第30曲 初代所長と母の想い
「初代所長からよ」
エセンは二つ折りにした紙片を群青色の髪のベケルに差し出した。
玉虫の塔、円卓の間。
ラハーレがエセンたちとともに館へ戻って数日後、今回の騒動に関わった人々(動植物含む)ができる限り集められ、さして広くもない部屋にひしめき合っていた。
アスラール研究所の初代所長は、至極変わった人であったと伝わっている。
歴史書には発明家として名が残っているが、本人は「俺は発明家じゃなくて、技術屋なんだ。まぁただのじゃなく、万能な技術屋だけどな!」と主張していたようである。
今では世界中で広く使われている電子端末も、車載電話などの移動式電話も、各種の現代的な乗り物も、その原型を作り出したのは初代所長である。
ただ、「便利すぎるとつまらない」が口癖で、ある程度まで作り上げると投げ出してしまう。
まだ片手で持つには重い移動式電話機も、本当は胸の隠しに入るくらいの大きさにできるが、「でもそれじゃ浪漫がないだろ?」と語っていたらしい。
当時この辺りを治めていた豪族の長ラムノーが、初代所長のおかげで見る見るうちに領地が発展していくのを見て、「おまえ、ちょっと王様やんね?」と聞いたとか聞かないとか。
そして本人は「そんなめんどくさいもん、やらん」と言ったとか言わないとか。
「んじゃ合議制にするから、評議員に」
「やだめんどい」
「わかった、じゃあせめて諮問員やってくれ」
「そこまで言うなら、おまえも評議員やれや」
といったやり取りがどうやらあったらしく、最終的にラムノーが評議会の第一席、初代所長が諮問員を引き受けるということで落ち着いたそうな。
このふたりがいなければ、エーレは今頃、合議制の中立国という形態をとってはいなかっただろう。
アスラールの初代所長には、嫡男の誕生を喜んだ父親が考え抜いたご立派な名前があり、歴史の教科書などにはその名前がしっかり記載されている。
にもかかわらず、研究所の誰ひとりとして彼の本名を覚えていない。
初代所長本人が、長くて仰々しい名前は好かんと言って、別の名で呼ばれたがったからだ。
「狭間の空間で一番大きな岩に刻まれていた言葉を、そのまま記憶して書いたわ。言っておくけれど私、記憶力はいい方だし、一文字たりとも改変してないわよ?」
巻貝頭のカティージア嬢がこの場にいたなら、記憶力云々の下りでさぞかしご立腹されたに違いないが、エセンの記憶力は興味や必要性のあるなしに大きく左右されるので致し方ない。
ベケルは非常に嫌そうな表情でそれを受け取り、とてつもなく嫌そうにそれを開いた。
『ベケルへ
ワムノーにいたずらで日記帳隠されたのをすっかり忘れて人生終えてきちまった!
アヌソラちゃんへの想いの丈を書き殴ったやつだよ!
なんかアヌソラちゃんのばあちゃんがすごい巫女さんらしくてさ、いつか俺らの子孫が狭間の空間に生身のまま来るって言うから、だめ元で遺言のこしとくわ。
頼む、塔のどっかにある日記帳をこっそり処分しといてくれ。
あんなの公開されたら、かるく死ねるじゃん?
キヨシ』
最後の署名が、初代所長の好んだ自らの通称だ。
「くっ…………だらねぇ…」
オードがぼそりと呟いた。
なお、アヌソラというのはキヨシの愛妻と伝わる女性の名である。
キヨシが北西諸島を旅した際に一目惚れして連れ帰った彼女は、金髪に金琥珀の瞳の愛らしい少女であったという。
その後も血筋には何度か北西地域から嫁入りした女性がおり、エセンの色素の薄い外見はそのあたりに起因するようだ。
うつむいたベケルの表情は群青色の髪に隠れて見えないものの、ぶるぶると震える両こぶしに、周囲は来るぞ来るぞと耳を塞いだ。
新型仙人掌までもが、耳らしき位置に茎節を当てている。
ジンシャーとレオンベルガーは、椅子の下にさっさと避難したようだ。
「っ、阿呆かー!!!!!ぬぁーにがかるく死ねるじゃ、もうとっくに死んどるわ!!!」
エセンは両耳に手を当てたまま、たしかに、と頷いた。
「てか、ベケルせんせって、まじで幾つなの?」
「それ、聞いちゃいけないお約束」
「初代所長ってやっぱ規格外だよな!さすがエセンの先祖。血の繋がりをむちゃくちゃ感じるよなぁ」
「それな」
好き放題言い合う皆を横目に、オードのうしろに佇んでいた女性がエセンのいる方へ歩み寄ってきた。
特別に美人というわけではないのだが、その立ち姿から仕草、目尻の笑い皺に至るまで、すべてが品良く洗練されている。
「エセンさん、ラハーレさん、今回はお疲れさまでございました。よくぞ機構を護ってくださいました。危険な目にも遭われたと伺いましたが、お怪我などされませんでしたか?」
声の高さや間の取り方すら雅やかなこの女性こそが、長く行政長を勤め、さらにはなんとシャルリアンテの妻でもある才女ジャヌーアである。
それを知ったときエセンは、普段ほとんど喋らないシャルリアンテがどうやって求婚したのかと問い詰めたが、シャルリアンテ本人には親指でかわされて、答えが得られなかった。
後日、奥方に聞いたところによれば、毎夜、窓辺で歌うシャルリアンテの声に惚れ込んで、ジャヌーアの方から求婚したという。
なんという果報者であろうか。
シャルリアンテがどのように答えを返したのかは、聞くまでもないのであえて聞いていない。
どうせいつもの親指だろう。
なお、夫妻の間にはふたりの男の子がいるのだが、どちらも驚くほどシャルリアンテにそっくりな顔立ちで、夫人の遺伝子は髪の毛一筋たりとも感じられない。
あえて言うなら、父親よりもやや肌の色が薄いくらいであろうか。
生命の神秘である。
「このとおり無事です。機構を開ける許可をくださってありがとうございました。それに、いつもシャルリアンテにはたくさん助けてもらって、感謝してるんです」
ジャヌーアはたおやかに首を横に振ると、少しあらたまった様子でふたたび口を開いた。
「エセンさん。あなたのお母さまとは学生時代を同じ学び舎で過ごしましたので、社会に出てからも、会えば少々の立ち話をする程度の付き合いはあったのです」
エセンは琥珀の目を見開いた。
隣に立つラハーレが、その背にそっと手のひらを添える。
「あなたが古大陸の先祖返りと言われるほどの才を幼いころから示していたことで、彼女はどのようにあなたと接するべきかと悩んでいました。まだ三歳になるかならずで、自分には理解できない話をする。それに対して気の利いた答えもできない非才の母親が、せっかくの才能を潰してしまうのではないか、と」
そして娘に対して距離をとるうちに、娘もそれと察したのか、甘えたり頼ったりしてこなくなった。
そうなれば、いよいよ互いに距離を縮めることが難しくなる。
「不器用な人でした。母親として未熟な部分は多々あったでしょうが、娘への想いはたしかにあったのだと、私は思っています」
本人の承諾なく勝手に伝えることを躊躇っていたが、エセンが人の妻となり、いつ彼女自身が母親となるかわからないと思えば、今がその時と決意したのだ、とジャヌーアは穏やかに微笑んだ。
子どもの頃から母恋しさなど感じた覚えもなく、自分の家族はこういう距離感なのだと受け入れていたはずだった。
けれど、柔らかく包み込んでくれたジャヌーアの腕に隠れて、エセンは少しだけ泣いた。




