第28曲 妻から夫へ
ふぅっと意識が浮上する感覚とともにゆっくり目を開けると、白い天井が見えた。
胸の上に何かが飛び乗ってきたと思ったら桃色の鼻先と銀白色のひげが眼前に迫り、頬をとてつもない勢いで舐められる。
「エセンさん!気がつきましたか」
少し焦ったようなラプソンの声が聞こえ、エセンはジンシャーを抱いて上体を起こしながら周囲を眺めやった。
「エセンさん、目が醒めて良かったです〜」
ヨンカは少し泣きそうな顔をしている。
「ラプソンさん、なんだか久しぶりね〜」
「起きて一言目がそれですか…」
呆れた様子ながらも、ラプソンはほっとしたように微笑んだ。
「ヨンカさん、ここラハーレの寝室よね?」
「そうですよ。光に包まれたあとエセンさんの意識がなかったので、研究所の男手に館まで運んでもらいました。さすがにその状態で鋼琴の下というわけにはいかず、こちらへ。それから小一時間というところでしょうか」
「ほかの人たちは?列車組はそろそろこっちに着く頃じゃない?」
「それが…」
ラプソンが眉を曇らせた。
「え、何かあったの?」
「帰りは早い方が良いということで、みなさん特急列車でこちらへ向かわれています。少し前に、もうすぐ首都に着くと連絡がありました。ただ、旦那様だけはもう少し作業があるからと、シャルリアンテを待機させて神殿に残られていました。エセンさんが館へ運び込まれた直後に連絡をとろうとしたのですが、お姿が見当たらないと、」
「え、」
エセンは全身から血の気が引くのを感じた。
ヨンカが硬い表情で頷く。
「一応、首都から派遣された常兵隊の分隊から一名が護衛のため残ったそうなんですが、その者も行方知れずとのことで。いまグレカディオさんにお願いして、現地の状況を調べていただいています」
息を呑んだまましばし黙り込んでいたエセンは、きゅっと唇を引き結んでから宣言した。
「私ちょっと電話してくる!」
寝具を跳ね除け、ジンシャーを抱いたまま部屋から飛び出していったエセンを、ヨンカが羽織ものを掴んで追いかけた。
「エセンちゃんがにらんだ通り、宿の部屋へ行ってみたら、走り書きが残ってたわ」
今回、地下神殿へ向かうにあたり、塗料の女神レゼーラが万一に備えて新開発の透明塗料を小分けにして持たせてくれていた。
乾けば跡すら見えなくなるが、特殊な光を当てると浮かび上がるものだ。
何者かの襲撃を受けた際、おそらく卓について何か作業をしていたラハーレは、対話により手掛かりを得つつ、同時に彼らの注意をそらしながら、指に塗料をつけて卓の裏側に手掛かりを残したと見られる。
『ギレア』
『神殿』
『爆破』
とっさの状況で襲撃者には知られないように、しかも卓の裏への逆さ文字でよく書けたものだ、とグレカディオは通信回路の向こうで半ば呆れたように言った。
「つまり、影の帝族を存続させるために連れて行かれたってことね。たぶん神殿を爆破すると脅されて」
「おそらくね。機構の中身は一応、すでにラハーレが別の場所に複製をとったけれど、エセンちゃんが狭間の空間に接続している状態で原本を爆破されたら何が起こるかわからないから、ついて行かざるを得なかったんだと思う」
「そうすると、命の危険はないってことね」
「ただ、」
そこでグレカディオはわずかに言い淀んだ。
「帝国の五の姫が、ラハーレをえらくお気に召してるようだから、」
「まさかの貞操の危機?!」
「いやお前まさか、面白がってねぇだろうな?」
映写幕に映ったオードがさすがに疲れた表情をしながらもつっこんだ。
「つかさ、ヨンカとふたりだけで飛ぶなんて、危なすぎる。せめてシャンスを連れてけなかったのか?」
皆がそろうまで待てず、環星辰商会の小型機を操縦士ごと借り切って飛び立ったエセンである。
そこへ、ぽーん、と通信の要請があったことを知らせる機械音がしてエセンが受信の操作をすると、別の映写幕に黒髪の男性が映った。
底冷えするような銀鼠色の瞳が印象的で、なんとも言いがたいこの世ならぬ雰囲気を漂わせている。
「ラハーレが行方不明だと連絡をもらったが」
「そうなの。デュイエさん、何か情報ありません?」
いきなり用件から入ったデュイエに、エセンもまた要望から切り込んだ。
「あのふたり、なんか真逆そうに見えて、実は中身似てるな?」
「ですよねー」
オードとヨンカが、ぼそぼそと呟き合っている。
横を向いて誰かと話している様子だったデュイエは、こちらへ向き直ると静かに口を開いた。
「おそらく離宮に軟禁されている。妻が無事だと知れば、あとは自分で戻るだろう。離宮であれば、手の者を幾人か潜り込ませてあるから、お前がすでに帝国へ向かっていることを伝えさせる。それでいいか?」
「充分よ、ありがとう!ねえデュイエさん」
「なんだ」
「私が売られそうになったとき、助けてくれてありがとう」
デュイエはしばし沈黙した。
「ーーーたまたま情報が入ってきただけだ」
「それとね、マレーレさんから伝言」
銀鼠の瞳がちらりと動いた。
「『狭間の空間で長い時間かけて反省したわ。次の世界でまた素敵な人を見つけて新たな恋をするから、あなたももう自由にしていいわよ!』ですって」
デュイエの端正な頬に、微かな苦さの気配が滲んだように見えた。
「むしろ最後はこちらがふられたようなものか。まあいい。離宮近くの離着陸場を使えるようにしてある。ラハーレが余計な面倒を起こす前にさっさと連れ帰れ」
言いたいことだけ言って、デュイエはさっさと通信を切った。




