第29曲 龍の姫と氷の王子
残念ながらと言うべきか、ラハーレはすでにデュイエ曰くの『余計な面倒』を起こしていた。
帝国側は、未来の影の当主としてできるだけ丁重に扱おうとはしたのだろう。
監禁ではなくあくまでも軟禁で済んでいるのを良いことに、ラハーレは離宮の情報機構を乗っ取り、帝城周辺を影の帝族だの跡継ぎだのと言っていられないくらいの混乱状態に陥れたのだ。
しかも、ぎりぎり正当防衛と言えなくもない絶妙な線を見極めて。
敵はラハーレの実は苛烈な性分を知らなすぎた。
異様にばたついている離宮の雰囲気に、堂々と正門から中を覗いたエセンはヨンカと目を見合わせた。
「あれぇ〜?なんだか忙しそう?」
門番はおそらく、他国の要人が囚われていることまでは知らされていないのだろう。
エセンとヨンカの態度があまりに堂々としすぎていることもあって、特に不審がる様子もなく、観光客が興味本位で覗いているのだろう程度の関心しか見せていない。
はて、と首をひねっている間に、気づけばエセンは慣れ親しんだラハーレの匂いに横合いから抱き込まれていた。
門番がちょっとよそ事に気を取られていた間の早業だった。
そのまま物陰に引きずり込まれたエセンを、ヨンカが何気ない風を装いながら追った。
「エセン、無事とは聞いていたが何事もなくて良かった!」
彼の押し殺しながらも切羽詰まったこんな声は、初めて聞いたかもしれない。
頬擦りがちょっと痛いなぁ、そうかラハーレでも無精髭が生えるのね、などとエセンはまだ少しぼんやりしていた。
ラハーレの後ろから、なんとなく見覚えのある男性が小走りにやってきた。
「あ、警邏隊長?」
「おぉ、よく覚えてたなぁ。あんときは俺の靴下が世話になったな。っと、昔話はあとだ。さっさとずらかるぞ!」
少し離れた場所から、帝国仕様の給仕らしい制服を着た男性がこちらへ小さく黙礼して、さりげない様子で立ち去った。
おそらくデュイエの手の者なのだろう。
離宮の混乱が続いているうちにと、四人は駆け出した。
近くの私有地に待機していた環星辰商会の小型機に全員が乗り込むと、すぐさま商会の操縦士が機体を離陸させる。
「あらためて。元警邏隊長、現在は常兵隊の副隊長を拝命しているバルケミーだ」
やや赤みがかった茶髪に、穏やかな煤竹色の瞳。
バルケミーはほどよく日に焼けた顔で、にっかりと笑った。
今よりもやんちゃだった子ども時代、靴下無臭化活動をしていたエセンとラハーレ少年を捕まえて、こんこんと真っ当な生き方について教え諭してくれた御仁である。
「副隊長さんがこんなとこ来ちゃって良かったの?」
「帝国には問答無用で連れて来られたんだからしょうがない。シャンスのやつがいっつも俺にばかり書類仕事を押しつけるもんでな。たまにはあいつにも苦労させてやればいいんだ。それに実際、戦力としてシャンスの代わりが務まるのは俺くらいしかいないしなぁ」
帝国側はラハーレを脅しながらも、今後のことを考えるとあまり彼の心証を損ねすぎるのは良くないと考えたのだろう。
戦闘により気を失ったふりをしたバルケミーを拘束はしたものの、事の発覚を遅らせるため一緒に連れ去っただけで、特に心身を害することはなかったと言う。
隔離された部屋を抜け出し、情報収集したり空き部屋からくすねた端末をラハーレに差し入れたりしながら、離宮から逃れる方策を練っていたところ、デュイエの配下からの接触があり、脱出成功に至ったそうだ。
ひと通り帝国での状況を聞き出したあと、エセンはゆっくりと時間をかけて、狭間の空間でのこと、そしてデュイエとのやりとりをラハーレに伝えた。
「そうか、」
続けて何かを言おうとしたのかもしれなかったが、結局ラハーレはそれ以上なにも言葉を発しなかった。
万感を込めた深い「そうか」だと、エセンは思った。
今は昔、中央大陸に龍の姫が暮らしていた。
寒い寒い冬のある朝、姫は氷の王子に出逢い、一世一代の恋をした。
けれどどれほど姫が言葉を尽くし、愛をもってあたためようとも、王子の凍てついた心が溶けることはなかった。
明日にでももしやまたあの寒い朝が来て、王子に逢えるのではと、春も夏も秋も、姫は王子に出逢ったその場所にうずくまり、待ち続けた。
けれど王子は、冬の訪れとともに姿を見せても、姫に微笑みひとつ向けることはなく、春の気配を感じるや冷淡に去ってゆく。
姫の涙はやがて川をつくり、湖となった。
真珠のように輝いていた鱗は剥がれ、その一つひとつから人の子が生まれ、数を増やし、やがて集落を成した。
鱗から生まれた子どもたちは、母たる龍の姫に毎日、柘榴の実を捧げた。
しかし姫は好物の柘榴に見向きもせず、氷の王子を想い続けるばかり。
いつしかその躰は土に還り、巨大な山脈へと姿を変えた。
中央大陸最高峰ホヌラ山を擁する中央山脈の成り立ちである。
『中央大陸東部の昔話 三 〜龍の姫と氷の王子〜』
幼い頃少年は、離れて暮らす母が好むという柘榴を、執事に頼んで、しばしば祖父の庵へ送ってもらっていた。
あまり食の進まない母が喜んで口にしていた、と聞くことだけが、彼が母親から得られるものの全てであった。
それは遠い日のいつかの夕暮れ時、ラハーレが気まぐれにエセンへ聞かせた自分語り。
『龍の姫は
柘榴の実を食べたら
この世でいちばん幸せな母親に
なれたはずなのにね』
マレーレはもう、次の世界へ辿り着いただろうか。




