女装男子と鼻歌
昨日は更新できずすみませんでした。花粉症と風邪と食中毒を併発していました。
ひとまず熱は下がったのですが、しばらく更新ペースが乱れるかもしれません。気長にお待ちいただけると幸いです。
「♪~」
鼻歌を歌いつつ、なんとなく廊下を歩きながら他クラスの様子を見ていく。談笑しながらも徐々に完成へと向かっている作業の様子を観察しているうち、全く携わっていない自分のクラスがどうなっているのか、少しずつ気になりだした。
索理は部活にも生徒会にも所属しておらず、基本的に放課後は時間が空いている。本来ならばクラスの出店を準備する方に駆り出されるはずだったが、実行委員としての仕事があるためにそちらには全く携わっていない。
正直に言えばありがたい面もあった。自分に対していい印象を抱いていないであろうクラスメイトと共に作業を進めるよりは、まだ何の先入観もない演劇部の補佐として孤独に色塗りをしていたほうが気が楽だった。
出店の準備といえば、藍が喫茶店のメニューを、未有がコスプレのメイクを担当しているはずだ。下校時刻にはまだ少しあるし、まだ教室に残って作業をしているかもしれない。
そう考えて自分の教室へと足を運んでいると、何の脈絡もなく弦楽器の音が聞こえてきた。やや温かみのある上品な響きは、恐らくアコースティックギターのものだ。
「この曲……知ってる」
メジャーなバンドが数年前にリリースしたベストセラー曲で、テレビや動画サイトといったメディアのみならず、コンビニなどの店内でも未だに耳にすることがある。
演奏の主は、その曲のテンポを大きく落とし、アコースティックギター一本で表現できるようアレンジされたものを奏でているらしかった。
どこから漏れ聞こえてきているのかわからないが、繊細な音色が生み出す心地の良い響きに、思わず鼻歌がつられる。
「♪~♪~……っ」
そのまま教室の扉を開けたところで、索理はぴくりと動きを止めた。
整然と並んだ机の一番後ろ、椅子を大きく引いて足を組んでいる人物がいる。彼は明るい色の木目が特徴的なギターを自身の身体で包み込むように抱え、弦の震えを観察するかのように顔を近づけている。
演奏はちょうど、サビの終わりに差し掛かっていた。彼はそこで演奏に一区切りをつけると、丸まっていた背をピンと伸ばした。
そこで気付く。彼の着ている服が制服ではなく、劇に登場する王子様をモチーフにした、西洋騎士風の派手な色合いをしていることに。
そして、その衣装を索理は目にしたことがあった。
「やぁ。まだ残っていたんだね」
「……お疲れさま、横野くん。劇の練習はもういいの?」
「今は他の部活がステージを使っているからね。それにこっちも練習しておかないと」
奏士がギターのボディを柔らかく叩いてみせる。恐らくは劇の練習からそのままの服装で抜け出してきたのだろう。制服に着替えていないあたり、この後また演劇部に合流するつもりなのかもしれない。
「後夜祭のライブで演奏する予定なんだ。本当は弾き語りできたらよかったんだけど、残念ながら練習時間が足りなさそうだ。その代わりにギターは完璧に仕上げるつもりだから、よかったらそっちも聴いてくれると嬉しい」
「ふーん……」
つくづく女の子ウケのいい趣味を持ち合わせているものだ。派手に盛り上がるであろう学園祭、その終わりに落ちサビのようにチルな演奏をしてみせたなら、なびきやすい子の一人や二人の心を掴むなど容易いことだろう。寧の言っていたキャンプファイヤーへのお誘いがかかってもおかしくない。いや、彼の場合、もう複数の打診が来ているかもしれない。
「……そんな自覚もなさそうなところが、またモテる要因なんだろうけどね」
「何か言った?」
「なんにも」
ぷい、と顔を背ける。
教室には奏士以外、生徒は残っていなかった。もう準備は終わったのか、それとも今日のところは早めに引き上げることになったのか。
そうと分かれば、索理も特に用があるわけでもない。さっと回れ右をして、告げようとした「それじゃ」という短い別れの挨拶に、奏士の声が重なった。
「さっきの曲、知ってるんだね」
立ち去ろうとした足が止まる。
「……どうして?」
「鼻歌。こっちまで響いてた」
「ああ……」
少し気分が上がりすぎていたかもしれない。普段の自分ならきっと、鼻歌自体歌っていなかったはずだ。
奏士の長い細指が、六本の開放弦をひとつひとつ順番に弾いていく。徐々に形成される和音がじんわりと沁みる。
「せっかくだからセッションしていかないかい?」
誘うように、奏士の指が弦に触れ、次々と音色を生み出す。
その音色の美しさには心を惹かれるものがある。相手が彼でさえなければ、きっと素直に提案に乗っていたはずだ。
「いきなり歌うとか、恥ずかしいんだけど……」
「全然大丈夫、即興なんだから合わせるし。誰も聴いていないし、上手くいかなくたっていいじゃないか」
逃げ道を探る索理を口説き落とすように言いながら、奏士は早くも前奏に入っている。元の楽曲にある派手なリードギターの輪郭をなぞりつつ、コードとして成立させるという器用な弾き方。そういうアレンジの譜面なのだろう。
歌自体は嫌いではない。問題は、セッション相手とは信頼どころか、好感度の積み上げすらも存在しないこと。
(まぁ正直、ちょっと歌いたい気分ではあったけど……)
最近の学園内には、学園祭という非日常の空気感が少しずつ漂い始めていた。それはこの教室にも例外なく流れ込んでいて、索理ももれなくその空気を吸っている。
後ろ手に教室のドアを閉め、呼吸を整える。奏士が一瞬こちらに視線を向け、わざわざ動作を大きくして歌入りを示唆するけれど、そんなことをする必要がないくらい、彼の演奏は正確だ。
教室の中、二人が奏でる音が混ざり合う。
マイクを通さない素の声と、エフェクターも噛ませていない素のギター。素朴な音どうしだからこそ、違和感なく噛みあっている。一つの音楽になっていく。
彼は練習中だと言っていたが、まるで二人で何度も音を重ねていたかのように、欲しいところに欲しい音が来る。索理の呼吸を埋めるように、気持ちよく弦が震える。
存在同士が溶けあうような錯覚。引き込まれる。没入していく。『歌っている』という意識的な感覚までもが消え、ただ感性のままに自然と声が出る。
その時、その瞬間だけは、セッションの相手が奏士であるという嫌悪感は薄れ──
──彼と二人きりなのに心地よいという、あり得ない感情までもが湧き出でてきていた。




