女装男子と半身浴
やるべきことが目白押しだった平日も、今日で一旦の区切りを迎えた。
一週間の疲れを癒すべく、索理はやや少なめのお湯がたまっている湯舟に収まっている。索理の身体によって嵩が増した結果、ちょうど鳩尾くらいの高さに水面があった。いわゆる半身浴というやつだ。
「ふぁぁ……生き返る……」
不慣れな体勢で作業を続けていたことで、普段使っていない部分の筋肉を酷使していたのだろう。内腿だったり、背中側のよくわからない部分が悲鳴を上げていた。心なしか、自分の身体からペンキの匂いが漂っている気もする。
湯船の脇に用意してあるのは、水分補給用に持ってきた水道水入りのペットボトルと、防水の袋に入れた暇つぶし用のスマホ。準備をしっかりとしているのは、ここからお湯の中で数十分は粘るつもりだからだ。
世間では風呂キャンなどという言葉が流行ったりしているけれど、索理からしてみれば理解できない概念だ。お風呂は一日を過ごした自分の身体へのご褒美みたいなものだし、同時に体温を上げることで代謝を高める効果もある。汗腺に溜まった汚れを浮かせ、気になる体臭の防止になるのも密かなプラスポイント。
「油断するとすぐにお肉がついちゃうしねぇ。ボクの場合、運動でダイエットって訳にもいかないし」
高校生になってからだろうか。意識して運動しているわけでもないのに、妙に筋肉がつきやすくなっている気がする。
顔周りはメイク技術で取り繕えても、体型は一度変わってしまうとなかなか戻すのが難しい。服で隠すにしても限界がある。成長期をこれほど忌避している人もなかなかいないだろうが、放っておいても厚みが出始める胸板や、少しずつがっしりとしてきた肩幅は少しも嬉しくなかった。可能なら数年前のサイズまで圧縮してしまいたいくらいだ。
女装した自分の顔はそれなりに気に入っているけれど、お風呂場の大きな鏡に自分の身体が映っているのは見たくもない。半身浴をしていると自然と鏡が曇るので、そういう意味でも索理はこの時間が好きだった。
じんわりと、身体が芯から温められている感覚がある。顎から水面にぽたりと汗が落ちて、索理は用意してあったペットボトルに手を伸ばした。
ちょうどその時、スマホ画面に通知が現れた。
藍たちと共有しているグループチャットに新しい投稿があったみたいだ。索理の『新作スイーツを食べに行こう』とか、藍が自信作の料理の写真を共有したりだとか、真宵が勉強の面倒を見たりだとか、そういったログばかりが残っている。
夕飯にはやや遅い時間なので、藍が宿題か何かで真宵に泣きついているのだろうか。宿題の範囲すら把握していないけれど、場合によってはご相伴にあずかろう、と、通知の内容に目を向けてみる。
『お前ら、もう学祭のコスプレ決めたのか?』
珍しく、未有からの発信だった。通知を切っているのか、大抵はこちらから言及しない限り、あまり顔を出してくることはないのだが。
このところ未有はクラスメイトの勉強の面倒ばかり見ていたし、実行委員としての仕事もあって、あまり会話する機会がなかった。なんだか久しぶりに話す気がして、返信を打ち込む指が躍る。
「『全然決めてないけど、黒河さんは?』……っと」
コスプレというと、うちのクラスが出店するらしい、コスプレ喫茶で着る服のことだろう。確かコスプレなら何でもいい、という話だった気がするけれど……
「うーん、百均とか行くと、けっこう季節のコスプレグッズが置いてるんだけど、この時期はなぁ……ハロウィンにはちょっと早いし」
思考を巡らせていると、間を開けずにチャット欄が更新される。
『あたしはタイアップとかコラボとかの時にもらってるのがいろいろ。こんなんいつ着るんだよ、みたいなのばっかだけど』
続いて、いくつかの写真がアップされる。サイズ感は大人向けっぽいのに女児っぽいデザインのプリントが転写された服、魔法少女をイメージしているようなフリフリのピンク色をした衣装、幼稚園児が着るようなスモック……
「な、なんか全体的にキッズ向けっぽいのばっかり……まいんちゃんって意外と、こういうところともコラボしてるの……?」
地雷系とは一線を画すラインナップに目を見張るけれど、考えてみれば未有は同年代の中でも小柄な方だ。こういった服を宣伝したい企業からすれば、モデルとして貴重な存在なのかもしれない。どんな層をターゲットにしているのかは見当もつかないけれど。
未有はこの中から選ぶつもりなのだろうか。正直人前で着るにはかなり勇気がいるようにも思えるが……コラボしているということは、もうどこかの雑誌かサイトにその姿を晒した後なのかもしれない。
「それに黒河さんのことだから、きっとメイクもそっち方向に合わせてくるはず。いつもの地雷メイクじゃちぐはぐになっちゃうもんね。それはちょっと楽しみかも」
これらに合わせるのなら、自然と化粧はナチュラル寄りになる。そういえば彼女の前ですっぴんを披露したことは何度もあれど、彼女自身のすっぴんを見たことはない。
確か前に、ある程度顔が整っていれば地雷メイクは様になる、と言っていたはずだ……気になる。
添付写真の画面を前に、しばしのあいだ妄想していると、その裏で会話が進んでいたらしい。
『全然決めてなかったー! キッチンで動きやすい服がいいんだけど……お店の割烹着エプロンじゃダメかな』
『構わないとは思うが、私や索理は見たことがあるし、どうせなら別の姿を見てみたいと思ってしまうな』
『そういう伊澄は?』
『……正直困っている。コスプレなど考えたこともなかったからな。予算もあまりない』
『貸してやろうか?』
『いや、あの中からは流石に……』
『えー、見てみたいなぁ、スモック姿の真宵ちゃん。ギャップ萌え、って感じで!』
『だ、断固拒否させてもらう!』
いつもより返信のテンポが速い。放っておいても進んでいくログを眺めながら、ため息交じりに呟く。
「ボクもどうしようかなぁ……コスプレ」
瞬間、風呂場のドアがガラリ、と開かれた。
「……コスプレ、って言った?」
そこには、持ち前の赤い目を妙にギラギラと輝かせた、純白の妹──巡理が立っていた。




