第44曲 花嫁は白龍に乗って
婚礼の朝は素晴らしく晴れ上がり、少しひんやりとした空気のなかに、落ち葉の発酵臭と豊かな実りの気配が感じられた。
前日の沐浴儀式に始まり、今日も早朝から飾り立てられた花嫁は、疲れ果てながらもそこそこ健気に微笑んでいた。
「いや、あんたの辞書に『健気』と『普通』という言葉だけはないよ」
「師匠、ひどい!」
「ひどかないよ、事実だろ?」
「まぁまぁ師匠、今日は祝いの席ですし」
とりなすポランは苦笑いだ。
「だけど、旦那に対してだけは、ちょっとは健気なとこも見せるようになったんじゃないのかい?」
からかうように笑いながらも、エセンの指先に桜色の爪紅を施すレゼーラの目つきは真剣そのものだ。
エセンのうしろには、卓の上に前脚を乗せて順番待ちしているジンシャーとレオンベルガーと、うなちゃんがいる。
うなちゃんは前脚も爪もないので、代わりにひげに塗ってほしいそうである。
そのさらにうしろに控えるさぼくんまでは、さすがに爪紅はいらんのではないかと、エセンは思っている。
「さ、できたよエセン。ーーーなんだ、あんたちゃんと化粧して着飾れば、まるで天使さまみたいじゃないか」
鏡越しに見合わせたレゼーラの目が、少しだけ潤んでいるような気がする。
真珠色の生地に金の刺繍が施された婚礼衣装は、袖口と裳裾がゆるやかに広がる高雅なものに仕上がっており、牛酪色の髪や琥珀の瞳も相まって、宗教画の天使のように見えなくもない。
今日だけはエセンの左手に戻った瑞蝶フェルトワが、甲の上で碧瑠璃色に輝いている。
右手の甲に描かれた蝶は薔薇色に褪色して、こちらも美しい仕上がりだ。
「あんた、式が終わるまで口を開くんじゃないよ。喋ったら、せっかくの化けっぷりが台無しだからね」
「エセンさん、気にしなくて良いのですよ。ベケルときたら、憎まれ口でも利いていないことには思わず泣いてしまいそうなだけですから」
さすが行政長は、ベケルの迫力ある横睨みにびくともしない。
「今日の佳き日を迎えられたこと、まことに慶ばしくおもいますよ」
ジャヌーアの慈愛に満ちた微笑みに、遠い記憶の中から浮かび上がった誰かの面影が重なったような気がした。
夕刻になり、白龍の背に横座りしたエセンが館の前庭へ現れ、ラハーレによって抱き下ろされると、待ち受けていた人々の歓声と共に婚礼の宴が始まった。
本来の伝統では馬に乗ってくるのだが、ここは自分が!と、うなちゃんが譲らなかったのだ。
うなちゃんを初めとして秘匿事項の多い館であるため、ごく限られた知人にしか婚礼のことは知らせていない。
結果、出席者がこぞってにわか親族を主張し、来賓は全員が親族席になってしまった。
まさかの一般席なしである。
ラハーレは気にしないだろうが、新郎新婦の親族席をあえて分けず一緒くたにしたがゆえに、急遽招待したイーロゥにレゼーラがしなだれかかっているのは、まぁいいとして。
幻想的な灯りに装飾された庭のわりと目立つ位置で、新婦の父役で席についているシャルリアンテと、新郎の実父デュイエが並んで座っているのは、たしかに役柄としてはごく自然な席次なのだが、絵面的には腹筋にじわじわくるものがある。
まして忖度しないうなちゃんが、「大天使さんと………煮たまごのおっちゃん?」などと呟くので、ポランなどは笑いを堪えきれず、早々に奥向きへ退散していった。
ラハーレは婚礼の準備をするにあたりデュイエの名を一度も出さなかったのだが、実は招びたかったのに言えなかったのか、それとも顔も見たくなかったのか、あるいは単に忘れていただけなのか。
そんなラハーレにはあえて何も断りを入れず、エセンはただ電話でデュイエに先日の礼やイーロゥの件を報告したついでに、ふと思い出したかのように結婚式を挙げることになったと呟いたのだった。
ラハーレに黙っていたのは、彼女の働きかけにデュイエが応じるかは五分五分の賭けだったからだ。
そんな経緯で帝国から来てくれたデュイエであるが、隣席のシャルリアンテはおそらく、常と変わらず親指を立てる以外の会話をするとは思えない。
デュイエもまた、無言が気まずいとかそういった気質ではないし、必要がなければ自分から話しかける人ではないだろう。
それこそ賭けてもいい、あのふたりは出逢ってから一言たりとも言葉を交わしていないに違いない。
何なら目も合わせていない可能性すらある。
シャルリアンテとは反対側の席に座ったベケルが時折デュイエに話しかけ、デュイエもまたぽつりぽつりと言葉を返している様子なのが唯一の救いか。
「おぃおぃおぃ〜、ベケルが対応できてるからいいようなものの、めでたい婚礼の席が、危うく悲劇の永久凍土になるところだったじゃねぇか」
安定の林檎果汁を啜りながらそうぼやくオードも、デュイエを招ばなければ良かったのに、とは言わなかった。
「ねぇ、ラハーレ?」
「ん、」
「デュイエさん、楽しんでるように見える?」
「どうかな。あの人は表情に出ないから」
「楽しんでくれてるといいね」
エセンはラハーレの左肘を両腕で抱えて、その肩に頭を寄せた。
ラハーレはちらっとエセンを見下ろしてから、ほんの少しばかり微笑んだように見えた。
長い卓には、ヨンカだけでは間に合わず、木苺と鶫亭から人手を借りて準備した山のような料理が並び、銘々が好きなように取り分けている。
ポランの婚約者役、という名目でにわか親族席を獲得したソヘラ市長ムルエスは、料理が気に入ったようでヨンカを質問攻めにしている。
『婚約者役』と言ってしまったことで、ポランに真意の伝わる日がまたもや遠のいたことに、彼はいつ気づくだろうか。
甥っ子席で参加のビョルクとテンも、お歴々に可愛がられつつ、あちらこちらに連れていかれたり走って行ったりしながら、時折エセンたちの所へ戻ってきて、ひと休みしてからまた駆け出して行く。
ラプソンがヴァイオリンに似たエーレ伝統の弦楽器を取り出して軽快な曲を弾き出すと、シャルリアンテが打楽器で合わせ、踊れる者は順次、輪になったり向かい合ったりして踊り出した。




