第16曲 不機嫌な揚げ麺麭や
なんとかカティージア嬢を振り切って宿を出発した一行は、途中、何度か別働隊と連絡を取りつつ、翌朝には地下神殿のある港街に辿り着いた。
土産物屋や洒落た飲食店が立ち並ぶ海岸通りを抜けると、車は緩やかな勾配を登り始め、景色はのどかな果樹園や畠が視界の大半を占めるようになってきた。
『タルヒ農園』とある、飾り気のない手書きの看板が立てられた角を、シャルリアンテがゆっくりと右折する。
路らしい路もない農園の敷地内を進み、柑橘の林に囲まれた野菜畠の側で車は停まった。
胡瓜の苗の間に、ぴょこん、ぴょこんと小さな頭がふたつ覗いた。
「エセンちゃん!」
「エセンちゃ!」
もうすぐ着くと、車載電話から連絡を入れていたので迎えに来たのだろう。
土の下から跳ね出てきたビョルクとテンは、畝の間を走ってくると、車から降りたエセンに飛びついた。
「エセンちゃ、いらしゃい!」
「エセンちゃん、あげぱんやさん、いっしょにいこうと思ってまってたの!」
このところ忙しくしていたこともあり、あまり子どもたちをかまってやれていないのに、何故こんなに懐かれているのかと頸をひねりつつ、エセンはふたりを纏めて締め上げてみた。
運動音痴の彼女なので、全力で締め上げたところで大した腕力でもない。
うにゃぁ〜と嬉しそうにふたりが咲った。
うしろから今回の護衛役が着いてきている。
研究所副所長のポヴランである。
やや丸っこい体型に丸顔。
頭部には人参色の和毛がうっすら生えており、滲み出る汗を手巾で拭う、なんとも人の良さそうなおっさんである。
昔は身が軽く屋根の上を走っていたと聞くが、にわかには信じがたい話だ。
「今でもですね〜、護衛くらいは務まりますんですよ〜、はい」などと本人は云っていた。
ますます信じがたいが、ベケルのお墨付きもあり、今回の護衛役任命とあいなった。
空色なんとかの件は、子どもたちの夢を壊さないためにも秘密にしている。
地下神殿は、エセンやラハーレにとっては仕事で何度も来たことのある馴染みの場所だが、子どもたちは初めて来たので見るものすべてが新鮮なのだろう。
特にテンは旅行という経験自体が初めてだろうから、興奮しきりだ。
シャルリアンテは車を置きに行くと親指で示して箱型車とともに走り去り、他の面々はビョルクたちの先導で胡瓜畠の中を進んだ。
「エセンちゃん、ここすごいね!はたけの中にいりぐちがあるなんて、知らなかったらわからないね」
「エセンちゃ、こち!あしもと、きよつけてね!」
ここへ到着した際、自分が大人たちの誰かから同じことを云われたのだろう、いっぱしの紳士ぶった幼子の振る舞いに、周囲がみな孫を見る爺婆の表情になっている。
畠のただなかにある地下神殿の入り口。
それなりに人の出入りも多いのに、神殿が発見されて以降も我関せず、此処で農地を続けるタルヒ一家は、今日ものんびり農作業をしている。
この畠や果樹園で採れる作物は、半分以上が地下で地産地消されているので、輸送費もかからず効率的ではある。
「やぁ、研究所の若先生じゃあないかね。あのちっこかった子がまぁ、大きゅうなってなぁ」
タルヒの爺さんが、少し離れた赤茄子畠に埋もれながら片手を上げ、陽に焼けた貌で咲った。
此処に来るたび、もう十年近くもほぼ同じ台詞を云われ続けている。
「お世話になってます!お爺さんもお元気そうで良かったわ」
エセンは元気よく手を振り返した。
畠の黒黒とした土に埋もれそうな入り口から石造りの階段を降りてゆくと、中は日の光が差し込む水中にいるかのような柔らかい照明に照らされ、此処が地下であるとにわかには信じられないような空間になっている。
この照明技術も、古大陸から持ち出されたものと云われている。
目抜き通りにあたる通路を、多くの人が行き交っている。
いかにも巡礼らしい格好の人もいれば、観光客や研究職らしい人々もいる。
祈りの場としての機能は、いまエセンたちのいる半地下階の奥に集約されているので、巡礼者たちの大半は奥の礼拝所へ向かって行く。
この階にも土産物屋や喫茶、食事処があるものの、お上品な部類の舗ばかりなので、観光客はたいてい地下一階を目指す。
地下一階まで降りるとまたがらりと雰囲気が変わり、此方はクープっ子には馴染み深い、色とりどりの人工灯に照らされた夜の世界である。
高い天井全体が淡い光を放っており、まるで満月に頭上から包み込まれているかのようだ。
これもまた古代の技術である。
あちこちの飲食店から美味しそうな匂いが漂ってくるが、換気はしっかりされているようで他階には影響しないようになっている。
なお、防火設備や避難経路もしっかり整っているが、万が一にも火を出すとかなり重い罰則があるので、小火程度の事故も滅多には起こらないそうである。
「エセンちゃ、こち、こち!」
鳶色の瞳を綺羅きらさせたテンが、懸命にエセンの手を引っ張る。
お目当ての揚げ麺麭やへ連れて行こうというのである。
暴力的に食欲を刺激する匂いが、通行人を立ち止まらせる一画。
『揚げ麺麭/肉桂珈琲』
簡素な看板が置いてあるだけで、舗の名は特にない。
居抜きなのか、店舗の造りは重厚なのに食器類は安っぽい。
不機嫌そうな中年男性がひたすら菓子を揚げ、やる気なさそうな若い女性が勘定台越しに無言で菓子皿と珈琲を出している。
食べたあとは客が自分で返却台へ食器を返しに行く。
菓子も飲み物も一種類しかないので、注文をとる必要もないわけであるが、旅行案内に載っていることもあってか、愛想のない舗ながらなかなか賑わっている。
客は多いが広さもあるので、満席にまではなっていない。
「おぉ、来たか」
ベケル、グレカディオ、ヨンカの三人が、奥の丸卓ふたつを陣取っていた。
今日のベケルは、目にも眩しい檸檬色の髪である。
「師匠、人間離れしすぎてとうとう後光が…」
「師を化け物扱いするでないわ、この馬鹿弟子が」
ベケルの一喝を受けて、無関係な近隣卓の客までもが背筋をぴやっと伸ばした。




