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夕木索理は女の子になりたい!  作者: 朔良 海雪
三章

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71/107

女装男子とクラス事情

「はぁ……結局抜けてきちゃった」


 演劇部が躍動するステージを尻目に、しばらくは自身の仕事と向き合っていた索理だったのだが、一時間もしないうちに気分を害してしまい、今はとぼとぼと廊下を歩いていた。


 というのも、今日は主に奏士演じる王子が出てくるシーンを重点的に練習することになっていたようで、奏士の台詞や歌声が事あるごとに響いてきたのだ。彼の声でさえなければ聞き流せていたであろう言葉の数々がいちいち耳に引っかかり、作業に集中力を向けることが難しくなってしまったのだ。


「えっと……鞄は教室に置きっぱだったっけ」


 今日はもう帰ろう、と決意して、索理は一人、一年の教室がある四階を目指す。


 通り過ぎさまに目に飛び込んでくる各教室には、放課後であるにもかかわらず多くの人が残っている。クラスの出店を準備するため、机を端に寄せて床を作業スペースにしているところが多い。その姿に、さっきまで体育館で同じような体勢をして背景を塗っていた自分が重なって、こうして抜け出してきたことへの罪悪感が鎌首をもたげる。嫌な考えを追い出すみたいに、索理は頭を振って自分の教室へ急いだ。


 他クラスの例に漏れず、索理が普段使っている教室にも、クラスメイトが残っていた。半開きになった横開きの戸を介して、中で繰り広げられる会話が漏れ聞こえてくる。


「えっ、アイシャドウって眉毛に使ってもいいんだ?」


「アイプチうまくいかなーい、助けてぇ」


「ゴメンねぇ頼りっきりで。こっちもお願いしていい? ──黒河さん」


 見知った名前が聞こえてきて、こっそりと中を覗いてみる。


 他のクラスとは違って、机はいつも通りに並んでいた。その一角を陣取り、メイク道具を手にして集まっている女の子のグループがある。


 その中心にいたのは、未有だった。


「眉に使っていいのは、ラメとかパールが入ってないやつ限定な。髪色よりは一段階明るめのマットなやつ。──そっちのお前はアイプチすんなら、事前に二重にしたいライン決めとかねーと。糊つけたら後戻りできねーからな。とりあえず一回顔洗ってこい。──あっおい、目も終わってないのにチーク入れようとすんな。顔の真ん中から仕上げてった方が見栄えすんだから。先に鼻筋とか目の周りをだな──」


 そこには、索理が見たことのない未有がいた。


 姿自体はいつもと変わらない。コテコテの地雷メイクに、夏場でも変わらないピンクのカーディガン。だが面倒くさがりながらもどこか満更でもなさそうな表情も、忙しなく動き回る両手も、索理の前では見せたことのないものだった。


 未有は次々に投げかけられるメイクについての疑問を捌きながら、目の前にいる椅子に腰かけた女子生徒の口元にリップを塗り込んでいる。


(夏休み前までは、ボクと同じでみんなとあんまり仲良くない……というか、一匹狼みたいなイメージだったけど、いつの間に距離を詰めたんだろ……?)


「意外だよねぇ」


「わっ」


 背後からいきなり声がかかって、索理は思わず跳び上がった。慌てて首だけで振り向けば、そこにも見知った顔があった。


「やほ、サク。実行委員の方はもう終わったの?」


「藍かぁ……びっくりさせないでほしいよ。思いっきり声出そうになっちゃった」


「サクのほうこそ、なんでそんなにコソコソしてるのかな。自分のクラスなんだし、堂々と入ったらいいじゃん」


 言われてみればそうなのだが、どうしてか気も足も一向に進まない。あれだけ騒がしくしている彼女たちならば、索理一人が入っていったところで気付きもしないかもしれないが……


「ところであれ、一体なにがあったの? 黒河さんってあんなに人に囲まれる方だったっけ」


「ああ、あれはメイクの練習みたいだよ。未有ちゃん、間違いなくクラス一の実力だし、みんなで教えてもらってるんだって」


「それは見てれば分かるけど、どうしてそんな流れに?」


「え? そりゃあ、うちのクラスの出店がコスプレ喫茶で確定になったからじゃないかな?」


「コスプレ喫茶……」


 そういえば、クラス全体での話し合いの末にそんな結論が出ていた気もする。男子の大半が反対していたはずだけれど、多数決で押し切られていたっけ。


「そ。それで、コスプレと言えばメイクは欠かせないってことで、未有ちゃんに白羽の矢が立ったってわけ。未有ちゃん、最初は気怠そうにしてたんだけど、頼られだすとノッてきちゃったみたいで」


「なるほどねぇ……」


「……ほんとはわたしが唆したんだけど」


「え? 何か言った?」


「なーんにも?」


 藍がぼそぼそと何か付け足したようだったが、その内容はよく聞こえなかった。藍が何でもないと言うのならそうなのだろう、と索理は雑に納得する。


 その時、教室内から未有の呼びかけるような声が響いた。


「つかお前らもメイクの練習しに来いよ。作業なんかあとでもできるだろ」


 また身体が跳ねそうになる。廊下でコソコソとしていたことに、彼女はいつから気づいていたのかと、気づかないうちに心臓を握られていたかのような感覚に支配される。


 だが、違った。未有が声をかけたのは索理たちではない。


 その証拠に、教室内から女子グループとは別勢力の声が聞こえてくる。


「いや、俺らはメイクとかいいし……コスプレって何でもいいんだろ? 百均とかで適当にそろえるから」


「いいわけあるか。男子と女子でクオリティに差があったらお互いが浮くだろうが。なぁ?」


「ま、まぁ確かに……」


 話を振られた女子が煮え切らない返事をする。


 多数決の件からも、普段の雰囲気からも、このクラスの男女間には埋めようのない溝があることを索理は感じ取っていた。


「今はメンズメイクも一般的になってきてるだろ。安心しろ、メンズメイクもそれなりに勉強済みだし、基本はそんなに変わらねー」


 そんな男女の溝に今、クラスで浮いていたはずの一人の女子が橋を渡そうとしていた。


「黒河さん、なんかキャラが変わってる気がする……あんな風に誰とでも話すタイプじゃなかったはずなのに」


「学園祭に向けて気合入ってるってことだね。わたしたちも見習わないと。ね、サク?」


「う、うん……あのさ、藍」


「なに?」


「……悪いんだけど、ボクの鞄取ってきてもらってもいいかな。なんだか入りづらくって」


「? いいけど」


 藍がなんの気兼ねもなく教室内に踏み込んでいく。そんな教室内で繰り広げられる盛り上がりが、戸が開いたことによって大きくなったように聞こえる。


 けれどもそれは、廊下で膝を抱えて蹲っている索理にとっては無縁なもので、扉一枚以上の隔たりがあるように思えた。

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