第43曲 浮気の反証と龍の禊ぎ
「んで、おまえの浮気疑惑はどうなったわけ?」
「ーーーーーんぇ?」
オードに横目でじろりと見られて、エセンは一瞬ぽかんとしてから眉間に皺を寄せた。
「浮気疑惑ぅ?」
「おまえが二十一番街の男と密会してるっつうんで、ラハーレが数日、使いものにならなかったんだよ。ったく、迷惑極まりねぇ」
「密会ぃ?」
「お、認めねぇつもりか?んならいいぜ。者ども、証人をこれへ!」
最後だけ芝居がかって、ぱんぱんと手を叩いたオードを見て、たぶんこれをやりたかっただけだなこの人、とエセンは察した。
なぜか、桜吹雪が見えるような気がしないでもない。
「これなる者の顔を見ても、おめぇさん、まだ同じことが言えるかぃ!」
まだ芝居は続いているようである。
塔の職員によって円卓の間に通されたのは、予想通り蝶の店の亭主イーロゥだった。
「あ、エセンさん、先日はご来店ありがとう」
オードの芝居に乗るつもりはないらしく、イーロゥはごく日常的な軽い調子で挨拶を寄越した。
さながら歴史劇の山場に、近所の主婦が井戸端会議引っさげてなだれ込むがごとき温度差である。
「先日はどうも!おかげさまで、いろいろ教えてもらって助かっちゃったわ。ありがとう、イーロゥさん」
「お役に立てたなら良かったよ」
それからイーロゥはラハーレに向き直り、
「やぁ、ラハーレ。久しぶりだね」
ん?とイーロゥ本人とオードを除く全員がいっせいにラハーレを見たが、彼はさしたる反応を示さず、淡々とイーロゥを見返していた。
「ああ」
「本国からは、隙あらばエセンさんとの仲を裂いて、君を連れ戻すよう言われていたんだがね。私としてはそのつもりはなかったんだよ。ただ、このところの君があまりに不甲斐なかったのでね、少し意地悪をしてしまった」
そう言いながらも、イーロゥは穏やかに微笑んだ。
本国とは、取りも直さずギレア帝国のことであろう。
イーロゥの母は、ラハーレの父デュイエの姉にあたるのだという。
皇位継承が直系男子に限られることから、影の一族についてもまた、他家へ嫁いだ女性の子を、高貴なる血を継ぐ者としては認めていないらしい。
ゆえに、イーロゥは比較的自由に人生を送ることができており、エーレの首都クープの二十一番街で店をひらくことになったのも、放浪の末の偶然であると彼は言った。
しかしここで諦めきれない影の一族某系が、ちょうど良いと横やりを入れてきたというわけだ。
「ま、収まるべきところに収まったようで何より。帝政関係者はラハーレにしてやられてさすがにもう懲りたみたいだし、某系の人間は私に対して何ら強制力を持たないからね。もう私は手を引くよ。そんなわけで私はこれで帰るが、よければ次はふたりで店へおいで」
「ああ、そうだな」
「はーい、またねイーロゥさん」
本気で浮気云々を問題にしたかったわけではないだろうが、せっかくの芝居が肩透かしに終わって心なしか落胆しているオードを置き去りにして、イーロゥはさっさと帰って行った。
そういうところは、意外に食わせ者かもしれない。
「なぁんじゃ、浮気じゃなかったんかい」
「御老公、ちょっとわくわくしてましたもんね」
「人聞きの悪いことを言うでないわ」
御老公は、ばつが悪そうにそっぽを向いた。
「暑い〜…」
暦の上では秋に入っているはずだが、夏の暑気がぶり返して、日中はまだまだ過ごしづらい気温である。
エセンはいま、自室で扇風機の前にかじりついている。
ジンシャーやうなちゃんが、横にぴたりとひっついて風のおこぼれに預かろうとしているので、涼んでいるのだか余計に暑苦しいのだか、よくわからないことになっている。
その後ろには、さぼくんまでいるのだが、はたして仙人掌に涼は必要なのか、いささか疑問ではある。
碧瑠璃の瑞蝶は、さすがに風の当たらない日陰で大人しくしている。
その瑞蝶だが、いつまでも種族名で呼ぶのは不便なので名前をつけようとうなちゃんが言い出して、またもやエセンはひとしきり頭を悩ませることになった。
「うーん、瑠璃ちゃん?」
「まんまですねぇ」
瑞蝶もなんとなく不満そうな飛び方をしている。
エセンはふと、最近会った眠そうな顔をした男を思い出し、冗談半分で蝶に呼びかけてみた。
「ヒロシ?」
よほど嫌だったのか、ぽとりと床に落ちた瑞蝶。
名前だけでこうまで拒否されるとは、元キヨシもなかなか不憫な男である。
床に這いつくばった蝶を構いに行ったジンシャーを、さすがに踏むのはまずいと、ヨンカが急いで抱き上げる。
さぼくんが腰をかがめるような動きをして、花のついた茎節を差し出したので、蝶はよじよじと黄色い花に這い上った。
なんと、いつの間にか棘を出し入れする小技まで習得したさぼくんは、蝶が刺さらないよう、ちゃんと棘をしまってやっている。
「フェルトワ」
不意に思いついた音を口にしたエセンに、瑞蝶が花の上でぴょこんととびはねる。
そのまま、ぴょこんぴょこんと蝶にあるまじき動きを繰り返す。
「気に入ったみたいですねぇ」
そんな経緯で、瑞蝶の名はフェルトワに決まったのだった。
そして先日、お披露目となった円卓の間から飛び出して行ったうなちゃんであるが、その後丸々一週間、帰ってこなかった。
最強生物の龍ではあるが、幼かったがゆえといえども古大陸の人間に捕らえられたこともあり、空を飛んでいれば飛行機などから目撃されることもあるだろうと心配していたエセンは、ひょっこり戻ってきたうなちゃんをみっちり叱ってやった。
反省したのか、自主的に一時間あまりとぐろを巻いていた(本龍は正座のつもりだったらしい)ので、許してあげることにした。
うなちゃんによれば、一応は見つからないよう躰を小さくして、飛行機よりもさらに上空を飛んで行ったらしい。
どうやら、婚礼で守護龍としての祝福をするにあたり、精進潔斎をおこなっていたようである。
南の無人島で滝を登る修行をしてきたと聞いて、人間組は皆、はてなを飛ばしていた。
それは、これから龍になるための修行ではなかろうか。
「当事者がそれで良しとしているなら、良いのでは?」
ラハーレがとりなして、それもそうか、とエセンは納得した。
元より、特別な祝福が欲しいわけではない。
たとえ滝登りが龍としての禊ぎになっていなかったとしても、皆と一緒にうなちゃんがお祝いしてくれるなら、それだけで十分だ。




