第27曲 狭間の空間
瞼を焼く光の奔流が引いてきたのを感じて目を開けると、エセンはこの世ならぬ空間にいた。
空も草原も花も岩も、木々や山並みも、すべてが地上のそれとよく似通っていながら、色は淡く輪郭は曖昧で、どこか存在感に乏しい。
人はたくさんいるけれど生命力は薄く、みなすべるように泳ぐように歩いている。
ここが狭間の空間なのだと、彼女は感覚で知った。
雲を踏むような心地で、エセンは花の咲き乱れる草地を歩いた。
「エセン、来てくれたのね」
覚えのある声に、エセンはぱっと振り向いた。
そこには、在りし日のモナがいた。
「モナ、あの頃とちっとも変わらないのね!」
「そりゃそうよ。魂は歳をとらないもの」
モナは屈託なく笑った。
「助けにきてくれて、ありがとう。ここからうっすら見えてたわ、エセンががんばってくれてるところが」
そして、エセンの腰あたりに両腕を回して軽く抱擁した。
「そして、長いこと枷になってしまってごめんなさい。もう大丈夫、ここから旅立つね。次の生で一緒になるかは判らないけれど、世界はたった七つしかないんだもの。いつかは同じ世界でまた出逢えるはずよね」
「うん、きっと。次は航りを早めたりしないでよ?」
「それは反省してる、本当にごめんなさい。それでも、次に逢うときに少しでも私を思い出してくれたら嬉しいわ」
世界を航る際、前の世界での記憶はほとんど洗い流されてしまうが、強い願い、純粋な想いがあれば、何らかの形で残ることもあると言われている。
存在感の希薄なその幼い体を、それでもエセンは約束の代わりに精一杯抱きしめ返した。
しばしののち、モナがその場所を譲るように後ずさると、入れ替わるように進み出た女神のように美しい女性が、がばりとエセンに抱きついた。
「エセンちゃん、巻き込んじゃってほんとにごめんよー!!あの頃のあたし、なーんであんな考えなしだったんだか、今にして思うとぞっとするわ〜。たぶん意地になってたんだろうな〜。デュイエを振り向かせること以外、なぁんも考えられなくなっちゃってさぁ。それしか方法はない!ってなんでか思い込んじゃったんだよねー。いやぁ、若さって怖いわ〜。あ、引かないでね?一応ほら、姑になるわけじゃない?お嫁ちゃんに引かれるとさぁ、やっぱこう、胸にくるっていうかねぇ」
話の内容からして、まず間違いなくこの女性がマレーレなのだろうが、なーんか思ってたのと違うなぁ、とエセンは内心ひとりごちた。
見た目は文句なしに麗しく、黒髪に瞳は明るい翠玉色で、顔立ちは息子であるラハーレとよく似ているが、彼を通して聞いていた話から儚げな薄幸美女を連想していたので、肩透かしを食った感が否めない。
生命力の薄いこの空間でもここまで姦しいということは、地上では相当ににぎやかな女性だったことだろう。
「びっくりはしたけど、引いてないです。むしろわりと好きかも」
「あっらー、やだめっちゃいい子!子猫ちゃんみたいで見た目も可愛いし、ラハーレってば、我が子ながら隅に置けないな〜」
ここにはいないラハーレを、肘でつんつんと突く仕草をしているマレーレ。
ラハーレがごく稀に見せる乗りの良さは母親譲りだったか、とエセンはちょっと遠い目になった。
ふざけた雰囲気だったマレーレだが、ふと表情をあらためると、ラハーレを彷彿とされる透明な視線でエセンを見つめた。
「狭間の空間で長く時を過ごすうちに、勝手だけどデュイエのことはだんだんどうでも良くなってきちゃったのよねぇ。あ、でも一応伝言を頼もうかな」
マレーレはデュイエへのごく短い言付けを終えると、その美しいかんばせに満開の笑みをのせた。
「それからラハーレに伝えてくれる?ーーー龍の姫は柘榴の実を食べたら、この世でいっちばん幸せな母親になれたはずなのにね〜って」
ーーーさよなら、またいつか、どこかの世界で
微かに聞こえたその言葉を最後に、モナとマレーレの姿は揺らぎ薄れ、光の珠を形づくった。
碧瑠璃と翠玉色の蝶が寄ってくると、光の珠をそれぞれ背に乗せるようにして大きく羽ばたいた。
気づけば辺りは色とりどりの蝶がそれぞれに珠を乗せて、いっせいに羽ばたきを始めていた。
風の渦が生まれ、その流れに乗って蝶の群れが飛び立ってゆく。
光と風の渦は、エセンをも包み込み押し流していった。




