第25曲 海千山千、我が路をゆく
黒縁眼鏡をかけたラハーレが、マリアロに確認をとりながら機構の修繕を進めていく。
マレーレが直接書き換えたのは航りの条件を設定している箇所の一文のみだったが、言霊の反転機能というのはなかなか扱いが難しいようで、おそらくマレーレ自身も予期できなかったであろう広範囲に影響が波及していた。
いまラハーレが取り掛かっているのは、その波及部分である。
本来であれば一族の女系のみに受け継がれる言霊の力だが、マリアロによれば、言霊の一族は元はと言えば巫覡の一族からの枝分かれであったようで、エセンも懐中時計に込められた情報や言霊の力に触れることができた。
エセンとマリアロ二人がかりの補助があるとは言え、見慣れぬ言語による機構を瞬時に書き換えてゆくラハーレの姿は、まさに神業であった。
「なぁ、あいつらなんかあったんか?」
時に最小限の言葉で感覚を共有し、時に視線ひとつで息の合った連携を見せるラハーレとエセンを、通信を通して見ていたオードが、つんつんと映写幕をつつきながら聞いてきた。
「ふむ。戻ってきたときから、どうも以前と雰囲気が違うと思っておったが、」
「む。とうとうあやつめ、手を出したんか?」
菫色の髪のベケルと御老公まで参戦して、非常に姦しい。
「お三方、いまとっても大事な局面なの、わかってます?」
「そりゃそうだろうけど、なんかあいつ余裕そうじゃん?」
「これくらいの野次で集中が乱れるようでは、まだまだじゃ」
「そうじゃそうじゃ、これくらい鼻ほじりながらでも軽々できんようでは、まだまだエセンちゃんはやれんわい」
「御老公のそれは完全に私怨ですね!」
部屋の片隅で記録をとっていたヨンカが、すぱっと切って捨てた。
「ヨンカ、おんしの舌鋒は相変わらずいい切れ味しとるのぅ」
御老公が恨みがましい目つきで唸った。
「ときに、そっちのおんしらはそろそろ纏まらんのか?」
「、ぇ」
「はぃ?」
シャンスとグレカディオが、ほぼ同時に間の抜けた声を上げたそのとき。
首都と繋いだ映写幕の向こうから騒めきが聞こえてきた。
ほどなくオードの背後に、銀縁眼鏡をかけた背の高い男の姿が映り込む。
「隊長」
「げ、」
一瞬でシャンスが苦虫を噛み潰した表情になった。
「出た、皮肉屋眼鏡」
「ヨンカ、あなた相変わらず失礼な人ですね」
水浅葱の瞳に白金短髪の財務局長トルエミス。
全体的に淡い色味なところへ銀縁眼鏡が加わることで、いささか情が薄そうな印象を与える外見であるが、これには仕事柄酷薄そうに見えた方が都合が良い、という理由もあるらしい。
「隊長殿、緊急事態なのはわかりますが、もう少し小まめに決裁をあげてもらえますか。期限を守ってもらえないと、通るはずの予算も通りませんよ」
シャンスは日頃、女性活動家を名乗っているが、あくまでも自称である。
本人があまり表に顔を出したがらないのと、平時は軍の頭が自ら出張るようなことはまずないのであまり知られていないが、実のところ正式な肩書きは常兵隊長ーーー軍を統率する人である。
元は傭兵であったのが、常兵隊の前隊長から再三の引き抜きを受けて後を継いだという、異色の経歴の持ち主である。
エーレは中立国であるがゆえに防衛費はそれなりにかさむわけで、財布の紐を握る財務局と金食い虫の常兵隊は犬猿の仲と言える。
「いやほら、世界が壊れたら決裁も何もないじゃない?」
「いま止まっている書類の半分以上が、今回の件が発覚するより前の提出期限です。常日頃仕事を溜める癖がついてるから、こういうことになるんですよ。溜め癖つけずに、さっさと判子ついてください」
「おやじ駄洒落、ださ、」
「さぶ、」
「外野はちょっと黙っててもらえますか」
「あの書類の山を見るとやる気が失せるのよぉ〜」
「では終わるまでとことん付き合いますから、すぐ帰ってきてください。あなたの代わりに、副官殿にお願いして空路で選りすぐりの分隊を送りましたので」
ふたりのやりとりを脇目に、お歴々がひそひそと囁きを交わしている。
「なんじゃ、本命はあっちか?」
「とんだ伏兵じゃな」
「グレカディオめ、情けないやっちゃ」
「いや、僕らは元々そういう関係じゃないですからね?告白もしてないのに振られた可哀想なやつみたいな空気感出すの、やめてもらえます?」
端末操作に集中していたラハーレが、そこでようやく顔を上げた。
「エセン、もう大丈夫だ。航りを歪めていた部分は修正できた。急ぎの箇所は残っていないから、あとは君のやるべきことに取り掛かってくれ」
声かけを受けて、エセンがしっかりと頷いた。
「ーーーええ、狭間の空間から全ての魂の解放を」




