第47曲 ふたつの贈りもの
気づかぬうちに、どなたかがブクマと評価をしてくださっていました。地味にこつこつ書き進めたものが、誰かに届いたかもしれないと思うと、とても嬉しく、心の底から感謝です。
出がけに届いた大きめの封書はビョルクからのもので、そのまま封筒ごと抱えて搭乗したのだが、ふと思い出して開封したエセンは中を見るなり爆笑した。
眉をひそめて、何事かというように視線をよこしたラハーレに、エセンは震える手で一枚の画用紙を差し出した。
「、ぐっ!」
強く吸い込んだ息がのどで詰まるような音をさせて、ラハーレはそれきり沈黙した。
表情はあまり変わっていないが、珈琲色の襯衣に包まれた肩が、小刻みに揺れているような気がしなくもない。
レゼーラにもらった練蝋絵筆で描いた絵を、ビョルクは送ってくれたわけなのだが。
ラプソンと思われる執事服の男と、ビョルク自身であろう銀髪碧眼の少年が、宙に浮いた状態で対峙している。
ラプソンの背後には仙人掌がたくさん描かれていて、ビョルクの後ろには練蝋絵筆軍団がいる。
いつぞや見た夢を話したとき、ビョルクは面白がるよりむしろ、かっこいいと目を綺羅きらさせていたが、それを忠実に再現してくれたらしい。
日頃冷静沈着なラプソンだが、画用紙上では眉がきりりと上がっていて妙に凛々しいのが、笑いのつぼを刺激してくるという、なかなか罪深い絵である。
「エセンどん。ラハどんの息が止まってしまうべぇ」
うなちゃんが、心配そうにひげをしなだれさせている。
「あともうひとつ」
座席の下から、ひと抱えもある大きめの箱を取り出す。
昨日のうちに届いたものだが、ラハーレが留守にしていたので、ゆっくり時間がとれるときに一緒に開けようと、とっておいたのだ。
「デュイエさんから」
蓋を開くと、
「じゃーん!」
小さな靴下やらおくるみやら、つまりそういう類のものが詰め込まれている。
もしかしたら本人は指示しただけで、品物選びまではしていないのかもしれないが、それでもこういった乳幼児用品をあのデュイエが準備しようと思ったこと自体が、なんとなくおかしいというか、微笑ましいというか。
中を覗き込んだうなちゃんとジンシャーが、目を丸くしている。
「なんとも気の早いじぃじだべなぁ」
「何人分かなぁ、これ」
ラハーレはしばし固まっていたが、やがてまばたきをひとつして、ゆっくりと口を開いた。
「君は……あの人と何かやりとりをしているのか?」
「結婚式に来てくれた礼状を送ったら、これが送られてきたの。そのうちこっちからも何か季節のものでも送らないとね」
ラハーレはただ少し戸惑っているだけと知りながら、エセンは彼の腕に身を寄せ、あえて問いかける。
「ラハーレ怒ってる?御礼しない方が良かった?」
「、いや、まさか、そんなことはない」
らしくもなく歯切れ悪く答えてから、ラハーレは観念したように両目をつむった。
「いや、本当に、君が妻で良かったと、あらためて思っている」
微笑み合うふたりを、うなちゃんは目を輝かせて、ジンシャーはぬるい目で眺めている。
仙人掌二体はすでに自分たちの世界に入っているので、我関せずである。
しばらく言葉もなく寄り添っていたふたりだが、
「別に、子沢山が嫌なわけじゃないんだ」
唐突にラハーレが話し出した。
ビョルクを見送ったときのことだろう。
「ただ、また皆がおもしろがって騒ぐのかと思うと、少し、」
「うん」
「それに、出産は母親にとって危険なことだし、負担も大きいだろう」
エセンは少しだけ沈黙した。
「うなちゃん!」
ご指名を受けたうなちゃんが、嬉しそうに飛んできた。
「なんだべか〜」
「うなちゃんは守護龍だから、危険な出産からも守ってくれるのよね?」
「もちろんだべ。安産でねぇと子沢山にはなんねべ?んだから、子沢山の祝福には、安産成就も含まれてるんだべ」
ジンシャーまでやってきて、うにゃーうにゃーと騒ぎ立てる。
「ジンシャどんも、お産が早く済むように助ける言うてくれとるんじゃあ。心配せんでええ」
通訳までしてくれて、実に頼もしいうなちゃんである。
エセンは二匹まとめて撫で回してやった。
「む?フェルどんも瑞蝶の仲間を呼んでくるとな?」
自分も役に立てると主張したかったのだろう。
エセンが礼を告げると、フェルトワはうなちゃんの頭の上で、翅を小刻みに動かしながら一回転してみせた。
翁の庵に着いたのは、ゆるい海風に草がそよぐ午後の遅い時間帯だった。
扉を開ければ、通り土間が変わらぬさまで二人を出迎えた。
エセンはふと、庵に出入りしていたころ、翁が呟いていたことを思い出す。
ーーー自由になるとは、権力だの義務だの、強制力のあるものからばかりではないのだよ。
ーーー彼我を比べることから自由になる、こだわることから自由になる、自尊心から自由になる、不安から自由になる。
ーーー人は知らぬ間に、多くの不自由で自らを縛っている。
ーーーしかし自身を不自由から解き放ったならば、もはや生くるも死ぬも大した違いはないのやもしれぬな。
ラハーレと手を繋ぎ、通り土間を裏口へ向かって歩いて行く。
後ろをジンシャーと、フェルトワを乗せたうなちゃんが着いてくる。
裏の扉を開け放てば、視界には雲の群れをいだいた茫漠たる空が広がっていた。
さらに歩を進めれば水平線がせりあがってくる。
辺りは静かで、潮騒と海鳥の声だけが聞こえていた。
ふと、ほんのひと時ぴたりと風が止んで、雲間から一条の光が差し込んだ。
突然、世界が極限まで解像度を上げ、自分もまた世界を構成する細胞のひとつなのだと、本能的に理解する。
『何もないただの崖上』とデュイエは言った。
そこは何もなくて、全てがある場所なのだとエセンは思った。
何を感じたか、うなちゃんが恭しくこうべを垂れた。
「この世つくりし方々、此処から来たりて此処から帰りたのじゃ」
日頃のうなちゃんからは想像もつかない、威厳すら感じる重々しい口調だった。
「それを知っていて、爺様はこんな何もない不便なところに住んでいたのかしらね」
エセンが呟くと、ラハーレは小さく頷きを返した。
翁もまた、聖なる一族と同じ道を行ったのかもしれない、とエセンは何となく思った。
まだ陽の残っているうちに、と庵を出たエセンたちだが、歩き出してすぐに、少し高いところを飛んでいたフェルトワが落ち着きない様子を見せたかと思うと、鉄道駅の方へ向かう小道脇の草むらへ突っ込んで行った。
「ちょっと、フェルちゃん?!」
慌てて追いかけたエセンは、鮮やかな碧瑠璃色が草の間に埋もれているのを見つけて、ほっと胸を撫で下ろした。
金属でできた何か小さなものの上で、フェルトワはじーっと動きを止めている。
何となく上目遣いのような雰囲気を感じるので、何か訴えたいことがあるのだろう。
「そのちっこい丸っこいのを、拾ってほしいんだべか?」
先ほどの威厳はどこへやら、すっかりいつもの調子に戻ったうなちゃんが問いかけると、フェルトワはその場でぴょんぴょんと跳んでみせた。
正解のようだ。
フェルトワが座布団にしていたそれは、一部が土に埋もれ、錆も浮いていた。
ラハーレがエセンの指先からそっと取り上げ、隠しから出した手巾で汚れを落としていく。
ラハーレの手元を覗き込んでいたエセンは、ある瞬間、はっと息を呑んだ。
親指を立てて不敵に咲う猫が片目をつむり、つむった目から星が飛んでいるという、まぁまぁいらっとする意匠の徽章には、見覚えがありすぎた。
初代所長が自ら描いたと伝わる、アスラール研究所の所長が胸につける徽章だった。
当然、エセンもこれを身につける必要があるわけだが、ださすぎると言って今のところ拒否し続けている。
幼い頃の記憶が、ふっとよみがえる。
翁の庵に入り浸っていた頃のことだ。
その当時すでに、ふた親への期待も関心も薄れていたエセンだったが、時折、研究所の廊下などですれ違う際、何か大きな変化があれば自然と目には入ってくるものだ。
思えば、所長職にあった父親が、この目立つ徽章をつけていないな、と思ったことが何度かあった。
しばらくするとまたつけるようになっていて、些細なことなのですっかり忘れていたのだが。
あれは徽章を何らかの理由で紛失したので、同じものを作り直したのではなかろうか。
父親と翁の間に直接的な繋がりはないはずだ。
もし、父親がここへ来るとしたら、家に寄りつかずいつもどこかへ出かけて行く娘の様子を見に来た、というのが自然な解釈ではなかろうか。
そして、もしかしてもしかすると、エセンに気づかれそうになって、慌てて立ち去った拍子に徽章を落とした、のかもしれない。
それがたとえ、まともに家へ寄りつかない不良娘を監視に来たのだとしても、無関心ではなかったというだけで、エセンにとっては十分以上だった。
「あの人は、まさか…」
ラハーレが思わずといったように、かすかな声で言いさした。
デュイエこのことを知って、庵へ来るよう誘導したのか。
だとしたら、婚礼の祝いとしてこれ以上のものがあるだろうか。
フェルトワが祝福するように舞うその下で、言葉を失ったエセンの背にラハーレが腕を回し、ジンシャーとうなちゃんがふたりの脚元に寄り添った。




