幼馴染は何も知らない
「ふぅー、食べた食べた」
藍はお腹をさすって満足そうにしている。
いつの間にか時刻は昼を回っている。手元にあるものはあらかた食べ尽くしてしまい、索理たちはしばしの食休みを過ごしていた。
「もういいの? いつもの半分くらいしか食べてない気がするけど……」
確かに索理たちは屋台を巡って、気になるものを手当たり次第に購入しては二人で仲良く分け合った。サービスで快く大盛りにしてくれたところもあったけれど、普段から重箱弁当の半分ほどを毎日のように平らげている藍にしては限界に達するのが早いような気もする。
索理の疑問に、藍はコルセットのラインをドレスの上からなぞってみせる。
「お腹が上から絞めつけられてる感じだからかな。ちょっと苦しいけど、これを付けた方が胴のラインが綺麗に見えるんだって。自然と姿勢もよくなるんだよ」
「そうなんだ? 全然食べないから調子でも悪いのかと思った」
「……待って、これってもしかしてダイエットになる? 意識しなくても食べる量減らせるし、思ったよりちゃんと満腹感もあるし……普段からつけてみようかな……?」
「ダイエット? 藍ってべつに太ってるわけじゃなくない? 確か体重も標準くらいだよね?」
「甘い! さっき食べたクロッフルよりも甘あああい!」
藍が突如豹変する。こめかみのあたりに両手を持ってくると、人差し指で角を立てた。
「サクはそんな格好してるのに、女の子心理が全然わかってないっ! 標準よりも痩せてないと安心できないのが女の子っていう生き物なんだよっ! だいたい、誰が決めたかもわからない標準なんて数字なんてあてにならないんだからね! ただでさえ肉が付きやすい方なのに、最近は甘いものも食べすぎちゃってるし……」
「ま、まあ確かに、女装し始めてから体型維持の大変さは身をもって理解したけど……」
とはいえ、それは思春期男子が異性の服に袖を通しても違和感のないようにするための努力だ。索理のライバルは他ならぬ、男性としての身体を仕上げようとする自分自身の身体。女の子が女の子らしくあるための努力、そして他の女の子よりも可愛らしくあろうとする努力とは、そもそも方向性も気の持ちようも違うのかもしれない。
索理が考えを巡らせていると、藍は鬼を模したポーズを解除し、感心と驚きが混じった顔でこちらを見ていた。
「なんか意外かも。サクも体型維持とか頑張ってるんだ。昔から細かったから、てっきり普通に生きててそれなのかと思ってた」
「そんなわけないでしょ。この時期の男って運動量がすぐ筋肉に反映されちゃうし、かといって動かないと体型のバランスがとれなくなるし、なかなか苦労してるよ。甘いものも我慢できないしね。制限したらそれこそストレスで激太りしちゃいそう」
「げ、それめっちゃわかるかも。せっかく好きな物食べるの我慢してるのにストレスで体重増えてたりして、さらにそれで病む無限ループ」
「食べるダイエット、なんて言葉に騙されたりもしてね。だから最近は半身浴で代謝を上げたりとか、お風呂あがってからも柔軟で軽く運動したりとか、そういう方向で頑張ってるかな」
「ほへぇ……サクも頑張ってるんだぁ……」
藍ががっくりと肩を落とす。
「そんなに凹まなくても。頑張り方は人それぞれだし。というかボクは最初から藍が太ってるとか思ってないけどね」
「いや、そうじゃなくて──」
一拍置いて、藍が僅かに顔を持ち上げた。自嘲がうっすらとした涙となって滲んだ瞳が、日の光を浴びてきらりと輝く。
「──わたしってサクのこと、何でも知ってると思ってたけど、意外と知らないこともあるんだなって」
幼い頃から飽きるほど見てきた藍の顔。花嫁らしいナチュラル寄りのメイクに飾られ、苦笑いを浮かべながら上目遣いに見上げてきていた。
「小さい頃からずっと一緒だったし、知らないことなんて何にもないと思ってた。二人でお風呂入ったこともあるしね」
「そういえば……幼稚園くらいの頃だっけ。当時はなんにも気にしてなかったけど、今思い出してみるとちょっとマズいね」
「思い出す必要はないけどっ」
両手を握った藍が、ぽかぽかとリズミカルに索理の胸元を叩いてくる。
伝わってくる衝撃は、何度も続くにつれ少しずつペースを落としていった。
「……でも、そのせいかな。最近のサクのことも、なんとなくわかった気になっちゃってた気がして。だから聞けなかったというか、聞かないようにしてた」
「というと?」
「高校に入って急に女装し始めたこと。ううん、もっと前……」
話しながら自分の中の覚悟をまとめ上げているかのように、言葉を発するごとにその声が真剣なものになっていく。
「学校に来られなくなった小学五年生からのサクを、わたしは何も知らない。どうして来なくなったのかも、何があって女装するようになったのかも」
どくり、と心臓がひときわ強くなるのを自覚する。
「初めの頃は時々顔を見に行ったりしてたけど、あの頃のサクはわたしにも会ってくれなかったよね。部屋の鍵を開けてくれなかったし、扉越しに声を聞いたりもできなかった」
「……」
「そのうち、わたしも会いに行くのをやめちゃった。でも、決してサクのことを忘れちゃったわけじゃなくて、負担になりたくなかっただけなの。信じてほしい」
それまで空から索理たちを照らしていた太陽に雲がかかり、世界が翳った。
「高校からは、サクが学校に来てくれるようになって嬉しかった。進学する気がある、って知った時も嬉しかったし、サクと同じ学校に行きたいって思って受験勉強も頑張れた。サクの中で何があったのかわからなかったけど、知らないふりをすることにしたの。サクがようやく吹っ切れたかもしれないものを、わたしが掘り返すのが良くないんじゃないかなって。……でも違った」
自分に言い聞かせるように、藍は小さく頭を振ってから顔を上げる。
「わたしが誰よりも知らなきゃいけなかった。学校に来てない間にこんなに変わっちゃったサクに何があったのか、一番理解してあげなきゃいけなかったのはわたしだった」
「……」
「鞠理さんや巡理ちゃんに聞いたらこっそり教えてくれたのかもしれないけど、それもなんだかずるい気がしちゃってた。サクの知られたくないことを勝手に聞くなんて最低でしょ? でも、それもわたしが怖がってただけだった。 ──だから、それも今日で終わりにする」
強く突き刺さった視線には、索理をその場に釘付けにするほどの力がこもっている。
「教えて欲しい。あの頃のサクに何があったのか。どうして戻ってきたサクが女装を始めたのか」
「ボクは……あの頃のボクは──」
索理が語り出したその時、藍の携帯から鳴った着信音が、紡ごうとした言葉を遮るように響いた。




