女装男子とイケメンの覚悟
「いや、おかしいでしょ! どういう経緯でそんな思考になったのか知らないけど、ボクなんかに務まるわけない!」
足を床に突き立てるように鳴らしながら、索理は頑として言いかえした。
「そんなことはないよ、君にはやれるだけの素質がある」
「だから、何を根拠に!」
肩をいからせて喚き立てるが、奏士は負けじと真剣な面持ちで指を立てる。
「まずは一つ目、台本をある程度記憶していることだね」
「台本なんて見たこともないけど?」
「でも君は大道具班の手伝いをしてくれていた時に言っていたよね。俺たちの練習を何度も聞いていたらセリフを覚えてしまうって」
「そんなの言葉の綾だし!」
「でも、少なくとも一から他の人に覚えてもらうよりは効率がいいはずだ」
二つ目に、と間髪入れずに奏士が続ける。
「夕木くんと白雪姫役の先輩は体型が近い。衣装班の採寸表も確認させてもらったからほぼ間違いない。衣装のシェアは十分可能だと思う」
「体型って、ボクのサイズはどこで」
「プールで遊んだ時に見た体型を覚えていたんだ。目算でしかないけれどね。肩やお腹周りの肌が出ていたから分かりやすかった」
「……最低」
「男同士じゃないか、大目に見てもらえないかな」
奏士は一瞬だけ目尻を下げ、すぐに真剣な表情に戻る。
「第三に、夕木くんの歌の実力。ミュージカルをやるにあたって一番重要な部分だね。そしてこれが最大の理由でもある」
「歌、って……」
「こればかりは断言しておこうか。君の歌はステージに立っても間違いなく通用する。というか……この場にいる誰も敵わないだろうね。それくらい圧倒的だったよ、あの日は」
あの日というと、ギターの練習をしていた奏士と教室で出くわしてしまった時のことだろう。
「まず前提として、君が出している声は疑う余地もなく女性のものだ。見た目も相まって、男だと疑いをかける者はいないだろうね。演劇の声の出し方は少し特殊だけれど、日ごろから声帯が自然と鍛えられている君なら容易く習得できると思う。歌うのと大差ない、って言う人もいるくらいだ」
「めちゃくちゃだ……」
「そうかもしれない。でも俺には、夕木くんが実現してみせる未来しか見えていない」
はっきりと言い切って見せた奏士に騒めいたのは、やり取りを見守っていた演劇部員たちだった。無理もないだろう。ミュージカルをやるにあたり、部活の中で毎日歌の練習も重ねてきたはずだ。その様子を知ったうえで、奏士はぽっと出で現れた訳も分からない、男か女かも判然としない人物に主役を任せようと言っているのだ。
しかし、索理や奏士に対しての直接的な言葉は飛んでこない。測りかねている。索理に集まる目が複雑なものになる。何者なのか。経験者か素人か。奏士が断言するだけの実力があるのか。だが向けられる期待と疑いのどちらも、索理にとっては等しく不快なものに違いなかった。
「お願いする立場なのに急かしてすまないが、早めに決断してほしい。さっき言った通りあまり時間がないんだ。君の練習時間もどんどんなくなってしまう」
「ボクが頷く前提で話を進めようとするのをやめてくれないかな!」
表面張力ギリギリを保っていた索理の感情が、ついに決壊した。
「そっちが言うならこっちも言わせてもらうけど、ボクは一ミリもやる気なんてない! ステージの時間だとか、引退前最後だとか、そんなのボクには何の関係もない!」
「でも考えられる候補は君しか──」
「候補って、ただ適性があるかもしれない、ってだけの話だよね? それも期待感と憶測で分厚い下駄を履かされてさ! 大体、ボクは人前に出るのが大の苦手なんだよ! そんなのクラスでの様子を見てれば知ってるはずだよね? 横野くんくらい視野が広い人ならはっきり理解してると思ってたけど?」
「それは……」
「それに、たとえボクが出たって失敗に終わるに決まってる! セリフだってうろ覚えだし、どこでどう動いたらいいのかもわからない。歌の歌詞や音程だって曖昧だよ。あとたった二時間しかないんだよね。ここにいる誰か、素人から二時間で人前で演技できるくらい上達できた人がいるのかな? それができないからこそ、毎日練習するんじゃないのかな。まだステージごとキャンセルしちゃったほうが、ボクも演劇部も恥をかかなくて済むんじゃないかな」
索理が叫び散らすたび、期待の眼差しが一つまた一つと減っていく。それでいい。物語みたいに都合よく救世主が現れるほど、この世界は人間に優しくできていない。彼らもそれを痛感するべきだ。
救いの手は簡単には差し伸べられないからこそ救いなのだ。どれだけ空に願っても、現実は地続きに進んでいく。そして索理は誰よりもそれを知っている。
だからこそ、索理は多くを望まない。第一に自分を救うことという目的のため、必死にならなければならないから。他の誰かに気を遣うのは、あくまで余力が許す分だけ。
何かの勘違いで承諾したと解釈されないよう、索理は身体を強張らせて奏士を睨む。
沈黙が場を支配していた。隣にいることをすっかり忘れていた藍が、何か言いたげに索理の袖を掴む。だが藍は、索理の目を見るなり開きかけた口を慌てて閉じていた。
「……わかったよ」
静寂を破ったのは奏士だった。根負けしたと言わんばかりに表情筋がふっと和らいだ。呼応するように、索理の緊張感にも緩みが生じる。
だが彼の口から出てきたのは、諦めの一言ではなかった。
「そもそも、君にメリットのない提案をしたのが間違いだった。一方的にお願いして受け入れてくれるほど、君は俺のことが好きじゃないだろうしね。だから、条件を付けよう。君がやる気になってくれる条件があれば、少しは考え直してくれる気になるかもしれない」
「そんなのあるわけない」
「どうかな。聞いてみないと分からないと思うけれど」
奏士は視線を外すと、深い呼吸を繰り返す。彼の目立たない鼻の穴が最大限に膨らむ。索理の注意を引き、もったいつけるように時間を取っているのか。いや──
(何かを……覚悟してる?)
索理が目を細めたその時、奏士は肺の中の空気をすべて吐き出していた。そこから一気に、唇の隙間を通して空気を取り込む。
「──夕木くんが白雪姫役をやってくれたら、俺は明日から夕木くんには一切関わらないことにする。クラスでも、それ以外のどんな場面でも。……これならどうかな。少しはやる気になってくれるといいんだけれど」
そうして告げられた言葉には、索理の心に迷いを生むために十分すぎる力が込められていた。




