女装男子は疲弊している
「はぁ……」
「どうした索理、藍の弁当を前にため息とは」
「もしかしてお腹空いてなかったり? 今日も気合入れて作って来ちゃったけど……」
「いや、お腹は空いてるんだけどさ……」
索理は見慣れた三段重を前に、寝ぼけ眼を擦……るとアイメイクが台無しになるので、硬い精神力で耐える。
学園祭の準備が始まってから、索理の毎日は一気に濃密になった。
朝は早く起きて女装メイクをする。教わっている地雷メイクは、まだお披露目できる実力ではないので封印中。
登校したら、授業中にしっかりと睡眠時間を確保して、お昼は藍のお弁当に舌鼓を打つ。甘い卵焼きとお手製のスイーツが、荒みかけた心を癒すオアシス。
血糖値スパイクから来る眠気に身を任せて午後の授業をやり過ごし、放課後は実行委員として、演劇部の稽古を見ながら大道具係の手伝いをする。
嫌々ながらも単調作業にのめり込んでいるうち、気付けば下校時刻になって、夕方と夜が混ざり合った空の下を歩いて帰宅。
ご飯を食べてメイクを落とし、お風呂とスキンケアを終わらせれば、そこからようやくメイクの練習に着手することができる。
瞼が落ちる寸前まで鏡と向き合っていると、もう朝日が昇り出すような時間だ。
息の詰まるような毎日に、思わず全てを投げだしてしまいたくなる。
それに──ちらり、と窓際の席に目を向ける。
「黒河さん、このアイシャドウってブルべでも大丈夫そ?」
「派手髪のウィッグかぶってもメイクって同じ感じでいいの?」
「カラコンのメーカーってどこ選ぶのが無難? 度入りがいいんだけど……」
「だあああ、お前ら一気に話しかけてんじゃねー! てか昼休みくらいゆっくりさせてくれ、まとめて放課後に聞くから!」
連日この調子である。
「一躍人気者だねぇ、未有ちゃん」
「メイク技術を買われたんだろう。一目で実力者だと分かるからな」
「ぶー、ボクだってそこそこできるのに……」
「では索理もあんな風に囲まれたいのか?」
「それは無理。でも黒河さんだって、この前まで誰も寄せ付けない感じだったのにさ」
だが考えてみれば、未有はメイクに関してはそこまで他人を邪険にしない傾向がある気がした。実際、索理が初めて地雷メイクを教わった時も、未有とは何の関係値もない状態でいきなり話しかけた記憶があるが、彼女はなんだかんだで引き受けてくれた。
そのメイク講座も、最近はめっきり回数が減ってしまった。全てが学園祭に起因していて、始まる前から嫌いになってしまいそうだ。
それにしても、未有があれだけ人と話しているのは本当に意外だった。メイクという狭い門戸さえ叩けば、案外彼女は誰とでも話せるのかもしれない。
未有に対し物憂げな目を向けていると、それを見て藍が口を尖らせた。
「ぶー、サクってば未有ちゃんのことが気になるんだ。わたしのお弁当というものがありながら」
「別にそういうわけじゃないけど……」
「そお? まぁ、早速食べよっか。今日はねぇ、お疲れっぽいサクのためにシュークリーム作ってきたんだよ」
積み重なった重箱の蓋が開かれると、そこには藍の言った通り、小麦色をした焼き菓子が所狭しと肩を並べている。
「あ、朝からシュークリームを焼いてきたのか……?」
「焼いてクリームつめただけだけどね。確定で大変なのは生地作りの方なんだけど、昨日のうちに作ってたやつだから。そこまで作業量はなかったよ」
慄きと呆れの混じった真宵に、藍はケロっとした顔で首をすくめると、重箱の分解を始めた。
「さ、デザートの前に食べちゃってね。お弁当の方もいつも通り、頑張って作ったから」
「はぁい」
藍の一声で、各々が好みのおかずに箸を伸ばしはじめた。
甘い味付けの卵焼きを咀嚼しながら、索理は尋ねる。
「そういえば真宵って、学園祭準備は何担当なんだっけ?」
「私は経理や管理に回されている。将来役員として生徒会の核を担うのなら裏の流れも知っておくべきだ、という先輩方の声に押された形だ。本心では現場の方も見ておきたいと思っているのだがな……」
「先輩に言われたら断りづらいよねぇ。真宵ちゃんはお金の計算とか得意そうだし、適材適所ってやつだとは思うけど」
「まさしくだね。ノールックで電卓叩いてる姿が想像できる」
「よしてくれ。先輩たちが現場にいたりもするのに、一年が生徒会室にこもって座り仕事というのは、なかなか居心地が悪いんだ」
気まずそうに目を逸らす真宵。確かに、先輩に力仕事を任せている裏で後輩が書類とにらめっこというのは、構図としてはあまり健全ではない気もする。
「藍は確か、クラスの出店のほうでメニューを考案しているのだったか?」
「あーうん、喫茶店だからね。小腹を満たせるような軽食で、火を使わなくて、誰でも簡単に作れるものを選抜中って感じ。学園祭中、わたしがずっとつきっきりってわけにもいかないから」
「それこそ黒河は頼りになるのではないか? 一人暮らしをしているわけだし、普段の食事は自分で用意しているはずだろう」
「どうなんだろ? キッチンに料理をしてる形跡はなかったような……」
唯一未有の部屋を訪れたことがある索理が、小首をかしげながら記憶を探る。
「コンビニの包装ゴミとかも見かけなかったし、最近流行りの出前アプリとか使ってそうな気もする……」
「えーっ、あれってお店で買うより相当高いのに……って思ったけど、そういえば未有ちゃんって、フォロワーいっぱいいるインフルエンサーなんだっけ。わたしもそうとは気付かずに、メイクの勉強のためにフォローしてたし。やっぱり広告収入とかでだいぶ稼いでるのかなぁ」
「稼いでたらワンルームは選ばない気もするけど……でも、メイク道具には惜しみなくお金を使ってるし、それくらいの余裕はあるのかも。今度いくら稼いでるのか聞いてみようかな」
「あまり深堀りしていい内容でもないだろう。ほどほどにするべきだ」
真宵に苦言を呈されて、索理は肩をすくめ、一口サイズに切り分けられたコロッケを口に放り込んだ。
「ところでそういう索理の方は、実行委員としての仕事は順調なのか? 演劇部の手伝いに回されたのだろ?」
「災難すぎるから詳しく聞かないで……」
「演劇部なら横野くんがいるはずだよね。サクの知り合いがいないよりはずっとやりやすいんじゃない?」
むしろ知り合いがいない方がずっとありがたかった。けれども、それをこの二人に言っても理解してもらえない気がする。
孤独なりの心の平穏も知っている未有ならばあるいは──そう思うけれど、彼女は今もひっきりなしに飛んでくる疑問を打ち返すのに必死だ。
クラスメイトの女子が集まっているその輪の中に入っていくわけにもいかず、索理は口にできない思いをそっと心の奥にしまった。




