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殿下ちゃんと古代ちゃん

鋼琴の前に座ったエセンが、破壊的な旋律を叩き出しながら、五線紙に殴り書きをしている。


エセンの自称本業は、作曲家である。

前衛的すぎて、正直なところ大して売れていないが、本人はさほど気にしていない。


星が落ちてきたかと思うような爆音が続いたかと思えば、次はかそけき草の声を聴くかのような静寂、といった具合で、玄人好みと云うか、なんとも好みの分かれる感性なのである。

ごく一部の好事家(マニア)が、限定的かつ根強い愛好者層を形成していた。


可哀想な銀髪の少年は、先ほどから目と口を開きっぱなしである。


最後を絶妙な不協和音で締めくくると、エセンは満足気に「魂の旅」と曲名を書き付けた。


「それで、殿下とは?」


ラハーレが達観した様子で淡々と問うた。


「ほら、いま大学の博士課程に留学中のリンカラン國第十七王子に顔が似てるでしょ?髪と瞳の色なんて、そっくり。だから殿下ちゃんて呼ぶことにしたの。名乗りたくないっていうから」

「件の王子は御歳四十一だと聞くから、本人ということはまずないだろうが」

「あのっ、」


銀髪の少年、仮称『殿下ちゃん』が意を決したように顔を上げた。


「ぼくしょみんです。王子じゃないです」


エセンは胡乱な目つきで殿下ちゃんを見ると、しばし沈黙した。


「……古今東西、酔っ払いはだいたい酔ってないって云うのよ」

「それとこれとは別問題では…」


壁際で待機していた家政婦のヨンカが、小声で冷静な突っ込みを入れる。

ラハーレがおもむろに口を開いた。


「それで殿下ちゃんは、」

「その仮称で行くんですね…」


またもやヨンカが呟く。

ラハーレは寡黙で大して面白みのない男だが、どういう心境か、時々妙に乗りのいいことがある。


「これからどうしたい?」


殿下ちゃんは俯き加減に思案する様子だったが、唐突にひゃっと情けない声をあげた。

なんとなれば、一匹の猫らしきいきものが、少年の膝の上を前触れもなく飛び越えたからである。


ラハーレの車とよく似た濃紫(こむらさき)の被毛は、天鵞絨のごとき艶があり、ほっそりした肢体に大きく縦に長い耳。

耳の先には長いまつ毛のような飾り毛が生え、双眸は見事な金色。

額にはくっきりと玉押黄金(スカラベ)の紋が顕れている。


古代猫、と呼ばれている。

頸周りには、鎖状に編まれた金と宝玉の飾りを纏い、なんなら殿下ちゃんより高貴な雰囲気があるかもしれない。


このいきものこそが、エセンがラハーレに保護されるきっかけとなった存在である。

幼い頃からのいわば育児放棄で、両親が営む研究施設に入り浸っていた彼女は、古参研究員の手ほどきと生来の勘の良さから、偶然にも古代の遺物を紐解き、かつて存在したと云われる高度な文明と共に滅んだ、幻の猫を蘇らせてしまった。


完全に偶然の産物なので、どのようにして生み出したのかと訊かれても、説明はおろか、再現することも難しい。

ともあれ常人には困難なことを年端もいかぬ少女が成し遂げてしまったがゆえに、他國の王族に目をつけられることになり、あわやというところで研究所の出資者であるラハーレが待ったをかけたのである。


「古代ちゃん」


エセンの呼びかけに、古代猫はつーんと鼻先を背けた。

古代、神聖ないきものとして崇められたこの猫は、人の言葉をかなりの水準で理解している様子が見られる。一方で気位が高く気まぐれで、エセンのことは一応尊重しているようではあるが、人間の思い通りに動くことは滅多にない。


いっそ見事なまでに協調性のない古代猫は、窗辺(まどべ)で毛繕いを始めてしまった。

殿下ちゃんのつぶらな碧眼は、すっかり古代猫に釘付けである。


「ま、しばらく様子見ですかね」

「お部屋を準備しますね」

「ラプソン」

「はい、すでに情報収集を手配しております」

「古代ちゃん、脚下ろして。お尻丸見えだから」

「…………………」

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