第31曲 蝶番と暑苦しい片想い
映写幕にマリアロの姿が映し出される。
機構の複写を玉虫の塔内に保管し、かつ定期的に情報を更新することになったおかげで、首都にいながらにしてマリアロと対話できるようになったのだ。
「では、エセンが蝶に連れて行かれた狭間の空間は、全体のごく一部であったと」
「はい。狭間の空間は七つの区画に分かれており、それぞれ繋がる世界が異なっています。別の世界へ航る魂は、狭間の空間の中でも元いた世界と直接繋がる区画を必ず経由してから、次の世界と繋がる区画へ入り、その後ようやく目指す世界へ再生することができます」
「そうなると、今回生じた歪みは他の世界にまでは及んでいないということになりますか?」
「直接的には。本来流れるはずの魂の流入が滞ったことによる間接的な影響はありましょうが、大きな歪みは生じておりません」
ラハーレやジャヌーアからの問いに、マリアロが淡々と答えている。
「飛ばした葬送蝶はどうなったんだ?」
「他の区画への……そうですね、通路とでも申しましょうか、魂の流れる道を補強するため、他区画との境目を繋ぐ役割を担ってもらっています。もとより葬送蝶は半物質であるため、役割に応じてさまざまな姿かたちをとることができるのです」
そこでマリアロは、ラハーレとエセンに視線を向けた。
「狭間にとどめられていたすべての魂は、ひとつ残らず本来行くべき世界へ辿り着き、次の生を得ました」
ラハーレがしっかりと頷いた。
マレーレのなした事の重さを思えば、本来の巡りに戻れたと知れただけでも僥倖と言えるだろう。
「碧瑠璃の蝶が運んだ魂は、無事に第六世界で再生を得たようですよ。偶然か必然か、『青胡』と名づけられた赤子は、ふた親に愛され幸せそうに笑っていると、あちらの管理者が言っていました」
「、それ、私に教えてよかったの?」
「さぁ、どうでしょう。もしかしたら本来の役割を超えているのかもしれません。ですが、機構を作った存在は、機械的な正確さ厳格さの中に、わずかな情を期待したのです」
これまで一度たりとも乱したことのない頬の輪郭線に、ほんの一瞬、微かな微笑みの気配が乗ったように見えて、それきりマリアロは映写幕の奥へ滲むように消えていった。
機構の件以外にも、ギレア帝国の後始末など、ひと通りの情報共有と今後の課題等を話してひと段落したところで、別室で遊ばせていた子どもたちが招き入れられた。
「エセンちゃ!」
「エセンちゃん!」
子どもたちが駆け寄ってくる。
なぜか、子どもとお年寄りに異様なほど懐かれるエセンである。
「笑撃!!」
子どもたちを見たグレカディオが腹を抱えて笑っている。
笑いの沸点が低いポランは、笑いすぎて息を詰まらせそうになっていた。
ビョルクやテンと仲良く入室してきた行政長の息子たちが、あまりにも縮尺シャルリアンテすぎたのである。
しかもエセンがおふざけの一環として、シャルリアンテが着用している運転手の制服を子どもの寸法に合わせて作らせており、それに色付き眼鏡までつけてこのたびお披露目となったものだから、よりいっそう縮尺感が増している。
子どもたちも金色の二本線がかっこいいなどと喜び、乗りのりで着てくれている。
その横で、シャルリアンテが照れ臭そうに親指を立てていた。
目尻に涙を浮かべ、まだ笑いをのどに詰まらせて苦しそうにしているポランに、やたらと濃い容貌の男が近づき、手巾を差し出した。
「ポランさん、よろしければお使いください」
癖の強い黒褐色の髪に、飴色の瞳。
眉は濃く、二重瞼はくっきりとして、顎はほんのり割れている。
全体的に目鼻立ちの彫りが深く、褐色の肌や、きつめの襯衣の下に胸筋が盛り上がっているところなど、とにかくいるだけで室温が上がりそうな暑苦しさである。
「あ、ソヘラ市長、ありがとうございます」
「いえ、この程度は何ほどのことでもありません!ポランさんには今回も大変お世話になりましたし、せめてもの感謝の気持ちとして、今度お食事でも、」
「いえ、むしろこちらの方がお世話になりましたよ。迅速なお手配、ありがとうございました」
「それはいいのですが、そろそろムルエスと名で呼んでいただいても、」
「まさかそんな!お世話になった方にそんな失礼なことはできませんよ」
またもや外野がひそひそやりだす。
「この鼻水出そうな温度差よ」
「ポランの方はかわしてる自覚ないんでしょ?」
「昔っから筋金入りの鈍感娘じゃからなぁ」
「師匠、育て方間違ったんじゃない?」
「馬鹿言え。わしは研究しか見てやっておらん。それを言うなら育て親のポヴランじゃろ」
下町の片隅で名前も持たずその日暮らしをしていた幼い少女は、まだ空色木綿だったころのポヴランに拾われ、養い親の名前からとって、わりと安直にポランと名づけられた。
日中はたいてい家にいる養父を見て、ふと疑問に思ったのだろう。
幼い娘に、どんな仕事をしているのかと聞かれたポヴランは、思わず「医療研究者」と答えてしまった。
実は大病院の次男坊であるポヴランは、親の経営する病院の分院を継ぐことを期待され、学生時代は一応医学を修めていたこともあって、とっさにそれ以外の職業が思い浮かばなかったのである。
純粋なポランは頬を紅潮させ、ことあるごとに「お父さんすごい!」と尊敬の念を示した。
かくして、ポランに嘘をついた後ろめたさから空色木綿を廃業し、引っ込みのつかなくなったポヴランは本当に医学の道に進まざるを得なくなった。
なお、空色木綿を始めるきっかけも、悪い役人に騙されたと近所の人に泣きつかれてなんとなく、と言うのだから、つくづく流されやすい人生である。
数年後、ポランはポヴランの両親から、「息子を真っ当な道に戻してくれてありがとう!」と、いたく感謝されたものである。
下町の孤児という出自でありながら、ポヴランに会うまでは、孤児の中でも年嵩の少年が他の孤児たちを守ってくれていたらしく、ポランは人の好意にも悪意にも疎いところがある。
「あんなに暑苦しく売り込んでいるのにねぇ」
塗料の女神レゼーラが、頬に手を添えておっとりと言う。
彼女はおっとりのんびりした物言いのまま、傷口に塩を塗り込む型の女神である。
あまりに想いが伝わらないので自棄を起こしたムルエスが、ホヌラ山頂で求婚の言葉を叫ぶに至ったわけだが、ポランがその場にいたわけではもちろんない。
幸か不幸か目撃者がいなかったわけではなく、他国の登山随筆家がたまたま近くの尾根を登っているところでこれを耳にしていた。
まさか一市の長だとは思わなかったのだろう、帰国後この時の出来事を面白おかしく書き綴った短文が、新聞の囲み記事に載った。
それをグレカディオがおもしろ情報として掴んだのだが、ポランの周囲は噛み合わないふたりをにやにやしながら眺めているばかりで、わざわざこの話を本人の耳に入れるような人間はいないので、ソヘラ市長の暑苦しい片想いは、まだしばらくの間続きそうだ。
なお、山頂で愛を叫んだときなぜ上半身裸だったのかは不明である。
血の気が多すぎんじゃねーか?と、オードは心底どうでもよさそうに見解を述べていた。




