくしかじかと経緯を話せば、
「少し話さぬ間に、面白いことになっているな」
感想らしきものを述べ、ふむ、とひとしきり考え込む様子を見せてから、少し調べてみるかと言って、デュイエは通信を切った。
通信が途絶えたあとの静まり返った室内で、ラハーレがぽつりと言う。
「そんなによくあの人は連絡を寄越すのか?」
「数日に一度くらい?」
「なかなかの頻度だな、」
「たいていは電子通信だけどね」
表情からは読み取りづらいが、それくらい孫を楽しみにしているのだろうし、何だかんだでラハーレのことも気にかけているのだとエセンは思っている。
「エセン……」
ラハーレがじっとエセンを見つめた。
言いたいことはわかっているが、あえて話し出すのを待ってみる。
「やましいことは何もしていない。宿では、あいつは元々背中の大きく開いた服を着ていたから脱いでもいないし、私も部屋へ押し戻されたり、先ほど腕に絡みつかれたりした以外、触れていない。興味もない」
くっつかれて嫌そうにしていたのは、見ていればわかった。
「大丈夫。ラハーレは私に嘘をつかない」
子どもの頃からの長い付き合いになる。
彼の人柄を信じきれるくらいには、お互いをよく知っていると思う。
「そうだ、君に嘘はつかない」
ラハーレはようやく、少しだけ笑った。
「半妖精族については、古大陸時代から閉鎖的な一族だったこともあり、機構に詳細な資料は残っていないのです」
人工知能マリアロは、お役に立てず申し訳ありませんと目を伏せた。
「ですがギレア帝国は、新大陸になってからの古い時代に、何かしら半妖精族との縁があったはずです。そちらの情報に期待しましょう」
それで、デュイエは調べてみると言ったのか、とエセンは納得した。
「ねぇマリアロ、青い月桂樹と胡蝶蓮って、聞いたことある?」
「どちらもすでに地上では幻となって久しいですが、特定の条件下でのみ出会うことができるとか」
「特定の条件って?」
「地上で月桂樹と呼ばれるものは、本物とは似て非なる樹木であって、本当の月桂樹は月にしかありません。そして、月の青い夜に月桂樹もまた青く輝くのです」
半妖精族の翅をもってすれば、月までも飛べると言うが、そのためにはまず胡蝶蓮を手に入れて翅を四枚にしなければいけないようだ。
「胡蝶蓮の咲く水辺へは、瑞蝶の導きによってたどり着けるそうですよ」
瑞蝶、と聞いたエセンは左手の甲に向かって呼びかけた。
「フェルトワ、聞こえてるなら出てきて」
皮膚と一体化して見える碧瑠璃色が震えるように波打つと、ふわりと美しい碧瑠璃の瑞蝶が浮かび上がった。
「久しぶりね、フェルトワ。眠ってるところ、起こしてごめんね」
大丈夫と言うように、瑞蝶は頭部を数回上下して見せた。
「フェルトワ、胡蝶蓮って知ってる?」
またもやフェルトワが頭部を上げ下げする。
「見たことはないけんど、行き方は知っとるて」
うなちゃんが、すかさず通訳してくれる。
「半妖精族の子が、成人の儀式でそこへ行かなくちゃいけないんですって。案内できる?」
フェルトワは忙しなく羽ばたいた。
「案内はできると言うておるがなぁ。普通は半妖精族には対になる瑞蝶がおるそうだけんど、その娘っ子にはついておらんのじゃろ?」
「そうね、いなかったと思うわ」
「相棒の瑞蝶がついておれば、紫烏の森で己が中の闇に囚われても、元の世に引き戻してもらえるそうじゃがのぅ。もはやこの世であってあの世でもある所じゃて、ひとりで行くんは危険だべさ」
要するに、エセンがついて行けば安全ということか。
それなら自分が、と言いかけた彼女の機先を制して、ラハーレが前へ出た。
「対になる瑞蝶を随伴させた者がいれば、危険はないのだな?」
フェルトワは器用にも宙返りをして見せた。
「んだ。瑞蝶っつうんは、あの世とこの世を繋ぐもんだからよ、瑞蝶との結びつきがしっかりしてるもんがいりゃあ、なんも怖いことはねぇべさ」
「それはつまり、私が同行しても問題ないということだな」
「んだなぁ、まぁそういうこと、ん?んんん〜???」
「ラハーレ?!」
ラハーレはしっかりとエセンの方へ向き直ると、少しかがんで目線を合わせた。
「私が止めても、君はどうせ聞かないんだろう。だったら一緒に行った方が、離れているあいだやきもきせずに済む」
第八世界へ飛んだ時のことが、よほど心的外傷になっているのだろう。
フェルトワが恐縮したように縮こまっているが、あの一件の主犯はせっかちな古大陸の王女さまであって、王女と分離した今のフェルトワを責めたところで意味はない。
機構に接続するため、見届け人として同席していたオードが、腕組みしたまま呟く。
「うーん、なんつーか、面倒ごとの予感しかしねえなぁ」
「奇遇ですね、同感です」
未だ接続したままだったマリアロが、半笑いのような表情で頷いた。




