女装男子とシフト交代
もう何十度目かになる、教室の扉が開かれる音。反射的に首だけでそちらを確認し、それが入店の合図であることを把握する。
「いらっしゃいませー! 何名様ですか?」
「あっ、ゆ、夕木? いや、俺らは……」
やってきた男子二人組は、索理の顔を見るなり気まずそうに頬を引っ掻いた。
名前を呼ばれたことに小さく違和感を持ちつつも、索理は接客用の笑顔を崩さない。シフトをこなしているうち、業務にはすっかり慣れてしまった。
「どうされましたか?」
正直、知らない相手とはあまり関わりたくない。けれどもこの場限りの関係であるという事実に加え、学園祭という非日常に、索理の中にある『いつも通り』と書かれたスイッチは、どこか壊れてしまっているみたいだった。
小走りで駆け寄った索理に、たった今やってきた男子二人は意を決したように目を合わせてきた。
「ほら、俺らクラスメイト、っつか……シフトの交代で来たから、客じゃない、っつか……」
「あ……」
時計を見る暇すらなくフル回転で動き続けているうち、いつの間にか二時間はあっという間に過ぎ去っていたらしい。
まっすぐにこちらを見る顔には見覚えなどない。が、よく見れば二人は制服の上から白衣を羽織って聴診器を下げていたり、全身の至る所に包帯を巻いていたりする。
それが彼らの仮装なのだと気づいた時、バチリ、と『いつも通り』のスイッチが強引に入れられた音がした。
索理のクラスでの振る舞い、態度を知っている側の人間だ。
物静かで、大した会話もしたことがない、いてもいなくても変わらない。なぜか女装をしているが、自分にとっては特に利も害もない、という理由だけで同じ教室にいることを許している存在。彼らにとっての索理への印象などそんなものだろう。その程度は、話したことがなくともおおよその察しが付く。
そして、決していいとは言えないそんな印象を索理が察していることも、彼らはきっと理解している。だからこその気まずい空気が、楽しい学園祭の中に、たった一滴の泥水のように滴下される。
温度差に頭がクラクラしてしまいそうになる。感情がさながらフリーフォールのごとく落下して、内臓を浮遊感が襲って吐き気がする。
「あの、夕木、言いづらいんだが……そこいられると詰まって入れん。他のシフトの奴らも来てるし」
「……うん」
謝るだけの心の余裕すらもなく、索理は後ずさりで通り道をあける。
「おわっ」
お尻が何かにぶつかる感触があった。同時に声が上がる。一拍置いて──びしゃりと、液体がぶちまけられる音。
「え……」
一も二もなく背後を見る。未有がいた。持っているお盆のバランスが崩れ、どうにか取り落とすことだけは避けようとした形跡が見て取れる体勢。お盆とは逆の手でどうにか一つ分のグラスは救出したものの、もう一つはあえなく落下し、床に落ちてその中身をぶちまけてしまっていた。
「ご、ごめ……」
「大変失礼しました。衣服の汚れは……」
ぶつかった索理には目もくれず、未有はサーブ直前だったらしい席の客を気遣っている。
事態に気付いた真宵が、すぐさま雑巾を手に近寄って来る。雰囲気が一変したことを感じ取ったのか、厨房からは奏士が顔を覗かせて様子を伺っていた。
自分も謝るべきだ。頭ではそう理解しているのに、身体が、口が動かない。
さっきまで楽しい空間を提供する相手だったはずの客が、急に恐ろしい何かのように見える。索理にできたのは、ただ真宵が床を拭く邪魔にならないよう、今度は背後を確認して、すり足で退くことだけだった。
きっと注目を集めてしまっている。他の客からも、シフト交代でやってきた彼らからも。
その視線は、自分がこの場にいることがどれだけ場違いか、それを思い知らせるような棘を孕んでいる気がする。
居たたまれなくなり、索理は事の顛末を見届ける前にその場を離れ、布でスペースが区切られた厨房へと逃げ込んだ。
「衣装は大丈夫だったかい? 今最優先で新しいのを作ってるから、完成したら持って行ってもらえるかな」
一部始終を見ていたらしい奏士から優しく落ち着かせるような声を受け取るが、一度波立った心はなかなか落ち着いてくれない。
奏士の手によって作り直された、赤と青の二層カクテル。その水平線がぴたりと揺らぎを止めても、索理の心が凪ぐことはなかった。
作業の引継ぎと洗い物を済ませ、索理たちのシフトは終わった。自由時間を迎えたが、索理たちは一旦、比較的人通りの少ない展示系のブース付近に集まっていた。
「索理、あまり気にするな。結局服が汚れたりはしていなかったんだ。事故ではあったが実害はなかった。そこまで気に病むことはない」
「あたしも夕木の動きを予測して位置取りするべきだった。責任はお前ひとりだけにあるわけじゃねーよ」
「ドンマイだよサク。ホールスタッフとかやったことないんだし、あんな失敗くらい誰でもするって。むしろ他に一度も起こらなかったのがびっくりなくらいだよ」
「同じ状況だったら多分、俺も取り乱して動けなくなってる。月並みな言葉だけれど、あまり気にしない方がいいと思うな」
露骨に気を遣われていることを悟れる言葉が、廊下の隅で膝を抱えている索理の傷口にズキズキと沁みる。
索理がふさぎ込んでいるままでは楽しめるものも楽しめない。言外にそう言われているようで、さらに心が重くなる。そんなあまのじゃくな自分のメンタリティにも嫌気がさす。
いっそ自分を置いて全員がどこかに行ってくれたらいいのに。そう思わずにはいられない。
「はぁ……ほんとごめん……謝ることすらできなかったし、みんなに取り繕ってもらっちゃって……」
「ああいう時はチームワークだからね。サクの代わりに未有ちゃんが謝ってくれたし、お客さんも全然怒ってなかったから大丈夫だよ。わたしだってうちのお店であんな失敗何回もしちゃってるし、気にしない気にしない」
「うん……」
なおも顔を上げられない索理の手を、藍が取った。
「ほら、自由時間が減っちゃうよ。気分転換も兼ねて、まずはサクの大好きな甘いものでも食べに行こ! 確定ね!」




