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第13曲 妻と夫の出発前夜

はぁ〜、と嫌味たらしいため息を聞かせて、オードは布張りの椅子に脱力した。


「なんだってお前はこう、厄介ごとばかり持ち込むんだか」

「好きでこうなってるわけじゃないんだってば」

「そりゃそうだろうよ。好きでやってるなら、真性の被虐趣味だからな」


オードの執務室には評議会員が貌を揃えていたが、内容が内容だけに非公式な報告会の体をとっており、エセン以外の諮問員は喚ばれていない。


今日のベケルの髪は抹茶色である。

このところ美容に良いだとかで、ずいぶん遠方から取り寄せたやたらと苦い茶を好んで飲んでいたから、その影響だろう。

今のところ効能があらわれているようには見えないが、それを本人に告げるような猛者は此処にはいない。


オードの分析によれば、テンの中に残っていた前世の意識は正常に切り離され、と同時にモナが預けていた魂の一部のようなものも役目を終えて、それぞれがいまあるべき場処へ戻っていったという。


「ジンシャー、お手柄だったわね!」


黒髪美女の第五席シャンスにやさしく撫でられて、満更でもない様子の古代猫。


テンの中から前世の人格を切り離すにあたり、またもやジンシャーが断りもなく勝手に結んだ契約だが、対価は「一日一回は特別なおやつを出すこと」とされていた。

対価の支払い者としてテンではなく飼い主が指定されていることに、若干の納得のいかなさを感じるエセンである。


「だけどまぁ、ちょ〜っと放っても置けない事態になって来たよねぇ」


と第四席グレカディオ。


七つの世界を渡るのは生命の理とされているが、古大陸に君臨した種族による特殊な仕組みがあり、それが魂の廻りを助けているとも云われている。


その仕組みに、何らかの理由で不具合が出ている。


「そりゃ、大陸が沈んでまた別の大陸ができるほどの時間が経ってるんだ。不具合くらい出るのは道理さね」


とベケル。


おそらくモナは、次の生を享けるため世界を渡ろうとしたが渡れず、狭間の空間にとどまっていると。

そして、ちょうど真逆の路のりをやってこようとしていたテンと行き合った。


前世かそれよりも前か、どこかで縁があって引き合ったのだろうとオードは云った。


テンは彼にとって次の世界である此処へ辿り着くことができたが、やはり完全な再生とは云い難く、前の意識が部分的に残ってしまっていた。


それを古代の知識を持つジンシャーが察し、切り離したのだろうということだった。


「お前ちょっと行って、倉庫に籠ってこい」


『倉庫』というのは、古代の遺物や文献が保存されている、美術館並みの空調設備が完備された地下施設のことである。


オードからエセンへの無茶振りに、本人よりもラハーレが反応する。


「エセンばかりをこき使うのはいかがなものかと」

「いや、こっちはこっちでやることがあるのだっ。こう見えて暇じゃないんだぞ!」

「暇そうに見える自覚はあるのですね」


何故か、オードに対してはわりと当たりの強いラハーレである。


古大陸の人々が遺したものはほとんどが深い海の底に沈んでおり、たまたま波間に浮き上がったり、海底から引き上げたりされたものが、遺物として保管されている。

その保管場所が通称『倉庫』だ。


古代文明の研究者たちが聞いたら、さめざめと泣き崩れるかもしれない。

というのもこの『倉庫』、古大陸に関連する遺跡と目されているものなのである。


古大陸の人々は全滅したわけではなく、ごく少数の人々は生き延びて荒れる海を渡り、新大陸へ移ったとされている。

そして、まだ気候の不安定だった外界の難を避けて地下に神殿をつくり、隠れ暮らした。


この地下神殿、なかなかに広大な空間なので、発見された当時の評議会が「もったいない!」と思ったのか、時折ぽろぽろと見つかる古大陸遺物の保管場所として活用されるに至った。


「友だちのためでもあるし、いいわ。ここはひとつ、派手にやってやりますか!」

「いや、派手にやらんでいい。頼むから普通にやってくれよ、ふつーに、な?」



評議会の非公式な集まりを経て、いつもより早い時間に帰宅したラハーレとエセン。


玄関を入るなり、口論するらしい子どもたちの聲が響きわたっていた。


「だて、おいだされた、のに、なんで、もどるの」

「でんかがけがしたって、いうんだよ!ちちうえってよんだらいけないけど、でもほんとうはちちうえなんだ!」


ビョルクの瞳からぽろぽろと涙がこぼれている。


「さ、き、きた、あのひと、へんなかんじ、した。うそつき、におい、ぼくわかる。あのひと、ところ、い、たら、だめ」


エセンとラハーレは、貌を見合わせた。


ラハーレが聲をひそめてラプソンに尋ねる。


「留守の間に誰か来たのか?」

「つい先ほど、第十七王子の遣いと仰る方が。ですがおそらく十代後半の少年で、側近の方ではありませんでした。たしかに、感じが良いとは云い難い方でしたが、」


言葉を濁すラプソンだが、人を見る目については定評がある。

子ども特有の勘の良さか、あるいは生来のものか、テンはどうやら相馬眼の持ち主であるようだ。


「外の護衛は?」

「特に動きはなかったので、関係者であるのは間違いないのでしょう。現時点では危険はないと判断したのか、あちらからの接触は今のところありません」


テンが真剣な表情で云い募りながら、ビョルクの袖を掴んでいる。

聲を荒げつつも心の優しいビョルクは、その手を振り払うことまではできないでいるようだ。


そこへ奥からヨンカが出てきた。


「坊ちゃんたち、状況が判りましたよ。説明しますから、ひとまず蜂蜜入りの羊酪でも飲んで落ち着いたらどうですか」


おそらく姉のシャンスを通じて、情報通のグレカディオあたりに調べてもらったのだろう。

まださほど時間が経っていないはずなのに、さすがの情報力である。


まだ不満そうな様子ながら、大人たちに促されたビョルクは皆とともに居間へ移動する。


ヨンカとラプソンを除く全員が着席すると、ヨンカが安心させるように微咲んだ。


「結論から申し上げると、殿下は無事です」


ビョルクがほっと息をつく。


「滑ったか転んだか知りませんが、擦り傷程度の怪我はしたそうですが、ビョルクさんがわざわざ駆けつけるほどのものではありません」

「つまり、ビョルクを誘い出すための罠だったと?」

「その可能性が高いですね。誘い出してどうするつもりだったのかまでは判りませんが」


ラハーレが長椅子から立ち上がり、ビョルクの前に跪いた。


「そろそろ事情を、何より君がどうしたいのかを話してもらわなければな」


唇をかたく結んで俯いていたビョルクは、しばしののち、小さく頷いた。



ビョルクからひと通り話を聞いたのち、エセンは少年たちを寝台へ押し込んだ。

宵っ張りのクープっ子といえども、さすがに十にもならぬ子どもを深夜まで起こしておくわけにはいかない。


「明日の夜、出発で本当に大丈夫?」


初夏でも夜は少し冷える。

屋上庭園の長椅子には、珍しく背もたれに寄りかかって坐るラハーレの姿がある。

エセンが膝掛けを渡しながら隣へ腰かける。


ラハーレは千鳥格子の膝掛けをふたりの膝へ渡すように広げた。


「ああ、問題ない。情報管理局はひと月くらい私がいなくても回るようにしてある。心配はいらないよ。ビョルクの件も手は回したからね」

「王子は子どもたちを試しているのかしらね」

「どうかな。けれど立場上、我が子でも私情を抜きにして見極めなければならないとしたら、王族というのは大変な仕事だな」


ラハーレは何か別のことを思い返すように、遠くを見る目で呟いた。


「それより、狸親父がよからぬことを企んでいるようだ。そちらの方が問題だな」

「親兄弟の問題を引っ掻き回すなんて、最低ね!」


エセンは頬を膨らませると、やや子どもっぽい仕草でぽすんと背中から長椅子に沈み込んだ。


「ねえ、今回の調査、ラハーレは無理してついてこなくても良いのよ?」

「家族なのにずいぶんと冷たいことを云うね」


苦咲したラハーレをちらと見て、エセンはその肩に頭をこつんと当てた。

それは父か兄にでもするような、親しみのこもった、けれど色気の感じられない仕草で、ラハーレはどこか淋しげな表情をほんの一瞬、滲ませた。


未だ男女の情には疎い彼女に色を感じさせないよう、細心の注意を払った長い腕が、エセンの肩を至極健全に、温めるように包み込む。


「私にとっても収穫があるかもしれない。何より、この件に関しては私がきっと役に立つはずだよ」


エセンは満月を背にして咲った。


「ええ、期待してるわ旦那様!」

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